自己陶酔に逃げ込まないように自省しよう

ルサンチマン充はいつだって自分を不幸だと主張するが、実はそんなことはないのである。自分を不幸だと主張することで、たっぷりルサンチマンのエロスに浸っていられるのだから。

 本当に苦しんでいるひとは、何としてでもその苦しみの沼から抜け出そうとするものだが、ルサンチマン充は逆に何としてでも沼から出るまいとする。ルサンチマンに浸っていることが快感だからである。

 全くうらやましくも妬ましい。このルサンチマン充め!


SomethingOrange 海燕さんより
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090307/p1


久々に、復帰の海燕節で、うれしいです。ちなみにこのレトリック、栗本薫&伊集院大介ですね、うんうん、僕にはよぉぉくわかります(笑)。


というか、このくだり、ちょっと最近思っていることとダブって、苦笑してしまった。僕はよく「時間がないとか、忙しくてへとへと」だ、とか他人に言うんですが、これって、こんなに忙しい俺ってどうよ!かっこいいだろ!と自己陶酔しているんですね(爆)。実際には、本当に忙しい時には、先週がそうでしたが、一言も発することもできないし(そんな余裕はなし)、たいてい疲れきって反応する力もないことが多い。ほんとは、自己憐憫と自己陶酔、もしくは自己アピールなんだと思うんですよ(←こういうヤらしい心理機構だという自覚があります)。実際に、僕も他人に何かを強制したり、無理を押しとおすため演出的に忙しさ感を演出している気がします。


そういう自分の「逃げ心」や「自己陶酔」には、敏感でないと、ミイラ取りがミイラではないが、「そうである自分にハマって浸かってそこから這い出る努力をしなくなる」と思うんですよね。つらいなら、忙しいなら、疲れるなら、それを改善することこそが、ファーストプライオリティになるはずだから。そして、長期の努力で解決できないことは、この世の中にはそれほどないものだ。改善の努力を全力で為さないならば、それはその人が、自分が「そのままでいい」ことを許していることなんですよね。それは、逃げ。


なんでこういうことをもったのかというと、「時間は自分で作る気になれば作れるもの」だからんだよね。忙しかったり、追い詰められていることは、つまるところ「自己管理能力のなさ」でしかないな、という自覚があるからなんです。実際に軌道にさえ乗れば、自分でも信じられないほどいろいろ捌くことが可能になります。いや、実際、僕は相当忙しいと思いますよ、一般的に見ても(笑)。過去の自分から見るとこなしている量や、しなければならないものは、どんどん急上昇している(大人になるって、役職がつくって・・・そういうことだもんね・・・)。けれども、それをカバーする仕組みや効率よくさばいていく手法を自分なりに開発していけば、なんとかなる・・・どころが、雪だるま式にできることは大きくなっていくものです。


最も重要なことは、「今いる自分の居場所に安住しないこと」だと思うんですよ。自己否定はつらい、けれども、自分を変えずして、世界は変わらない。才能の差や「生まれつき持っているものの差」や、様々な初期設定の差はあります。ときにはそのことに絶望しそうなめまいを覚えることも多いでしょう。でも、人は、「自分がいまいいる地点から」しか現実をつかめませんし、自分の物語は始まりません。その「第一歩」を、いかにレベルが低かろうと、持っているものが少なかろうと、絶望的だろうと、踏み出さなければ、何も起こらないですよね。自己憐憫に逃げ込んでいても、何も変わらない。


ちなみにだからといって、「自己陶酔のレトリック」や「俺ってどうよ!的な自慢のレトリック」を、僕は否定をしません。健全な傲慢さや自己肯定感は、明るく前向きに人生を生きていくための重要なスパイスです。それにまた、シェイクスピアが言ったように、「人に語ることで、悩みは軽くなるもの」だと思うのです。だから、ちゃんとした自己認識があれば、それはいいと思うのです。


無自覚に、「今の自分」を全肯定して、自己憐憫に逃げ込んで自分と世界を変えないように人間になるのだけは、避けたいな、と思う今日この頃です。だって、時間は無情に過ぎ去って、そういう無駄な逃げに落ち込んでいると、取り返しがつかなくなってしまうからです。人生に時あり(聖書)です。その時の、「時」を掴んで、二度と戻らない「いまことの時」を抱きしめて、そこに深くコミットして生きなければ、人生は無駄に過ぎゆくだけになってしまいます。


と、そいうことで、多少の愚痴は、親しい人にぶちまけて(笑)気分を軽くして、がんばって明日から自己管理をして、世界と自分を開けるよう前向きに努力しよう。やってできないことは、この世界にはほとんどない。ちなみに、こういうにのって、海燕さんのブックマークコメントにあったが、優越感ゲームの空中戦」であって、本当に大事なことは、自分自身が、「ああこれで良いんだな」という日々の実感を積み重ねている「現在進行形の感覚」を持てるようにすることで、言葉でどっちが充足しているか比較し合うということではないはずなんだよな。言葉や主張や説得ではなく、行動と結果を!。世の中の人が、とか、そういうことはどうでもいいんだ・・・「自分が」まず自分が救済されなければ、不幸せなままで絶望しているだけじゃないか。それには、言葉を積み重ねても仕方がない。長期の繰り返す行動によって、「自分」と「世界」を変える以外の選択肢なんかないんだもの。だれも、この世界では助けてくれないよ。「自分」を絶望から救えるのは常に、「自分」だけだから。