評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★4つ)
http://movies.foxjapan.com/hachimitsu/
公開前ですが、これも飛行機の中で見ました。素晴らしかったです。寝不足でしたが、全く眠りませんでした(笑)。なによりも、14歳のダコタ・ファニングが、そのまま14歳の役で主人公を演じているのですが、これがめちゃめちゃかわいい。いや、かわいいというよりも、繊細で壊れてしまいそうな綺麗さでした。アメリカ南部の美しい風景と重なり、とても静謐な感じがして、なんだかじわっとあったかい感じがしました。
舞台は。1964年のサウスダコタ州。このころのアメリカの南部は、人種差別が色濃く残り、またプアホワイトとまではいわないですが、父子家庭のリリィの家も、貧困と人種差別とプランテーション(単一作物栽培)に囲まれた典型的な、貧乏な白人家庭です。今年はオバマ大統領という黒人の大統領が誕生した年だけに、公民権運動が盛り上がった、、、そしてそれと同時に黒人への風当たりもとても強かったこの時代の激しさが、非常に興味深く感じます。
黒人の不当逮捕や、レストランに使用人の黒人を連れて入ることに躊躇する主人公や、リリィが黒人の青年と映画を見ていたのに気づいた白人たちが、「白人の女と一緒にいるなんて許せねぇ!」とリンチにかけようとその黒人の青年を連れ去ってしまうシーンなどは、この時代の南部の雰囲気をよく表しているように感じました。リリィ(ダコタ・ファニング)が少し心を開きかけた黒人の青年が、そのまま連れていかれて行方不明になってしまい、、、どう考えても、リンチで殺されてしまう可能性が高く、どうしようもない無力感にさいなまれながら、家で彼の捜索を待つシーンなどは、何ともいえない気持ちにさせられました。・・・こんな時代があったんだ、ついこの前に。
バラク・オバマ大統領の就任スピーチの中に「60年足らず前ならば、父は地元の食堂に入れなかったかもしれない」というフレーズがありましたが、それを連想しました。
主人公の心の成長などテーマも非常によく練られ、穏やかな輝きに満ちた素晴らしいものなのだが、それより何よりも、この年齢の女の子の繊細で、不安で、不安定な、言葉で何とも形容しがたい雰囲気が、何よりも素晴らしい。演技というよりも、この素の感じを、きちっと引き出した監督は、見事だと思います。
1964年、サウス・カロライナ州。
14歳の少女・リリィ(ダコタ・ファニング)は自分の過ちで4歳の時に大好きな母を失った。
それから10年、彼女は母の死の記憶に囚われ、小さな心の中に深い悲しみを抱え
たったひとりで耐え続けてきた彼女の胸には、いつもひとつの大きな疑問が浮かんでいた。
そんなある日、リリィは一際目立つカリビアン・ピンクの家にたどり着く。
そこには養蜂場を営む誇り高く、知的で魅力的なボートライト3姉妹、オーガスト(クイーン・ラティファ)、ジューン(アリシア・キーズ)、メイ(ソフィー・オコネドー)
が住んでいた。
リリィは、養蜂場を経営する長女・オーガストの仕事を手伝いながら、彼女たち
と共に生活を始める。
そこで彼女は、人との絆、友情、優しさ、勇気、愛に触れ、同時に母の想い、甘い甘いはちみつ色の秘密を知る――。
こういうあらすじなのですが、横暴で暴力的な父親にいじめられる毎日を過ごすリリィ・・・こう書くとよくある感じの話だが、なんというか60年代の南部は、白人だって非常に貧乏な人が多い地域です。南北戦争後、経済の主導権を北部に奪われた南部は、アメリカの中に抱え込まれたある種の発展途上国で、前近代的な古きアメリカを奥深く退廃させたまま、眠りについているような土地でしたから。この成長しても、どこに出口かあるかどうかわからない閉塞感は、大人になりかけの多感な思春期の少年少女にとって、とてもやるせないものです。
ある日、リリィ、耐えきれなくなって、家出をします。その同行者は使用人で、リリィの唯一の小さいころからの味方のロザリンでした。選挙登録に行こうとして白人に暴行を受けて、暴行を受けた側の彼女が警察に捕まり、罪を着せられそうになったからです。
そん二人は、あやふやな記憶で、リリィの母親がいるという街へ、歩き出します。この当てのなさが、不安をあおって、どこにも行くところがない感じがして、まるでロードムービーのようで、よかった。目的もなにもないけれども、「ここから遠ざかりたい」そんな不安定な感情が透けて見えて、なんだか胸にじんわりと染み込むようでした。
そして、そんな時、養蜂で大成功した、カリビアン・ピンクの家に住むボートライト3姉妹(クイーン・ラティファ、アリシア・キーズ、ソフィー・オコネドー)の家にたどりつきます。この長女のオーガストという黒人の女性がいい味を出しているのだが、それまでの、黒人差別がきつく貧しい街の風景を刻みつけた観客には、まるで奇跡のような、この穏やかな空間をつくる3姉妹の家に見せられます。なぜだろうか?。こういう黒人の大家族の「温かさ」が生きているという描写・・・・何かから逃げ込むことのできる「聖域」(サンクチュアリ)として、黒人のファミリーが描かれることが多いような気がする。演技が、雰囲気が、見事なので気づきにくいが、これもまたアメリカ社会に特有の「記号」のような気がする。現実の社会で記号の反復は、それがいいものであればあるほど、差別構造のピースの一つだったりするので、単純に受け止めてはいけないよな、とは思うものの、、、、都市社会の、どこにも出口のない閉そく感、人間関係のギスギスした苦しみから逃れたこうした黒人の大家族というのは、本当に魅力的に映るなぁと思う。
リリィは、ここで手伝いをしながら、自分の心を見つめなおすことになります。
「大切なのは蜂に愛を送ることだ」
このセリフが、全編を支配する価値観です。何かを愛するという行為は、まず自ら愛を送ることからしかはじまりません。リリィにとって母の記憶にはとても大きな秘密が隠されていますが、リリィが大人になることは、苦しんでいるのは自分だけではない、ということに気づくことなんでしょう。けれども、人間は、なかなか自分「が」愛されたい、救われたいという、自分からスタートさせることしかできない生き物です。けれども、ゆったりとした時の中で、その癒しの空間で、自らの真実を直視し、真実から逃げず、まずは、自ら愛を送ること、そういうことができれば、きっとこの出口のない閉塞感の中からだって、きっと・・・・・。
そう思わせてくれる、非常にシンプルな魂の再生のお話です。