『フリーランチの時代』 小川一水著 幼年期の終わりを描く短編集

フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)


小川一水さんの短編集。この人は、正統派ハードSFの後継者であるジュブナイル小説家とでもいおうか。とても正統派の志向に則ったハードなテーマを描く人なんだけれども、内容が軽くハートフルなので、SFの入門書として読みやすくて本当にいいなぁと思う。子供のころに読んだ、星新一さんや眉村卓さんのような一流にして導入者というようなSF作家魂(?そんなものがあればだが)を感じる。この人の世界観は、大元に楽観主義とライトでポップな感覚(?ってなんだ?)があるので、ハードのがっちりしたものが好きな人には、少し甘すぎる感じがするかもしれないが、そこが彼が支持層が多い所以でもあるので、否定はしても仕方があるまい。同じく短編集の『老ヴォールの惑星』のほうが、歯ごたえはあると思います。SFってのは、過去の古典を、その作家独自でパラフレーズしたり、同じレシピで料理しなおしたりしているものなので、ぜひアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』などと併せて読むといろいろ時代性を感じると思うのでお勧めです。

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小川一水さんによる幼年期の終わり的なものの料理

「フリーランチの時代」

「Live me Me.」

「Slowlife in Starship

「千歳の坂も」

「アルワラの潮の音」(『時砂の王』の外伝)


基本的に、人類の幼年期の終わりがテーマなのかな?と思います。「フリーランチの時代」は、たまたま宇宙人に出会って不老不死にされちゃった人類が、こまっちゃったねーと軽く悩む話。あくまで軽いので、嫌いな人は嫌いかも知れないが、幼年期の終わりのテーマである不老不死や人類の霊長類の頂点から滑り落ちることなどの、人の革新(どちらかというと衰退する悪い意味での)が、人口に膾炙して、慣れ切った今の時代の感覚にふさわしい感じで、僕にはヒットしたなー。「あれー、不老不死になっちゃった・・・」みたいな。そもそも食べることから解放された人類は、「何のために生きるか?」ということを切実に問われるわけで、その存在・実存のあり方が変わってしまうのだが、こういう軽く考えるショートのほうが、気持が気楽に切り替わって、ちょっとセンスオブワンダー的な気分になれます。

「Live me Me.」は、交通事故でほぼ脳死状態になった女の子が、機械の力を借りて、意識を回復していく様は、秀逸な描写だった。人間とは?って定義がここでも、問い直されていて、脳関係の話をこういうわかりやすいエンターテイメントにしていく力量は、さすが。最後のオチは、まぁ普通だったけど、過程が素晴らしい。脳死に近い存在が、再度意識を外の世界につなげていくまでの描写で、これほどわかりやすい描写って見たことないかも知れない。


「千歳の坂も」は、何が言いたいのか不明なところもあるのだが、その感じが逆に「悠久さ」を感じさせてグッド。いつの間にか医療レベルが老化を追い越して、知らない間に、人類が不老不死になってしまい…という社会自体がそのインパクトに気づかないまま静かに根本的に変わっていく様は、おおーと思った。そもそも、今の地球の根本問題の一つは、高齢化社会。もちろん、これが北と南の南北間格差という問題をさらに歪にするからなんだけど、そういうのがよくわかって・・・なかなか考えさせられた。


しかし、総じて見ると、短編はうまいなぁ、と思う。この人は、『第六大陸』や『復活の大地』をみても、長編でも才能あるので、いや素晴らしい作家だなぁと思います。こんな短い文章で、人間とは何か?という再定義の問題に、するっと読者を連れていく技術は、さすがのものです。

SFって、よくセンスオブワンダーという言葉で言われるんですが、ちょっと僕なりに崩して言うと、目の前の常識から解き放たれることや、ミクロの体感感覚では考えられないスパン(何万年とか!何億光年とか!)で物事を見ることで、「いまこの時」という時空に縛られた生き物である僕らの視点を、限りになく自由に相対化してくれるものだと思うんです。

だから、SFの極み、極を考えると、「どれだけ新奇な視点を提出できたか?」って部分が、とてもクローズアップされる。とりわけ科学技術の発展が素朴に信じられた時代、もしくはその科学のもたらす負の側面が信じられないほど大規模に感じられた時代には、この「新しさ」というものは、いろいろ提出できたんだと思います。が、しかし、今の時代って、もうそんなに超目新しいことが大きな塊で見つかる時代じゃないんですよね。



■SFの効能〜ブラックボックスに光を当てる


けれども、僕は「ブラックボックスに光を当てる」こと、と呼んでいるんですが、今の時代には、科学技術のもたらす変化が自明であった時代や、その負の側面が自明であった時代からすると、僕らの生きる現代社会ってのは、魔法の世界だと思うんです。鉄道輸送ものもたらす輸送体系、航空技術のもたらす輸送体系、全世界を覆う流通や生産の体系、100年や200年前ならば王侯貴族も体験できなかったようなエンターテイメントや食べ物、余暇を、非常にリーズナブルに体験できる・・・それも何億人レベルで・・・。

けれども、科学技術があまりに発達しきってしまっているが故に、「その過程がどうなっているか?」が、ブラックボックス化(=見て感じられなくなる)してしまうんですね。専門家ではないと分からない。いや、専門家ですらわかりにくい。僕はある産業に関わるビジネスマンですが、ある一つの産業の背後にある壮大なサプライチェーンを考える時に、時々めまいがします。自分一人の何気ない担当のプロダクトでさえ、アメリカやアフリカらか原料を買い、中国で1次加工をして、さらに違うところで二次加工をして、日本でアプリケーションとする・・・そして全世界4極でストックポイントを持ち、、、とかなってくるのが、何気なく為されているわけです。自分がマーケティングプランや事業を構築するときに、なんの気負いもなく、それを前提にビジネスプランを構築する。机上の上でならば、世界中どこからどう持ってこようと、PCの前ですぐ見積もりすらできます。


僕はブラックボックスの過程を明らかにしようということを仕事をするときの哲学にしているので(=ちなみに、仕事は世界を体験するための手段で、趣味です!(笑))、たとえば、税関とか巨大なコンテナ船や、ストックヤード、物流ポイント、生産設備、流通の最末端など、なるべくすべてを自分の目で見に行くようにしています。自分の専門と離れていても。近代分業社会は「部分の担当」なので、なかなかすべてはわかりませんが、長くその事業に携わると、その全体像が自分の心の中で有機的に感じられてくるときがあって、、、、そうすると、そのグローバリズムのダイナミックさ、科学技術のもたらしているもの凄い巨大な設備や体系(=システム)の実感・体感できて、、、、驚くほど巨大な感動を得ることがあります。これ、ビジネスやっていると、絶対思うと思うんだけどなーみんな思わないのかなぁ・・・?。


クラークが、ハインラインが、夢見たような、科学技術による巨大な人類の進歩と革新が、実は、自分の生きるこの「魔法のようなコンビニエントな社会」を支えているんだ、ということが実感されるからです。申し訳ないが、資本主義の最先進国の現代に生きるビジネスマンでよかった、といつも思います。貴族でも人類を変える才能の持ち主でもない僕が、こんなにもダイナミックな人類の最前線に関わり、この目でそれを見、体感できるなんて・・・・・たぶん今の時代でなければ、ここまでは感じられなかったでしょう。またやはり北側に富が集中しているんで、北の資本主義の発展が進んだ諸国のビジネスマンでなければ、この爛熟した世界を眺める感覚は味わえないでしょう。・・・・なんだかんだいって、WW2以降、人類は総力戦を経験していない。日本も、すでに半世紀以上の平和を享受している。その結果として、全世界は、物凄く前へ進んでいるんだ、、、矛盾は溢れているが、同時にそれを解決する意思も世界には溢れている。いつまでも悲劇はなくならないかもしれないが、しかし、「前へ」は進んでいると感じるもの。



ブラックボックスに光を当てることで、世界をシンプルに理解する感覚を取り戻す〜分業社会だからって、断片だけ理甘受すればいいわけではなかろう!


えっと、話が行きすぎました。でもね、このブラックボックス化した社会は、ある種人間から「能動的な意思を奪う」社会でもあると僕は思っています。基本的に、人間を前へ進ませるエネルギーは、貧困や差別など、負のエネルギーです。それをはねのけ、より良く世界を、自分を、という欲望が人間の推進力を支えているわけで、逆にいうと、ある程度、個人としての衣・食・住が満たされてしまうと、人間は意思を失います。「Slowlife in Starship」のテーマもこれでしたね。太陽光のみで半永久的に人間を生かしておける居住モジュールが量産されたという設定があったわけですが、これって、ありえない話ではないんですよね。いまのニートの問題も、これが消費に特化しているが故に、不景気に痛い目を見るぞ、というような社会参加を促す構造的なものありますが、この居住モジュールは、生産側の一部も兼ねる(小惑星の資源採掘や人間が最低限しなければならない作業などの分業化)わけで、そうすると、ニートに社会参加させる理由が消失してしまうはずです。このスピノールという人類の最前線を担う事業体と、これらそういった最前線に参加することを嫌う人の対立というのは、小川一水さんの巨大な想像力のベースであるようですね。たしか、『天涯の砦』でもこのスピノールという組織は出てきましたもの。この作家は、勉強して出どんどん世界を広げる方なので、今後この設定を突き詰めていくのが楽しみです。ちなみに、この人類の推進力を担うものと、バックヤードに残る人々との存在のあり方の二極化、というのは、SFのテーマでも基本的なもので、僕には栗本薫さんの『レダ』『メディア9』などのスペースマンと地球人の葛藤を思い出します。これも傑作だったなぁ。

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あっと、話がまたそれにそれた。そんでもって、僕らの生きる現代社会は、技術によってその過程があまりに複雑になり過ぎたが故に隠されてしまう、ブラックボックス化の社会なので、その不透明感が、人々の生きる動機や感動を奪いやすい。単純な話で、ならば、そのベールをはぎ取る訓練をすればいい、ということです。基本的に、90年代後半からの「人類の知のあり方」は、複雑化してしまったモノをいかに「統合」してユーザーインターフェイスをコンビニエントで体感的なものに戻してやるか?というもので、ようは、人間の体感値を超えてしまったマクロの社会を、いかにわかりやすく体感感覚のレベルにわかるように変化させていくか?ということです。これって、ビジネスでもそうで、SCM(サプライチェーンマネジメント)という概念が出てきたものも、下記で三枝匡さんがおっしゃっているとおり、これは単位物流コストの削減をいっているんではなくて、分業化してバラバラになっている各プロセスを、「一つの意思(=顧客への価値)」のもとに再統合して、極限までそのデザインをシンプル化するという70年代以降の大規模産業社会で、産業が官僚主義的な中央集権で完全にブラックボックス化して停滞した組織の、リノベーション・リストラクチャリングとして生まれた概念で、それが、日本とアメリカという二大資本主義の集積地で生まれた発想なのは、この社会での弊害が最も大きかったからだと思います。

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また話がずれましたが、つまり、このブラックボックス化をはぎ取る志向性」の中に、SFの大枠の概念の提示を、様々な条件で物語としてエンターテイメントとして提出すること、それを読むことってのも入るんだと僕は思うんですよね。過去の偉大なSF作家は、科学者としても一流レベルの人が多く、ともすれば、子供には理解しにくいし、難しことを、大胆にイメージ化して物語として、僕らに届けてくれました。その正統なる末裔のSF作家(?ってもカテゴリーは何でもいいのですが)には、僕ら普通の視点の持ち主が、なかなか見通せない、マクロの巨大な姿を、様々な手練手管を使って見せてくれることにあると思います。そういった意味で、僕は、小川一水さんは、大好きです。もちろん過去の偉大な作品もぜひ読みたいところですが、いま時代にカスタマイズして、僕らに届けてくれる人は、やっぱり稀有ですよね。