恩寵とは?

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編

それにしても、『1Q84』のあまりの素晴らしさにインスピレーションを得て、村上春樹作品を少しづつ読み返しているのだが・・・いったい僕は今までなんでこんなにも重要な概念を見過ごしていたんだろう。そう思わせる気づきがいくつもあって、村上文学の踏破してきた深みに、胸が高鳴る。少しづつ読み解こうと思っているのだが、これを読んでいて重要な概念が一つ分かった。それは、「恩寵」という概念。村上春樹の作品には、ある種の恩寵を体験しながら、それに到達できなかったか、もしくはただ通り過ぎただけで、「その時」を生かしきれなかったその後、、、、全てが失われて損なわれてしまった、カスのような人生を生きるという地獄が何度も描写される。

このことは、いったい「どんなものが恩寵なのか?」ということを、ある程度抽象的に仮定なり想定しておかないと、読者は、いったい何のことを言っているのか?って????になってしまうと思う。いや、井戸の中の体調の光のシーンなど、圧巻で、人が恩寵を得る時の凄さを十全に伝えているので、「その感じ」は分かるのだが、人間が救済を得、もう一度恩寵を再現できるためには、感覚でわかればいいわけではなく、概念として理解しなければならないと思うんだ。そして、この概念は、文学上の絵空事ではないと僕は思う。物凄く誤解を招きそうではあるが、これって実存の一種なんだと思うんだよね。「自己とは何か?」ということを追い求めていく果てにある、一つの答えなのだろうと思う。そう、これはコリン・ウィルソンが『アウトサイダー』でいった問題なんだ。

もう少し自分の言葉でうまく説明でき量に、読み込みます。ああ・・・素晴らしい本です。読んでいてひしひしと胸を打ちます。

アウトサイダー (集英社文庫)
アウトサイダー (集英社文庫)