『波うららかに、めおと日和』 西香 はち なつ美さんと帝国海軍に勤める海軍中尉の瀧昌さんの戦前の日本の夫婦生活の日常もの

波うららかに、めおと日和(1) (コミックDAYSコミックス)

西香はちさんの『波うららかに、めおと日和』が好きで読んでいたんですが、もう6巻も出ているのですね。昭和11年、なつ美さんと帝国海軍に勤める海軍中尉の瀧昌さんの戦前の日本の夫婦生活の日常もの、になるのかな。そもそも戦前の日本はとても興味がある舞台だし、僕にとっては、祖父母の世代なので、知れば知るほどイメージが具体化されて解像度が上がる世界なので、とても好きです・・・・が、なんで、これを手に取ったのんだろう?、なぜこのテーマが6巻も続くってのはかなり需要もあるってことなんですが?ってのを、読んでて色々思いました。


僕が何が好きかといえば、やっぱりこの夫婦特徴って、なつ美さんが、瀧昌さんにベタ惚れですよね。これなんか素敵で、ホワホワしていいなーって思うんですよね。ちなみに、自分の祖母も、お見合いで結婚したそうなんですが、初めてお見合いで会った祖父があまりに背が高くてカッコよくて一目惚れして結婚したと言っていたので、お見合いっていっても、いろいろなパターンがあるのだなって、感心したのを覚えています。これってなつ美さんが瀧昌さんが大好きだけど、海軍軍人として「いつ突然海に出て行ってしまって、いつ帰ってくるかが軍事機密なので全くわからない」しかも会えない期間が何ヶ月も続くし、何よりもガチの軍人さんんあので、そのまま戦死して二度と会えない可能背も常にあるという「構造」を抱えながらの夫婦生活なんですよね。


こういう人の気持ちはどうなんだろう?


って、色々しみじみ考えちゃいます。まぁこの日常夫婦ものの面白さは、海軍軍事として「かなり頻度で家を空ける出会える時間が少ない」ことで、恋愛のプロセスや、夫婦として愛情を深めて家族になっていくプロセスが、めちゃめちゃゆっくり、断続的になるんですよね。これって初々しい愛情が、かなり長期間にわたって、スロープロセスで続くわけで、ラブコメ的には、とても見ていてほっこりします。二人がすごい不器用で、ゆっくり、じんわり、愛情を深めて、夫婦になっていく様が、とても素敵。6巻で、この時代って、まだ結婚指輪とかは、浸透の途中なんですね。瀧昌さんが、仕事柄そんなもんつけられないと思いつつ、いやでも、、、となるのは、素敵だった。そういえばうちの祖父母(明治生まれでした)は、いつも結婚指輪してて、考えてみると、けっこう先進的だったのかも。


このへんは、エンタメで振り切っているから今の世代にカスタマイズされていて、実際は、その期間、いろんな世界に旅をしているので、海軍軍人は、港港に愛人がいて、S(芸者遊び)で遊んでたんだろうし、専業主婦で海軍軍人の妻の会見たいのの関係とか、奥さんは、本当に大変だったんだろうとは思いますが、、、そっちで女性が虐げられているとかいうフェミニズムイデオロギー告発をしてても、エンタメの物語にはならないわけで、その欺瞞を告発していないからダメってのは違うとは思うんですよね。かなりのレア確率ではあっても、こういうお互いに欠落した家族(瀧昌さん天涯孤独だよね)をちゃんと認識して、お互いが大好きで、家族に、夫婦になろうという真摯な関係って、ちゃんとあったと思うんですよね。それを描くのが見たいってのは、ノスタルジーも含めて、いいなって思うんですよね。まず入口がなければ、解像度も何もないので。

夫婦は前世から・1

これ、Amazonで無料であったので、ポチってみたんですが、よかったんですよね。紬音ユユさんの『夫婦は前世』から。昭和の初期で特攻隊の旦那さんと、旦那さんが特攻に向かって悲嘆して自殺しちゃった奥さんが、現代の日本の高校生に転生したって話。この作者の人が、なんでこういう話を書いたかというと、昭和の様式美が好きでって、まずそれを挙げていて、、、、、昭和って、完全にある種の、異世界というか、歴史になったんだなーと思う今日この頃。『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』とかも、女子高生?がタイムスリップして特攻隊の青年と恋をするというような話だったと思うんですが、様式美にならないと、こういう物語が量産されないと思うんですよね。僕は、30年ぐらいまでの昭和後期の世界を、昭和臭がするブラック企業パワハラの多様性を受け入れない世界としてよく例に出していますが、これは初和初期の日本がまだ近代前期で、家父長制が大前提の坂の上の雲の望む時のがむしゃらな時代で、この辺りは、だいぶ反発の煽りだけではなくノスタルジーを誘う様式になってんだなと思う。『夫婦は前世』も、背景こそ重いですが、日常のラブコメに比重をちゃんと置いていて、そう!そうだよね!って思うんですよね。まずはキャラクターを好きになれないと、彼女ら彼らが置かれている前提条件の悩みがただのイデオロギーになちゃうもん。


話が長くて、飛躍しても結論的なものをメモしておきたいんですが、6巻を読んでて、、、、そうか、海軍軍人の妻って、専業主婦大前提の家父長主義絶対の世界なんだって、思ったんですよね。でもこれを、なつ美さんと瀧昌さんのような、夫婦日常もので解像度を上げていくと、それって、本当はどういうものだっけ?っていうのが、今の時代との比較ですごい現れてくる気がして、ああ、これって、面白いなーって思ったんですよ。なつ美さんと瀧昌さんって、要は現代の多様性を受け入れてポリコレを超えたとしても通用する、幸せな、おしどり夫婦だと思うんですが、それが「あの時代」にいると、差異が際立つ感じがするんですよね。まだ読んでいないですが(全て買った)、『花と紺青 防大男子に恋しました。』を描いているんですが、本質的な構造って、職業は変わらないので、同じことになるんだと思うんですよね。やっぱり、海に出て、何ヶ月も帰らないのは変わらない職業なわけだし、旦那さんが国家公務員であるからには、それなりに国防に関しては意識は持たざるを得ないだろうし。もちろん、もう少し時だが経てば、この構造だけ同じで、男女逆転する話とかも、見れたら、すごい楽しいとは思うけど。。。。

わたしの幸せな結婚

いやまぁこれも結論めいたものはないんですが、、、、最近、個人主義から共同体主義に時代がシフトしている流れの中で、家族ってなんなんだろう?って思うんですよね。どうやって出来上がるものなのか?って。そうすると、家父長制の時代のある種の極端例であり、海軍軍人の妻と夫って、美しく描くと理想系なんだろうから、イデアみたいなもんなんだろうなって。そんで、こんなの基本的には専業主婦がベースになるじゃないですか?。僕は、そもそも、子供の頃から専業主婦が嫌いで、その負の側面ばかり意識がいく人なんで、専業主婦の悪い面ばかり認識しちゃうんですが(笑)、でもそれってなんなんだろう?とか、いろいろ考えます。いや、そういうこと考えると、瀧昌の同僚の深見龍之介と芳森芙美子の二人の恋愛も、見ていてとても興味深くて。芳森芙美子さんて、モダンガール?なんですよね。教養高くてタイピストのような時代の先端もしている。でも、お見合いで結婚しなきゃならない圧力を家族から受けていて、結婚したら、仕事は辞めなきゃいけないのをある種の覚悟とともに、当然としている。これ、マクロの時代環境は、そんな必要なく生きる方法がどんどん開けていくトレンドはあるものの、そんなことは、この二人個人のミクロにはなんの関係もない。どうするんだろう?って。深見さんは、芙美子さんにベタ惚れですよね。。。。でも、実際に結婚したら、時代が、職業が、多様で自由な生き方は許されないと思うんですよね、、、本当に相手を対等で尊敬していたら、どんな選択肢をするんだろうって、、、、。全ての選択は、意識だけでは成り立たず、マクロの環境でほとんど決まってしまう。


夫婦になるって、どういうことなんだろう、、、、って、50代のおっさんの考えることとしては、遅すぎますね(笑)。まぁ、僕は夫婦というのは対等なパートナーという意識が強いので、まぁ、昭和後期から平成にかけての夫婦像の制約を受けて、こういう意識なんだろうなーって思うよ。僕は奥さんが大学の同期で同じゼミ生でしたので、基本自分より頭が良くて仕事ができてって、前提があるんで、この辺の「気持ちの問題」はすごく楽。って、説明が必要か、、、、家父長制とか専業主婦って様式は、僕は、「外で狩をする(稼いでくる人)と家を守って再生産(家庭を整えて子供の教育をする)」役割がジェンダーで固定化しているので、家を守る方は、意思決定者じゃない、従属物になりがちだよねって僕は感じます。だからどうしても、男が偉い!っていう社会的なコモンセンス(空気!)の圧力を強く構造的に受ける。これ、女性は当然として、男性も地獄で、強くなければならない、家族を養い守らなければならないという圧力でほんとメンタルやられます。でも、自分の奥さんの方が優秀だよね!って前提があると、常に、まぁ「そう」なんだから仕方がないということで葛藤がないんですよね(笑)。僕は団塊の世代の親に育てられた昭和末期に育った世代ですから、男尊女卑の家父長制の重力の世界で人格形成されているので、自分がだいぶそこに違和感がある家庭の築き方をできたのはラッキーだと思っています。まぁ、この辺の家族の、夫婦の在り方って、やはりその時代時代の制約やコモンセンスを色濃く反映して、無自覚に生きているののが人間なので、こうして物語でも、その来歴や歴史が観れると、自分のあり方に解像度が上がる気がして、好きです。

花と紺青 防大男子に恋しました。(1) (別冊フレンドコミックス)