『クジラの子らは砂上に歌う』 梅田阿比著  久々に見つけたハイファンタジーの安定した作品

クジラの子らは砂上に歌う 1 (ボニータ・コミックス)

客観評価:未完のため未評価
(僕的主観:★★★★★星5つ)

驚いた。もう9巻まで漫画が出ているのに、僕のアンテナに全くひっかかってこなかった。けれど、これ1巻しかまだ読んでいないですが、もう傑作だというのがわかる。この手の夢見がちなハイファンタジーの作品は、ファンタジー系を作りたい作家さんは志すんですが、たいていマクロばかり設計して人が描けず、頭でっかちの作品になりやすいんですよ。けど、1巻読んだけど、これ、凄く地に足がついている。しかもこの内容ですでに9巻まで出ているとは。これ、もうこの事実だけでほぼ傑作になるだろう予感ビンビンです。しかも、もうすぐアニメ化ですよね。もう幸せすぎて、不安になります。先日、いまごろになって『メイドインアビス』を見たんですが、これも、なにこれ、傑作すぎて、泣きそうなんだけどってくらいの凄い作品で、なんか最近すごい作品多すぎないか、、と恐れおののいています。

メイドインアビス Blu-ray BOX 上巻

どっちも、ハイファンタジーともSFともどっちでもカテゴリー的には言えると思うんですが、正面から正攻法で攻める硬派な作品。いわゆる字という部分がなくて、本当に正面突破な作品で、これでこのレベルのエンターテイメント性を保てるって、感心します。それって傑作への第一条件みたいなものなので。


まだ1巻の実なんですが、もう★5つけてもいいなって感じです。こんな渋めの作品なのに、ちゃんと世界が広がっていく感じがする。楽しみで楽しみで仕方がない。


設定的には、『翠星のガルガンティア』を思い出します。砂の海に浮かぶ巨大な漂泊船“泥クジラ”の上で、すべてに孤立して生きる姿は、ケビン・コスナー主演の『ウォーターワールド』(1995)も思い出させるんですが、この文明が崩壊してしまった、文明から孤立して海をさすらうというのは、非常にSF好きというか、クリエイターをとらえてやまないイメージみたいですね。

ウォーターワールド [Blu-ray]


翠星のガルガンティア』の記事で下の様に書いたんですが、

特に、LDさんが強くおっしゃっていましたが、銀河同盟から離れてガルガンティアに着た途端、船内の生活感あふれる描写は、対比が素晴らしく。あの映像だけで、脳内トリップするほど感動的だった、というのは僕も同感です。映像が素晴らしいですね。鳴子ハナハルさんのキャラクターデザインとか、わかってるなー感があって。そうであるにもかかわらず、エロい話やサービス的なのが全くない感じなのが、上品でいいなーって凄い思う。


翠星のガルガンティア』(2014-2015) 監督 村田和也 シリーズ構成 虚淵玄  スターシードになる人類の覚悟を描いた物語
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160425/p2

クジラの子らは砂上に歌う』には、やはり世界ができあがっている安定した画力世界観構築力が1巻の最初から漂います。

翠星のガルガンティア:コンプリート・シリーズ 北米版 / Gargantia: The Complete Series [Blu-ray+DVD][Import]


この漫画家、凄い力量なんですが、この前にどんな作品を書いているんでしょう。なんというのでしょう「その世界がそこにある」というような雰囲気や空気の質感をかける人は、そんなにいるわけではなくて、これがないと、ファンタジーは描けないと僕はいつもおもっています。最近でこういう匂いを強く感じるのは、『不滅のあなたへ』(2016)の大今良時が連想されます。この人も、世界の構築力が高くて最初の一ページ目で、その世界の匂いが感じられるような作家さんです。後逸世界を構築できる密度の濃さがないと、ハイファンタジーというか、ファンタジーの中でも、世界の謎を描くような作品は、マンガや映像では描けないと思うんです。空気の密度とでもいおうか。そうでないと、せっかく異なる世界を描いているのに、「いまの世界の価値観や感覚」がそのまま出てきて、「異なる世界に飛び込んでいる」という、そこの世界の違和感を感じることができなくなっています。


不滅のあなたへ(1) (講談社コミックス)


この系統のSFやハイファンタジーは、僕は文脈で「この世界の手触りを疑う」とか言っていつも考えているのですが、世界が滅びた後や、文明から取り残されている狭い共同体の中から物語が始まります。そうすると、主人公は、ホトンで世界のマクロの仕組みについての手がかりや情報がない状態から物語を始めるわけで、、、それには、その主人公が、この世界は本当に、このままでいいのか?というような世界の仕組みやマクロに関する手触りの違和感から物語の動機が構築されます。なので、この手触りの雰囲気が、濃密に描けなければ、そもそも話として、物凄く薄っぺらくなってしまう。

この作品の面白さの大きな魅力は、SFの伝統的な巨大テーマである「だれが、どのようにこの世界を創ったか?」という部分を、とても丁寧に描いている点です。

性が入れ替わる人種が住む惑星を詳細に描いた超傑作アーシュラ・k・ルグィンの『闇の左手』 と同じタイトルがついていることからも、そういう作品へのオマージュであることは容易に想像できます。おお、そういえば、ル・グィンは、アメリカの西海岸に住んでいて、西の良き魔女とか呼ばれていたような・・・・。ああ、そういえば、ル・グインってフェミニストだったよな。。。そうか、そういうことか。。。


闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))


この西の善き魔女の世界は、外宇宙を航海していた宇宙船が竜の住む星に不時着してしまい、そこに人類が住み着いているという設定です。より大きな星間を統合する政府は、この先住民である竜を保護しようとして、難破して住み着いた人々の移住を促がします。

が、既に、二百年以上が経過しており、もう移民するのは非常に困難でした。

そこで、彼らのリーダーでありコールドスリープで当時の事故を知る者として唯一延命されていたクイーンアンは画期的な提案をします。

竜を駆逐しない国家を作ってみせる!と。



西の善き魔女Ⅵ 闇の左手』萩原規子著/世界を疑う感覚②
https://ameblo.jp/petronius/entry-10006718232.html

西の善き魔女 文庫 全8巻 完結セット (中公文庫)


ちなみに、西の善き魔女は大傑作です。ぜひとも、読んだことがない方はおすすめします。そんでもって、凄い丁寧にお金をかけて描かれているのに、この濃密さが全然なくて悲しいのが『フラクタル』ですね。これぼくは、ダメな例によく挙げるんですが、画力などほかの水準は高いだけに、悲しかったからです。

さてこうして見ると、僕には最初に思った残念な点が一つある。それは宗教について、、、「この世界が僕らがいいる世界とは全く違う現実なんだ」ってことを描写する「怖さ」や「凄味」が弱いことです。というのは、この社会は、フラクタルシステムが形成されてから1000年の時が経過しているという設定ですね。かつ、教団?が「この世界は終わりつつある」ということを伏線でいっていることから、フラクタルシステム「自体」のメンテナンスや開発改良は、どうも現代の人類の手に余るようになんですね。ということは、この教団って、このシステムをベースに生まれたある種の管理のための宗教なわけです。中心のシステムに手を入れられないとすれば、科学ではなく「宗教」になっていくはずなんです。意味は失われて儀式にいろいろなものが変更されているはず。そうであれば、これほど世俗的な感覚が残っているよりは、主人公たちに、僧院への強烈な畏怖や恐怖などの感情があるはずなんですよね。でもそういうのが全然ない。また、そういった宗教性を演出しようとすると、明らかに僕らには理解できないなんらかの感覚が描けないと、、、

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110213/p1
フラクタル』 (FRACTALE)  A-1 Pictures制作 山本寛監督 環境管理型権力からの脱出を人は夢見るのか?

フラクタル第1巻Blu-ray【初回限定生産版】


ちなみに、この濃密さがこれでもかと出ている作品で僕がいつも思い出すのは、宮崎駿さんの『シュナの旅』ですね。この素晴らしさは本当に、恐れおののく。


シュナの旅 (アニメージュ文庫 (B‐001))


いま、こつこつ全巻読んでいるのですが、一話一話が濃密なので、もったいなくてコツコツ読んでいます。