『国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国になるか』 デービッド アトキンソン (著) 自分のビジネス経験の実感とめちゃくちゃ一致している


評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

非常に明快で、且ついつもの冷静な視点から、一歩踏み込んで、政策につながるストーリーになっていて、より伝わった気がする。といか、なんか、すげぇ感動した。そうか、そういう構造だったのか、としみじみ感じたよ。前著、『日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義』と同じ主張且つ同じロジックなんですが、力点の置き場所、解決策への力点の置き方が全然違う。興味深かった。というのは、これはアジテーションだと思うのだ。


最低賃金を上げる」ことによって経営者のインセンティヴメカニズムを変えて、産業構造の変革を促進する、というのは同じ主張。


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しかしながら、いままで日本社会が、産業構造を変えなければいけない、効率化しなければならないといいつつ、全然進まなかったのはなぜか?の理由がフォーカスされている。フォーカスというより、アジテーションに近いと思う。よほど、日本の中小企業の経営者の反応に腹を据えかねた(笑)というか、彼らこそがラスボスというのが、反論を受けていく過程で身に染みて分かったんだろう。

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もちろん、労働市場の流動化を目指していたのは、そもそも根本目的である「産業構造を変えること」だったのだが、正社員の既得権益化に守られて結局非正規雇用増加、女性のや移民などの、労働者の所得から差し引く効果しか生まなかったのがこの20年と喝破する。


これは、経営者にインセンティヴメカニズムがないから、というのが旧来の主張。けれども、ここで強調されているのは、日本社会の30人未満の小規模企業の労働者比率の高さ。29.9%は、スペイン27%やギリシャ35%の間。これは1964年の中小企業基本の制定以来、一気に企業者数が増えていることから、政策によって導かれた結果なのがわかる。ちなみにアメリカは11%、ドイツは13%。アメリカ社会の生産性の高さは、労働者の大企業で働く率が極端に高いことからきているというのはカナダ銀行の分析。ここで重要なのは、日本の大企業の問題ではないということ。いやそうはいっていないが、ボリューム的に言って、最優先順位は、日本の中小企業の非効率の差であって、大企業はしょせん社会にインパクトがない。本来ターゲットにすべきは、日本の中小企業の経営者だったのだ、という気づき。


ここ日本の可能性がある。国際人材評価は、世界4位と高いのに、生産性が29位と先進国最下位レベルに一気に落ちる。この説明が、これまで難しかった。通常の国際競争力では、この数字がほぼ一致するのに、日本には乖離がある。いいかえれば、労働者の質は高いのに、非効率的な組織、経営が過半を占めているということ。けど、日本の大企業が、それほどひどいのか?というと、それ以前に、日本社会の産業構造が大企業比率が低いことに注目する。大企業が生産性を改善しても、日本社会広範囲には影響しない。つまり、大企業を批判しても、あまり意味はないんだよね。


人口減少社会において、日本社会の内需が拡大しない中で、企業者数(特に中小企業が)減らないので、1)価格競争に陥る構造、2)経営者の動機付けがないので価格競争のマイナスを労働者に転嫁する、という構造がこの失われた20年に根づいてしまった。いいかえれば、中小企業の経営者、経営者全般のマインドが、安い労働力を搾取して使い捨てることが、コモンセンスとして構造化してしまった。


日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義


だから政策的に「最低賃金を上げる」。


それは非効率で生産性向上が見込めない「多すぎる中小企業」を、中堅企業並み(EUアメリカの定義と同じく)にする企業結合を促すこと。大企業は、銀行の数十行が、3行ちょっとに統合されていることなど、企業結合は進んでいる。冷徹な分析だなと思うのは、人口減少によって需要が減る日本社会で、中小企業が価格転嫁をできず、それを労働者のコストでも吸収できないと、「実施できることは何一つない」と見なしてい点。規模を大きくする(=企業結合)以外にほとんど選択肢がないと見なしていること。「頑張ろう!」とか「努力する!」とか、そういうどうでもいいロマン主義は、一切考えていない。とりわけ、日本の中小企業が自助努力で、何とかするという現在の中小企業の経営者の主張は、この20年以上いっさいなにも進展せず、労働者を使い捨てにしてきた事実から、そういう無駄な幻想、期待は一切意味がないと喝破しているのも、さすが。ようは、政府が「最低賃金の上昇という強制」をしなければ、すべて労働者に価格転嫁するだけなのは、過去20年以上の事実なので、全く選択肢としては意味がないというのが、はっきり言われているのが、さすがだなーーと。

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ちなみに、さらに冷徹な分析だな、と思うのは、生産性が「非効率」というのを、日本文化とか日本企業文化などの曖昧で意味不明なものに収斂させず、小規模企業が多すぎて、設備投資が進んでおらず、安い人材を使い捨てにする構造が、他国よりも多い比率の産業構造だからと説明するのは、非常にクリアー。文化とか曖昧なものは、無視する姿勢が、素晴らしい。大企業の生産性が高いのは、単純に設備投資や技術革新を取り入れる余裕があることで、同じ人材に対してかけられる生産性向上投資の比率が上がっている、というのをデータで論証しているのもさすが。これは、僕の20年以上のビジネス経験、日本とアメリカの会社で働き、アジア中をずっと回ってきて、ヨーロッパ企業と交渉してきた経験からも、合致する。大企業の差は、あんまりないと思う。むしろ、会社の規模の差の方が、物凄い差になる。あとは、産業分野。成長率の高いところは、ベンチャーや小さい企業がいっぱい競合するので、当然「小中規模の発想」になる。むしろ変数は、常に「規模の差」なんじゃねぇ、と僕は思う。


というストーリーは、非常に面白かった。これが正しいかどうかは、何とも言えないが、個人的な実感とはとてもあっているので、非常に読みごたえがあった。


それにもう一つアジテーション、、、というより、なるほど、というストーリーが1つ。


一つは、日本の企業保護の体質がなぜ生まれたか?というのを、外資からの乗っ取り、植民地化への恐怖が激しいとしている点。明確に、年次データがあるので、恣意的にそういう構造が政府によって作られたことが明確なのも素晴らしかった。



なので、待ったなしの中小企業の比率が高いのを変えていかなければならないという理屈を、同じ「植民地化の恐怖」に置き換えてつなげているのが、おおと唸った。


もし単純に、中国が怖いとか凄いいうだけならば、それはダメな意味でのアジテーションに堕してしまうのだろうが、これについては、僕は人生で、日本の財政健全化が必要な理由として、一番、なんというか腑に落ちた。なるほど、と唸ったよ。いわれてみれば、単純で、そんな大したことでもないが、強調されると、おおっと唸る。さすがの発想のキレだよ。難しい経済学的理屈よりも、直感、実感的に、とてもリーズナブル。


日本が自然災害大国であり、とりわけ巨大地震に周期的に襲われ、その可能性が最も高いのは高度集積化が進んでいる東京。いったん複合災害に襲われると、国富が凄まじい勢いで吹っ飛ぶ。「だから」その復興予算のために、常に「財政をあるレベルで健全化している必要性」が、ある。これ、物凄い説得的。


また、日本が、複合災害で、復興予算の借り入れが必要に迫られたときに、現在の世界で、それだけの規模の資金援助ができる国家は、中国だけだろう。なので、日本が独自で対応できない部分は、資金を融通する国家に対して依存し、それを通して支配されるリスクが常にある。。。。これ、個人的には、まじでなるほど、、、と思ったよ。


財政を健全化すれば、その分だけ、政府が縮小するので、再分配というか、リベラリズムの貫徹から遠ざかる可能性がある。ケインズ政策のストーリーが、支持されるのは、こうした見地が大きいといつも思う。大きな政府と小さな政府の、道徳的な視点だよね。しかし、大規模自然災害のリスクが極端い社会日本では、それによる「他国からの経済植民地支配」のリスク回避のために、財政のあるレベルの健全化していないとまずい。だから、放漫な大きな政府を無条件には支持できないという構造は、いやはや納得の一言だよ。もちろんレイヤーレベル、いろいろ議論はあるだろうけれども、問題の構造は、クリアーだとおもった。

究極的に、日本が外資乗っ取りを防止して中小企業の保護が進んだ理由が、「全く同じ」というのが素晴らしい。日本社会にある、根柢の恐怖を、アジテーションするのは、リーズナブルだと思う。


ちなみに、僕は、ほんとSFというか物語の脳なので、まったくもって、小川一水さんの小説を思い出しましたよ、これ。まさに、この話だよ(笑)。


復活の地1


復活の地 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)