25巻。いつもの通り発売日に購入。2024年4月。『絢爛たるグランドセーヌ』25巻で、奏は、ロイヤルのアップアースクールに合格するのだけれども、この巻は、仮名では多分16歳近辺で次に高校生に上がるぐらいだと思うので、15歳で中学3年生ぐらいなのかな、この時点で2020年という設定なんですね。というのは、コロナが襲うからです。2024年の既にだいぶコロナから抜け出してきた感覚のだが、これを読んでて、ブワッと当時の不安が襲ってきた。2020年当時自分もアメリカに住んでいて、日本に帰れるんだろうか、もし一旦帰ったとして、戻って来れるんだろうかとか、とにかく先が読めない中での不安は忘れられない。
イギリスのロイヤル・バレエのロウワースクール編は、世界中のモチベーション高く競争を勝ち抜いたバレエのエリートの卵たちが、競い合いながら、絆を作るという美しい学園編だった。厳しい競争をしながらも、強い目的意識と才能を持った各国の学生たちの未来は前途洋々で、もちろんアビゲイル・ニコルズに見込まれた、奏とエブリンは、この先も・・・・。
これまでの巻でイギリスのロイヤルのロウアースクールという新しいステージに適応していく厳しさが描かれ、正直やっと、馴染んできて、安定して奏は成長していくんだなと思い込んでいた。そこにコロナのロックダウン。海外で留学したりしている人には、キャリアや人生の終止符になってしまうような出来事だったなぁと、自分も同じ状況だっただけに、胸にぽっかり穴が空きそうな不安感が読んでいてしました。僕は、僕の家族は、うまくやり過ごすことができたけど、日本から才能で奨学金を取ってエリートバレエスクールに行っている奏たちなんて、この期間の練習ができなかっただけで、バレエのキャリアが終わってしまう可能性は高い。ちょっと衝撃でした。
というのは、311のことも、10年ぐらい経った今やっと、『すずめの戸締り』のような形で昇華されて、しかも受け取る側の自分も、なんとか受け取れるだけの胆力ができているんだけど、それでも10年近くかかるものなんだと思うったんですよね。正直、実を言うと、これを読んでいる時にちょうどコロナにかかっていたので、ああまだあるんだって、いろいろ噛み締めていて、なんだかショックを受けて、ちょっと凹んでいたんですよね。多分、まだ物語にするには、生々しいんだろうと思う。それだけに、ここでこのエピソードをぶち込んでくるのか、と作者のCuvieさん、なんと言うか真摯だなぁと胸に来ました。
エヴリンと奏を分けたのは、翔子ちゃんだよなって、思っちゃうんだですよね。もちろん、エヴリンがコロナの期間練習していなかったとは思わないんだけど。奏でには、この追い詰められて何が周りからの攻撃や差別になるかわからない時期に、それを越えてでも、奏のサポートをしたいと思わせる、ファンがいるわけです。これは、才能だし、存在の生き方だよなって感じました。勝負の世界で、成功して成長していくには、なんと言うかこう言う「あらゆるマイナス」をカバーする何かがいるのだろうなぁて感じました。もちろん、エヴリンは、この「おかげ」で、ABTにはいるわけですから、これだって、結果的にはそれがベストだったと言うことになる、と言うかできるやつだけが生き残るのでしょうね。