フリードかシエンタか?

いま迷っています。今日HONDAのディーラーに行ってきました。うちは双子だし、やっぱり大容量のHONDAフリードかなぁ、とかとか。でも、シエンタ安いんだよなー。といってステップワゴンやオデッセイでは大きすぎて、小回りききにく過ぎだし・・・。この辺で迷う人は多いみたい。・・・・・とはいえ、もうスカイラインとかBMWのZ3とかそういうの乗ることになるのは・・・・老後になるのだろうなー(苦笑)。まぁそれを楽しみに頑張りますか。家族でアウトドアとか、遊びに行くのも、また楽し!だよね。うん、子供が生まれて、世界の見方が、全然変わったよ。こんなに感覚が変わるものなんだな、と思う。バリアフリーとか、今まで気にならなかったことも、凄く気になるようになった。エレベータ一つ駅にあるかないかで行動の制限が物凄い変わるからね。人生、適切な時期に、ステージが変わると、本当に見えるものが違う。それは、いいことなのか、そうでないのかは、分からないが、変わっていくことは、とてもしんどいが、人生の醍醐味でおると思う。

志を持って勝負の世界に挑むこと

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)


あずにゃん問題(笑)〜日常をたゆたい「いまこの時の幸せをかみしめる」か、それとも志と夢を持ってつらく茨の道をかけのぼるか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090628/p1


けいおん』・・・というかたゆたう日常のフレームアップを得意とした京都アニメーションの描く世界とは、真逆なものを描いているので連想するのがこれ。まさに勝負の世界で生きることの厳しさと苦しさ、そして切ないほどの美しさを描き続けている作品。ここには、明示的な「志」はない。でも、やっぱり、それは、「父の背中」なんだろうと思うし、、、あと、人間というのは「一度選んだもの」を簡単に変えることはできないんだ。人生は一度きりで、時間は二度と戻らない。どんな小さな決断でも、若くて情報がない中の決断でも、選択したモノは、もう戻らない。「その中で」、、、その限られた選択肢の中で、戦っていくしか、人生という名の戦いは、生き抜くことができないんだと思う。そこに言い訳はない。言い訳したって、自分の今いるところは何もかわりゃーしないんだから。それが正しい、とは言うつもりはない。けど、それが美しい、それこそが人間が歩むべき人生だ、とは思う。


追記

あずにゃん問題は、おお、反響あるなー。まぁ「わかりやすい対比」なんだよね。実際のところは、『けいおん』の作品内だって、そんな単純ではなく、いろいろなものがグラデーションになって、あずにゃんは、あそこを居場所に選んだのではあると思うけれども。けど、世界はけっこうシンプルで、「どっちが大事か?」と感じる価値観によって、感じ方がかなり変わってしまうんだと思うんだよね。僕は、そもそもが、勝たない人生には意味がない(=本当はそんなことはないことは重々承知)という生き方を選択している人なので、それ以外の物語が受けつけにくい体質なんだってことだけ。『けいおん』のコンセプトやそもそも内部にいる唯ちゃんたち自身を素直に肯定的に見れば、あずにゃんが「あそこ」に居場所を見出した理由は十分想像できるんだけれども、、、それでも、、、とは思ってしまう。これは、ある種の我がまま&体質であるんだろう。もちろん、何も考えずに「ゆるさ」を肯定してしまうのだって同じく我がまま&体質だと思うけれどもね。・・・・つまりはね、類は友を呼ぶんだ。なんとなく、似た価値観の人同士が友達となっていくものなんだよね。いろんな、多様な生き方が、少なくともこの国では許されているんだから、好きに生きればいい。そして、好きに生きるというのは、多様性の次元の違いがある中で(=勝ち負けの基準が常にひっくり返る)、競争している世界であることには変わらない・・・・・って、いってみれば、勝ち負けはないっているに等しいんだけれども(笑)。

ちなみに、「どっち側」の比率が多いのかな?とマーケティング的には思ってしまうわけ。京都アニメーションが見出したこの「ゆるい日常もの」系統が金鉱であるとすれば、つまりずっと似た系統がヒットし続けているよね?、だとすれば、やはり世の中はどちらかというとゆるいものを求めているのかな???とか思うが、まぁーアニメや漫画の一部で、社会を代表するわけにはいかないけどねぇ。僕のビジネスの感覚からすると、「ゆるさ」と同居する形で、その「ゆるさ」を嫌悪して競争に駆り立てられてそれを楽しむ層というのも、実は結構00年代以降出てきている気がするのだ。ただ、エンタメの世界では、それをリプレゼンテイト(表象)するものがあまり見当たらないのはなぜかなーとか思ったりして。

ちなみに、ああ断定口調で書いていたんだが(苦笑)、大人ってのは、二重思考ができる人をいうんだと僕は思うんだよなー。つまり「ゆるさ」と「勝つこと」を同時に許容して、穏やかに眺めることができる人。価値観は「自分で守るもの」であって「他人に強制するもの」ではないからね。まっ、こうかくと、じゃーいうなという話になるんだが、それは違う。自由とは、自分の信ずることを主張して、それを貫いて現実に示すこという、とジョン・シュチュアート・ミルが『自由論』で語るように、いいたいことは云えばいいんだと思うんだよ。それを受け入れるかどうかは、その人次第。岡田斗司夫さんの『自由洗脳社会』ってそういうことさ。なにがいいたいのかよくわからなくなった(苦笑)

『一勝九敗』 柳井正著 店長が一番偉く、現場にとって「到達したい上がりのポジション」でなければならない

一勝九敗 (新潮文庫)

この古い本をなぜいま読むべきか?については、たぶん分かる人は、よくわかると思うので、そこは割愛。さて、興味深かったのは、彼の店舗政策の部分。店舗の「店長」が一番高給取りで、現場が目指す最後の「上がり」のポジションであるべきという点。僕のブログを長く読んでくれている人は、僕が日本社会の現場とエリートの解離が現実無視を生みやすい風土があるという部分に興味を持っているというのは分かると思います。ようは、軍隊でいえば、軍曹は、兵卒から入った人の「上がり」ポジションですが、その上の少尉は、幹部候補生にとってはスタートラインに過ぎません。こういう風に現場を動かす専門者と、現場を一部のミクロとしてとらえ、小さなミクロをすべて合わせたマクロのビジョンを描きコントロールする人材は全く質が違います。それが故に、こういう組織体系が、全世界の軍隊で生まれたわけですが、、、、中央集権型の組織というのは変化に弱く、現場の即応性が失われて官僚化するというのも組織論の常識です。この矛盾をどう解くか、というのが組織運営に関する大きな命題なのですが、細かく乗っていたわけではないですが、非常に彼の指摘は重要で、なかなか考えさせられる気がしました。

ちなみに成長物語としても面白いので、物語小説としても(笑)十分面白いと思うので、万人におススメです。また、急成長したが故に、現場の小さなレベルから大企業の運営までを短期間に駆け抜けただけに、それをコンパクトに、わかりやすくつかめており、「急成長するってことがどういうことか?」ということを、非常によく分析されていて、わかりやすく面白かったです。また、既得権益にがんじがらめになった日本で成功するには、という最もシンプルな問いもちゃんと答えており、まさに結局のところ、経営の奥義や、やらねばならないことは、いつまでたってもそんなに変わるものではないんだな、と思わされました。そして重要なのは変化についていくこと。もっとも、それが一番難しいのだけれども。


小説 後藤新平―行革と都市政策の先駆者 (人物文庫)

同じ時期に後藤新平の小説も読んでいたんですが、彼がプロジェクト型の仕事を、歴史が変わるほどに成功させてきた・・・ようは、台湾の植民地経営や、満鉄の経営、関東大震災後の東京の都市計画のことなんですが、そのすべてが、優秀な人材を広く抜擢して、本人さえ知らないままに最高級の待遇(官僚的な仕組みからはあり得ない高給)を与え、自由に行動できるフィールドをつくるというやり方を貫いており、、、、逆に言うと、そういった抜擢をごり押しで行って最高待遇を与えないと、異能がフル活動して、あり得ないようなブレイクスルーや改革を実施するtことってのは出来ないんだ、ということが良くわかった。これは非常に興味深かった。

あずにゃん問題(笑)〜日常をたゆたい「いまこの時の幸せをかみしめる」か、それとも志と夢を持ってつらく茨の道をかけのぼるか?

けいおん! 1 [DVD]


とうま(玄馬)のヲタ街道 光の翼〜ALA LUCIS〜
http://blog.livedoor.jp/tomablog/


先日、刹那の話で盛り上がった玄馬(とうま)さんと話していて、けいおん』のあずにゃんはもったいないよねーという話で、盛り上がった。しゃべっている過程で、ああ、なんで僕が、あずにゃんを最初から気に入っていのか、ということが分かってなかなか面白かった。つまりね『あずにゃんは、こんな所に居ちゃ駄目だっ!!』 と思っていたんんですよねー。アニメを見ていても、最後は、「みんなの仲良しな雰囲気」を愛してけいおん部に戻っていくんだけど、「それ違うだろ?」と僕はちょっと思ったのを覚えていて、まさにそれと一致したんだよねー。



彼女は、すでにかなりの実力もあるようだし、最終話?というか、最後のおまけで彼女の部屋の中は、まさにJAZZ一色で、かなり音楽に入れ込んでいることがわかる。それほどの思いを抱えて生きているのならば、やっぱり「音楽を目標」にレベルを追求することを、もう少しやってもいいのではないか?って思うんだよ。そもそも、そういうレベルが上昇することに強い意欲を持っているのは、見ていて丸わかりだからね。それが、ゆるーい仲間意識に回収されていくのは、見ていてつらい。そもそも、もともと志や目的がなかった他の4人は、たしかにこの「仲良し空間」でいろいろ得るものがあると思う。けど、あずにゃんは、そもそもレベルも動機もあるわけだから、本当は、「より上のステージ」を目指している仲間と、「仲良し空間」がある場所を探せなかったことが、問題点であって、何もこの部に入らなくても・・・と思ってしまうのだ。


もちろんこれは、視聴者側の「世界を眺めるメガネ」に影響される問題で、「勝つことが重要!」と思っている人と「仲よくすることによる思い出が重要」と思っている人によって、意見は真逆になってしまうとは思うけれどもね。僕も玄馬さんも、基本的には人生においては志を持って勝ち抜いていくことのほうが価値が重いと感じる体質の人なんだろう。だから、あずにゃんを見ていると、残念に思ってしまうのだ。


この辺の志向は、たぶん海燕さんが云っている部活モノの差異の問題でもあると思うんだよね。


でも、ま、部活ものにも二種類あって、ひとつは、『SLAM DUNK』みたいな、『アイシールド21』みたいな、集団のモチベーションがはっきりしているタイプ、「全国制覇めざすぜ!」系。もうひとつは、『放課後ウィンドオーケストラ』のような、『とめはねっ!』のような、特に大きなモチベーションが存在しないタイプ、「まったり皆で楽しもうぜ!」系。そのいずれが正しくいずれが誤っているというものではありませんが、とにかく大別するとこの二種類に分けられるんじゃないかと。


ぼくは前者を「きつい部活もの」、後者を「ゆるい部活もの」と呼んでいます。ぼくは見ていないけれど、『けいおん!』はたぶん「ゆるい部活もの」なんでしょうね。もちろん、この二者は明確に分かたれているわけではなくて、じっさいにはグラデーションを描いていると思います。で、ペトロニウスさんは良く「ゆるい部活もの」は物足りない、みたいなことを仰いますよね。それもわかる話で、過酷な競争社会でもまれているひとにとっては、そういうモチベーションの低い仲良し集団ものは、いかにも甘ったるく思えてもふしぎじゃない。でも、逆にいうと、こういう「ゆるい部活もの」の価値は、その物足りなく感じもするところにあるのであって、その何ともいえないゆるさ、優しい癒しの空間こそが魅力であるわけです。


部活漫画には二種類ある。/Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090617/p1

部活は、勝つことが重要なのか?それとも仲良くチームでやることが重要なのか?って命題。


これは、組織を運営するときの重要な命題で、、、、別に会社などの規模の大きなものでなくとも、特に部活動で集団でやる時に、部長とかを経験した人ならばこのことの難しさと重要さを何度も話し合って、それこそ部員と喧嘩したり仲直りしたりの経験があると思うんですよ。これ部活動でやる時に一番もめる点ですからね。


ちなみにそれを両立させた傑作として、河合克敏さんの名作『帯をギュッとね!』があがるのは、なるほどです。昨今では、『ちはやぶる』が最初期から明確にこの問いを意識して描いていますよね。ちなみに↓ここで第一話が見れるようです。


http://websunday.net/museum/no11/no11.html


帯をギュッとね! (1) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)
帯をギュッとね! (1) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)




ちなみに、現実の世界でも起きる問題点なのですが、たぶんクリエイター側としても、悩まされる問題で、どちらかに「偏った作品」というのはつくるのが簡単なんだと思うんですが、そのバランスをとるのは、そもそもセグメント(=見る人の好み)が違うので、両立させるのが難しい二元論的な対立をしてしまうんですよね。編集者とかマーケティングサイドからすると、たぶんどっちかに決めてしまってセグメントを絞った方が売れると思うのが普通ですから。雑誌の中で差異を作ればいいわけで、作品の中でそんな対立をつくる必要はないもの。

ちはやふる (2) (Be・Loveコミックス)