『ネクスト・マーケット』 C.K.プラハラード著 新しい形での貧困と格差の解決アプローチ

ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略 (ウォートン経営戦略シリーズ)
ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略 (ウォートン経営戦略シリーズ)


評価:★★★★★星5つのマスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つ)



■中長期の戦略を考える上で〜次の次の波を読むことの重要性


あるコンサルタントの人から紹介してもらった本。戦略を勉強するなら読んでおくべき、と。それは、この本が、いわゆる貧困層・・・・ブリックスなどの次にくるマーケットを話題にしている本であり、ミドルスパンでの国家戦略や企業のグローバル戦略を考えるときに重要な視点だからだ。まだもう少し先の話でははあろうだろうが、「その時」が来た時には十分準備できていなければだめなのだ。そういう意味では、これが2004年の全米で最も売れたビジネス書というのは、やはりアメリカ人はイノヴェーションやフロンティアスピリットあふれる集団なんだあーと感心する。日本人が、決してイノヴェーションに弱いわけだとは僕は思わないが、集団としては最初の第一歩にチャレンジするという気概が少ないのも事実で、それが個人生活もなかなか反映しにくくすぐ安定した引きこもりを目指したがるのも事実。そういう意味では、これ一つとってもアメリカの偉大さを僕は感じてしまうなぁ。

ちなみに、プラハラードさんは、あの古典的名著『コア・コンピタンス経営』の著者でもあります。


コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略 (日経ビジネス人文庫)
コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略 (日経ビジネス人文庫)

ちなみに卑近な例ですが、皆さんは人生設計をどう考えますか?

僕はいつも思うのだけれども、なんで人って集団だとこんなにもばかになってしまうのだろと思うのですよ。もちろん自分も含んで。就職活動でも、投資熱のバブルでも、会社の新しい事業への挑戦でも、みんな「いま現在の波」に乗ろうとするんですよね。でもわかると思いますが、大多数の人が波を感じている時点でその波は、もう乗れないもんなんですよ。乗るには遅すぎるし、たいていそういう波を利用しようとするハゲタカファンドアビトラージ大好き狩猟民族集団のいいカモにされるだけなんです。メディアで、大々的に報道されているとかブームなどは、たいてい人為的に煽っている嘘ですから。「いま現在の波」に乗ろうとする姿勢は、ようはリスクに挑戦する気概のなさで、人の尻馬に乗ろうとしている小賢しい逃げの態度なんですよ。だから、リスクに挑戦するギャンブル野郎に、いい食い物にされるんです。

だから、人生みたいな大切なものをかけるときは、ちゃんと歴史を勉強した上で、いま現在の次の「次」を想定して努力するものなんです。というか、僕もできているわけではないですが、そうありたいと考えています。なぜならば、「波に乗る」ってのも、実は凄く技術や努力がいることで、何となくたやすく乗れる場合は、絶対に食い物にされます。株や投資を見るとその辺はよくわかります。だから、リスクをヘッジしてハイリターンを狙おうとすると、慎重な、長期間の準備が必要なんです。


たとえば、僕らの父親や祖父の時代は、就職するのには銀行や重厚長大産業が花形でしたが、いまや見る影もありません。その時花形だというものを選んだ人には、あまりいいご褒美はもらえませんでした。たとえば、そのころ日本には小さな事務所しかなかった(実質二人とか)石油メジャーの日本駐在事務所やマッキンゼーの事務所に就職した八城さん(元新生銀行CEO)や大前研一マッキンゼー元代表)とか、、、、チャレンジした人は、世界的なレベルでの活躍をしています。そのコンサルタントなどの職業のブームも去りました。会計事務所系の会社なんか簡単に潰れていきましたよね。外資金融だってそうです。これは極端な例ですが、つまりね、いますでに有名になっているものを選ぶ人は、馬鹿なんですよ、ということ。ブームの前に、自らの目で選ぶ力がない人に、いいご褒美はないということです。


では、戦略・・・・何かを選択する行為というのもそういうこと。いまの次にくるものを想定して、そこにリスクを取って、人生という掛け金を載せる・・・・そういうことをしていないと、人生で勝つことはなかなかできません。勝つことが正しさとは限りませんが、勝てない言い訳は僕は聞きたくない言いたくないです。哲学的な政治的な問いはともかく、個人は、やっぱり競争に負けたらこの世界では幸せには生きられません。少なくとも、大事な人(=愛する人たち)を守ること不可能になってしまいます。マクロの公の正しさは必要ですが、それ以前に個人の自尊と愛する人を守れないなんて負け犬にはなりたくないですからね、、少なくとも僕は。

■競争主義の果てに〜資本主義の世界で価値ばかり追うこと

おおっと、話が、ストレートに競争万歳の話に行きすぎました(笑)。でも、前にも書いたのですが、僕は自分が意見を持った時に、その全く極端に反対の意見はないか?って考える癖があります。それは、自分思い込みを打破するためです。そう、じゃー競争することは正のはわかる。競争の原理が働いているところでは、競争はいい結果ばかりを生み出しますし、そこで努力しない人がそれなりのペイしかもらえないのは当然。それは公正(=フェアネス)だからです。でも、、、、、じゃーそもそも競争の原理がちゃんと機能していない世界や、そもそも競争のルールにエントリーすらできないプレイヤーのことを、無視していいのだろうか?。また実は、競争のルールそのものが、競争できない層を収奪しているのではないか(=これは事実)?という問いにないます。この基本概念は、カール・マルクスの資本主義分析ですね。

そう僕がよく言うアフリカ問題やプア・ワーキングの問題です。

けど、僕は実は、福祉の話やNGOの話、開発経済学や途上国への援助の話は大嫌いなんです。なんかむかついて仕方がなくて…むかしからそうなんですよ。なんでかな??って思うんですが・・・学生の頃海外のNGOの手伝いをしてみたりいろいろやったんですが、どーもなんか性にあわねーなーと思って・・・。

それはね、たぶん、

天は自らたすくものをたすく

・・あれ、これって福沢諭吉先生だっけ?、、、、援助や人から助けてもらうことは、関わる人も助けてもらう人もすべてをダメにするって意識が僕には強いからなんです。そう、福沢諭吉先生がおっしゃった言葉通り、すべては、独立していなけれだめで、依存とはすなわち搾取の肯定なんですよ。たとえそれが、どれほど搾取している側が悪くとも、それに抵抗できないやつや独立できないやつはだめなんだ!って思うのです。

傲慢な援助
傲慢な援助


自由は、闘って勝ちとるもので、奪うのも維持するのも、コストがベラボウにかかるものなんですよ。・・・・そう思うと、ほとんどNGOや援助って・・・・そう援助…与えてやるという傲慢な意識丸出しで、もらうほうも貰っやっているという奴隷根性丸出しの居直りなんですよ。どっちも、実は相手をバカにしているんですよ。それはわかりますよ。だって、独立した同士の対等な関係性ではないんだから。だから、、、、、開発や援助とかそういった姿勢は、、、今までの考え方は、僕はその高邁な理想は認めるけれども、何かが違うってずっと思っていました。それじゃーそのアプローチではだめなんだって思っていました。

その答えが見事な形で、しかも具体性を伴って出ているので、この本の最初の部分だけで衝撃を受けました。


■この本の著者プラハラード氏の志

さて、①次の次にくるものが何かを考えないと人生は勝てない、と僕は言いました。また、②勝つのは搾取しているやつらばかりで、弱いものが虐げられるのが競争の無限肯定だ、とも。そうすると、当然次にくるのは、公正な競争原理が働く方法で、競争のルールにエントリーできない層を競争原理の世界にフェアに参加させるための手法があって、その手法が少し先の話ではあるが、先に始めたものが非常に儲かったり人生で得をするというものがないかどうか?ってことですよね?。そう、それがある!という原理を描いたのがこの本なんです。まだ完ぺきな理論書とは言わないです。けれども、その志とみているイメージは、素晴らしい、と僕は思う。


p11はじめにから引用


「世界中の最も貧しい人々に対して、我々は何をしているのだろうか?優れた技術や、経営のノウハウ、投資する力を持ちながら、世界中に広がる貧困や公民権剥奪の問題に少しも貢献できないのはなぜなのか?あらゆる人々に恩恵をもたらす包括的な資本主義をなぜ作り出せないのか?」

こう最初に著者は問いかけます。

ここからがダイナミックな思考の旅の始まりです。