何事も結果が出るに、時間がかかったりする。自分の思うところ強く主張して貫けば、それだけに反発も多く、短期的には批判にさらされたり、マイナスの評価を食らったりする。正しいと思うことでも、回りに逆らって、主張すれば、いやらしいものだし、うざいものだ、、、人は、自分の意見をはっきり言うやつを、必ずしも短期的には受け入れない。ましてや日本は・・・。短期的っていっても、数年だ・・・・。どうでもいいやつは、それをかさに来て、ガンガン批判したり馬鹿にしたりする・・・。それは、やっぱりつらい・・・。文句を言われて、つらくないはずがない。・・・・けれども、「結果」は、数年単位で出てくる。貫いた矜持とは、たとそれが傲慢とそしられようとも、短くて1年、、時には数年単位で、はっきり結果がともなってくる。結果として、その貫いたことがダメだったということもあれば、良かったということもある、、、、結果はわからない。けれども、世界に挑戦するというのは、ギャンブルみたいなもので、それが自分にとって「正しい」ということを貫いて、結果を待つことこそが、誠実な生き方だし、僕的に「かっこいい」生き方だと思う。わからない(自分の処世術にとって必ずしもそれがプラスかはわからない・・・)けど、「俺はこれが正しいと思う」ということを貫いてこそ、人生だと思う。自分の倫理、自分の論理にとって、「これが誠実だ」と思うことは、いうべきだと、僕は思う。ダメならば、数年単位で、だめ出しがだされるものなんだ。10年前に、営業先でひどくおこられた課長さんがいて・・・・時々(数年に一回)飲んでいたのだが、今回、取締役に出世して、それでも、、、今は仕事では何の関係もないのだが、携帯に(よくメモリに残っていたなーーー数年ぶりだもの)電話がきて飲みにいった。「おまえはほんと生意気だったが、10年やってあそこまでやってくれたのは、おまえだけだった・・・・言い過ぎて悪かったな、、、よくやってくれたよ・・・」と、、、、10年ぶりにいわれた・・・。ちょっち涙が出た。そして、そのとき一緒にやっていたもうひとつの取引先の人は、、、このたび社長に出世!したそうだ・・・。そうえいば、この前、飲みたいとメールが来ていた・・・。自分が正しい、と思うところを、人に批判されても貫いて、それが、数年後に結果として出てくることはうれしいものだ・・・。自分が「これが正しい」と信じたことを、正しいステップで、正しく主張して、それでもだめならば、数年後にそれがわかってくるかもしれない・・・と、思って貫くことが重要だと思う。自分の「美学」を譲るべきではない、と思う。別に偉くなるとか結果とか、そういうことが重要なんじゃない・・・この世界にとって、「それが正しいことだろう!」と思うことを敢然と主張して、それが、世界から受け入れられて、トータルでマクロ的に見て結果が出たときに、「ああ、けっしてまちがなってなかったんだ・・・・・」と思えることがうれしい。だからこそ、矜持を持つべきだ、と、はっきりといえる。考えて、考え抜いて、行動して、、、、それでも正しいと思うならば、もちろん言い方やステップはあるが、譲ってはダメだ。譲ったり、自分の信念を譲るやつには、10年単位での、よかった・・・という思いは訪れないと思う。世界は、試練の場所。自分の思い込みを、人生という最も大事な「時間」をかけて、テストする場所なんだ、と思う。さかしらなことを言うやつは、この10年でみんな消えたよ。世界はそんな甘くはない。小手先の批判をするようなやつは、消えていなくなる・・・・それが、一度しかない自分の人生の数年を、、、二度と帰ることのない数年をかけてもいいことだという覚悟を持っていないやつは、絶対に「これでよかった」と思えない。言葉遊びじゃないもの、世界は。世界はそれほど間違った場所じゃないんだ、と思う。たぶんね(笑)。自分の内面を深め、正しいと思うことを、矜持までもって行き、「礼」にかなった形で敢然と主張しよう・・・・それで答えてくれないほど世界は、ひどいところじゃないと思う・・・たぶん。