■日常系のアニメを見よ!〜レスター伯の薦め
レスター伯さんとラジオをした時に、強烈に日常系のアニメの意味を強く勧められて、その流れで、『あの花』と『日常』と『アマガミSS』と『花咲くいろは』を見よう!と志したのは、先日。自分にもとても勉強になったし、↓録音に失敗してしまったので、アーカイブには残らないので下記にLDさんに時期限定で公開してありますので、ぜひ聴いてみてください。特に後半のレスター伯が波に乗ってきてからの聞きごたえが最高です。いきなりの参加をお願いした、海燕さん、レスター伯さん、敷居さん、sajikiさんに多謝を。こういう出会いがあるのは、とても素晴らしいことです。今期のアニメは傑作というかリアルタイムで見ておくと、いろいろ感興が湧きそうなものなので、ぜひ、↓下記のラジオの後半の話をベースに、追うことをお勧めします。
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane : ラジオのデータ公開中
〜The summer must pass〜『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
http://rui-r.at.webry.info/201105/article_3.html
2011年4月期のTVアニメーションは、数多い作品の中
とりわけ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』
(以下『あの花』)に痺れています。
ストレートに『true tears』級の傑作になりうる、と思っているのですが
自分は「『true tears』は2000年代の最高傑作」とする人なので
その人にここまで言わせるのは、簡単な事ではありません。
かの作品以来、脚本家・岡田麿里を過去まで辿り
丁寧に追いかけてきた身としては、まさにこちらの思っていた
「岡田麿里の作家性」が溢れている、答え合わせのような作品になっていると思います。
この作品を味わう上で様々な視点があるかとは思いますが
個人的には岡田麿里を中心とした
true tears或いは監督西村純二と、本作或いは監督長井龍雪の
やじろべえのようなものとして眺めるのが「面白い」と思っています。
ひまわりのむく頃に
ちなみに、↑ルイさんが、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』について、こんなこと言っているくらいです!。
■記憶とノスタルジーをめぐる物語
さっそくはじまっていたので、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の「第4話 白の、リボンのワンピース」 見た。まった背景もわからない、知識もない状態で見ましたが、ああ、もうはっきりとわかる傑作ですね。これ、リアルタイムで見ないとダメな物語だと思う。ぜひ、余裕がある人はお薦めです。僕もリアルタイムで追うと思いますので。こういうノスタルジ色が濃い青春物語は、「その時を生きる」感じをリアルタイムで追わないと、後からは入りにくい物語のような気がするので・・・・。さっき見たのですが、まったく関係性の構図が分からない状態でこの文章を書いていますが、メンマ(?これあだ名だよねぇ?)というたぶん幽霊なのか、が現れてきて、昔の子供時代に仲がよかった仲間がもう一度集まるきっかけを作った、という脚本になっているんだと思いますが、、、、、
びっくりしたのですが、このメンマという女の子、前回見てた『フラクタル』の主人公の女の子のネッサにそっくりなんですよ感じが。ああ、岡田麿里さんのテイストなんだな、とはっきり感じられました。これだけはっきりと脚本家が感じられるのは、才能なんだろうなぁ。特に『フラクタル』は、ほとんど彼女のアイディアははいってない感じに見えるのに、テイストがとても似ている。関係性を紡ぐ能力というのは、如実に出るものなのだ。
おっと、本題に戻ると、この構造って、非常に古くて新しい。青春を描くときには、この記憶とノスタルジーをベースに描く手法がそのコアにあると僕は思っています。ちなみに、レスター伯さんが、
1996年のフジテレビのテレビドラマ『白線流し』
http://www.fujitv.co.jp/hakusen/f_drama.html
を凄く思い出したと言っていたが、僕もまさに連想しました。僕は、『白線流し』はちゃんとみていないので、時々放送されるのを、ちらっとみていただけですが(これはリアルタイムに見ていないと感情移入が難しい系統なんだと僕は思う)・・・この濃厚なノスタルジーの雰囲気は、非常に印象的でした。ちらっと見るだけで、それが伝わってくるんだから、すげぇよなぁ、、、と。主題歌のスピッツの全盛時代ですが、おしいかな、、、このへんの時代は、僕は物語世界よりも現実にコミットしていた時代なので、僕の中の内的宇宙にはこの記憶が凄く薄いのです・・・それが少し残念。けれども逆をいえば、学生時代のスピッツなどの全盛の雰囲気は、色濃く現実に体験しているので、この主題歌を聞くだけで、様々な思いが身体によみがえってきます。好きな子とデートしてカラオケで歌った曲とか・・・ね。まぁ同時代的な作品なのでしょうね。↓これ予告ですが、まぁ見てみてください。ノスタルジー色濃厚ですから。
まだうまく言葉がまとまっていないし、もっとレスター伯さんのブログを読みながら、この日常という言葉をめぐる「物事の解析方法」のキーワードをいろいろ考えたいと思うのですが、この記憶とノスタルジーというのは、僕のずっと考えてきた重要なテーマで、それが色濃く出ているこの作品の系統の最新作として、とても注目です。というのは、この物語4話だけ見ても、「子供時代の自分たち(=楽園)」と「現在の自分たち(=失楽園)」という対比で成り立っており、常に、過去の関係性と現在の関係性を対比する形で、、、言い換えれば過去の記憶と現実との照応で、主人公たちは物事見ています。
また、さらにいえば、風景の詳細な書き込みは、これは埼玉ですね。僕はいとこが埼玉にいて、ずっと子供の頃から長い休みは何週間も遊びに行っていたので、めちゃめちゃビビットにこの「失われた近過去の風景」に対して強烈なノスタルジーを感じます。どうも日常空間の演出においては、ノスタルジーは近過去に発動するもののようです。ラジオでの話では、10年前がちょうどいいとか、1990年代がその重要なポイントという話をしています。このへんは非常に興味深いポイントです。動物としてのわれわれは、失われたけれどと直近で経験している近過去(=約10年前くらい?)の風景に強烈な「あの日に帰りたい(=ノスタルジー)」を感じるようなのですが、これを感じられるには、距離感の問題が関係しているようです。ちなみに、音楽はこの風景との親和性が強烈に強くて、ナツメロ(=なつかしのメロディー)という言葉があるように、音楽には、強烈に風景とその時しかない「匂い」を再現する力があります。↓ということで、このEDのセレクションとか、憎いなぁ、と思います。
・・・また、この風景は、都市の風景ではあってはならず、大都市と地方という関係性の中での「地方の風景」という対比によって成り立つようです。この系統の物語のすべてが、子供時代は田舎の地方の風景をベースにしてることからそれが分かります。それは、大都市と地方に強烈な格差があって、その格差のルサンチマンが様々な感情的な思いを紡いでいたからだと言えるでしょう。ところが90年代を過ぎると、それがなくなります(というように見る、いまのところ)。それは、90年代の最後が携帯とネットが全国に拡大普及し終わった時期で、携帯とネットを通して、「都市の不毛で退屈な日常」の倦怠が、急速に暴露されて、「東京へ出れば!」という憧れやキラキラ感が完全に失われたことと期を一にしていると思われます。そう「どこへ行っても同じなんだ!」ということが、アメリカ映画の『ボウリングフォーコロンバイン』や『アメリカンビューティー』のような不毛な郊外社会が広がっているだけだということが、全ての人に実感を伴って普及されたのです。だから、90年代は特別な時代であり、そのネット携帯以前以後というのは、様々な感性にとって大きな端境期になるということが言えると思います。
そして。僕が00年代の終わりに次の時代の物語は、きっと絆を取り戻す話になるという予測を立てていたのですが、この青春のノスタルジーは、失われた楽園の子供時代の関係性をと照応しつつ現在の自分を省みるというスタイルがあり、もう戻ることができない「過去の絆の関係性」への憧れをベースに成り立つということが分かりました。この『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』には、そのへんが濃厚です。
ちなみに、このへんの濃厚さは、ストレートに『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 に出ているのですが、ストレートすぎる故に構造的には、逆に古い気もします。そういう意味で、その他の『日常』と『花咲くいろは』などを、比較してみたいと思っています。いや、今期は、凄い豊作な気がします。たのしー!!。
ちなみに、記憶とノスタルジーをめぐるのに王が強烈な作品で凄くもいつくのが以下です。どれもこれもスーパーレベルの傑作なので、ぜひぜひご照覧あれ。
ちなみに、まだ見ていないが、これも早く見なければ!!!