『マブラヴオルタネイティヴ』 毎日帰宅する楽しみ~まだ終わってくれるな・・・いまこの時よ!

マブラヴ オルタネイティヴ(17) (電撃コミックス)

評価:★★★★★5つ 傑作マスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ傑作)

2007年7月の旧館記事リライト再掲です。せっかくアージュの公式放送で出演させていただいたので、こつこつリライトしたヴァージョンを、移動しておこうと思います(もうだいぶ残っていないや、、、)。当時の熱量はなるべく残しつつ、2007年当時の文脈がないとよくわからないこととかもうないリンク先とかは削除して、見やすくした(つもり)。思い返すと、薦められて、君望から始めて、下記の文章を読むと、アンリミぐらいまでは、批評してやろうととか、分析してやろうとか、そういう賢しらな視点が見えますね(笑)。この後、物凄い勢いで、感情が盛り上がって、頭がおかしいくらいハマっていきます。旧館は、管理がまともにできなくなったので閉じてしまったのですが、せっかくの機会なので、自分でも良かったと思う記事は、リライトして載せていこうと思います。明日(2020年4月10日PDT)、アージュさんのYoutubeに出演するので(笑)、今日、まだ仕事が終わっていないけど、もう一つか二つは、できればあげておきたいなぁ、と思いつつ。


以下、2007年7月8日です。。。。もう13年も前なのか、、、、。時が流れるのは早い。


ちなみに、この5日間で、復習のつもりで、マブラヴしべてやり直した!。凄くない、俺!(笑)。

過去の2007年7月の記事をリライトと再掲載。

その1 アージュ素晴らしいよっ! 人が戦う理由がすべて詰まっている!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/130051
その2 日常と非日常の対比から生まれてくるキャラクターの本質
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/131345
その3 自意識の告発〜レイヤーごとにすべての次元でヘタレを叩き潰す
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/131924
その4 クーデター編は、日本のエンターテイメント史に残る傑作だ!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/132238
その5 多選択肢の構造〜なんでも選べるというのは本当は虚偽なんだ!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/133027
その6 冥夜があれほど気高く見えるわけ/虚偽問題に騙されるな!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/135114
その7 夕呼博士の全体を俯瞰する視点〜真の支配者の孤独
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/141110
その8 あいとゆうきのおとぎなし〜多選択肢から唯一性へ
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/13/011540
閑話休題

www.youtube.com


人間というのは弱い生き物です。なかなか自分の非を認められません(笑)。

やばいです・・・・・こんなにおもしろいとわ・・・・・。最初の頃はどう批判的に読み解こうとかメモ書いていたのだが・・・・・・ここまで来ると、もうそういう分析的な視点はできなません。陥落しました(笑)。ええ・・・すみません。死ぬほど面白いです!(断言)。つーか、絵では想像できないほど、熱いです。


これが、先週書いた記事。



先週の時点で、クーデターのシーンで『episode6 忘蜀の下界』らへんでした。この時点で、もう軍門に下りました。たしかに、『君が望む永遠』は、おもしろかったのだが、批判のしようはたくさんあるし、ある意味、嫌悪感を感じる人の正当性はあるなぁとは思っていました。僕はプラスの評価をしていつつも、「動物的快楽のボタン」などと、マイナスのニュアンスを書いていました。自分自身も、100%称揚できない感じでした。それは、万人に見せて価値があるという、質の飛び抜け感がなかったからでしょう。この意見の自体の正当性(=みんながそうおもうであろうともうこと)は今も揺らぎません。永遠の楽園志向を、ベタに動物を刺激するかのようにに執拗に構成する脚本は、確かに見方を変えるとても気持ち悪い。その部分を横に置いて、本質のドラマツゥルギー部分「のみ」に焦点を当てても、海燕さんによるメロドラマでソープドラマにすぎないという指摘は、正しい。美しく骨太だが、陳腐。だから、全体的に批判的な視点で見ていました。

 


そういう意識というのは、なかなか変えることができません。なるほど、『マブラブ~エクストラ編・アンリミテッド編』は、なかなかとはいえ、まだ君のぞの延長線上の世界観でした。同じ批判が通用してしまいます。




しかし、、、、『マブラヴオルタネイティヴ 』は、それをぶっちぎりで飛び越えます。



いままでがんばってスピード競争を自転車でしたいたところで、次はF1とか新幹線か???と考えていたのに、いきなり宇宙ロケットが出てきたようなものです。しかもワープです。驚愕です。しかも、この飛び抜け感が、アージュの以前の全作品をやっていればいるほど、その演出効果が、深ぶかと胸に突き刺さる構造になっています。そう、それは過去のすべての作品をメタ的に解体し尽くす脚本になっている。つまり、、、これ前のすべての作品は、前置きにすぎなかったということになります。


すげぇっ!!!!!!!!!!。


って飛び上ります。



しかも、これが演出できるということは、へたをしたらきみのぞの最初の最初からこの脚本を構想していたとしか考えられません。ということは、、、以前に僕が書いたアージュ批評は、その射程が間違っていたことになります。(まぁ最初からというよりも、動物的快楽ボタンを追及して・・・極限まで行きついたらああなったということでしょうが)。



精確に言うと、『君が望む永遠』や『マブラブ』までは、僕の書いていた評価は完全に当たっていると思います。生理的嫌悪感の評価も、動物的快楽のボタンのあざとさも、正しい。が、オルタでは、この「これまでの演出」をある種の手段として前提として使用していて、これを一気にひっくり返すためにこの演出を極めています。そうすると、僕が書いていたような単純なアージュ批判は、実は製作者側の手のひらで踊っていたことになってしまいます。



それを見極めた上で、、、なおかつ、、、やはりこの演出方法は、汚い・・・あざとすぎる・・・といういわれるのは、なるほどよくわかります。しかしながら、僕はそこまで考えていなかった(笑)。意見といては、まるでディメンジョン(次元)が異なるのです。いや、浅はかだったわ、おれ。



でも、アージュの演出への嫌悪感は、たくさんの人が同意していて、なんとなく「そうだよね」という同意が存在していました。少なくとも、いくつかのブログを見る限りそう思います。しかし、なぜか、オルタまできちっと射程に入れて話している人が少ないと思う(僕にはそう感じる)。まぁ『君が望む永遠』程度では、あーもう二度とこの制作チームの作品はプレイしなくていいや、と思う人が多いのはよくわかりますがね。・・・・にしても、これほどの作品があって、オルタを射程に入れている感想が少ないのが、不思議でしたがない。仮にアージュ作品のダメさを告発するにしても、かなりトーンが変わるはずなのに。


君が望む永遠 ~Rumbling hearts~(通常版)



これってなぜかな?って思うのです。





少なくとも、マブラブオルタネイティヴが発表されているいまでは、このような批判は意味を失うはずなのにです。アージュの作品は、たぶん時間軸的に見て、 きみのぞとマブラブ・・・オルタ以前(2006年以前)で判断されている言説が多いのだと思う。 ぐぐってみても、ほとんど僕的に思うアージュ作品群とオルタの本質的意図に言及しているものがない。(あっ、本質はいま記事で書きためているので、もうすぐ・・・・ってまぁ速くてすぐ、、、時間かかればこの一カ月以内には書きます・・・たぶん)



まず世間の誤解その① 。3年も待たされたという恨みつらみのせいで(笑)、、、、もともとも演出意図であったマブラブ・きみのぞとオルタの「対比構造」が、完全に忘れ去られて、君のぞの世界観だけで・・・・評価が定着してしまったんだと思う。 3年も待てばねー(笑)というのは、わからんでもないです(笑)。そして、世間というものは(=人間というもの)、思い込みから脱却できないものだ。



誤解その②。ましてや、きみのぞ「が」好きということは、ある意味で、表面的な受け取りしかできないダメダメ君の場合が多いと思う。 そういういい方を失礼とすれば、自分の自意識への告発のない楽園を求めるいわゆるエロゲープレイヤーが、素直に受け取った普通の作品であるとも思える。素直な骨太のソープドラマだしね。エロゲー(というかノベルゲーム)の持つ「多選択肢」の包括的体験構造に、骨太ソープドラマを幹に据えたという点で、秀逸な作品ではあるが、それ以上ではない。それだけでいえば、そういうナルシシズムの逃げや癒しを求めている人にとっては、、、、つまりそれまでの数年間アージュを支持した人にとっては、 それをぶち壊す対比演出を行うオルタが、非常に気色悪く思いっきり反発することは否定できない。 逆に、オルタ的なものが好きな人にとっては、きみのぞは、素直に愛せないナルシシズムの逃げに見えるであろう、と思う。ちなみに、どっちも好きというのは変人です。この対比と告発構造を理解して上で、どっちも好きと言い切れたら、僕はその人を成熟した大人と認定しよう(←なんて傲慢な(笑))にしても、メーカーサイドの製作者集団の・・・・この潔くもファンを裏切りまくる姿勢に、なかなか感動を覚えるぜ(笑)。自分たちの作品のもともとの価値をメタ的に解体し続けることでドラマツゥルギーを作り出す姿勢は、えらいなーと思うよマジで。


・・・・『マブラブオルタネイティヴ』までプレイしてみると、、、、アージュ作品はそのすべてが、実は日常と非日常の対比がワンセットで作品世界にたたきこまれている。よくよくその対比を直視すると、素直にベタにはまれない仕組みになっている。 ベタにはまれば、それじゃだめだ!と告発され続けるし、 メタに考えると、基本の演出があまりにベタすぎる 。いやー気持ち悪い、、、誠実な(=いやらしい)演出だ。



いや、、、、・・・・・・・・・・傑作だな。 こういう自意識の告発作品 は、超スキ。



まだ詳細分析は、ゆったり書いているし、まだプレイ自体も終わっていないので、記事はたくさんないですが。順次書きます。いま、1日1時間ぐらい少しづつプレイしています(時間がないのもあるが、終わるのがもったいないのがあります)。この記事を書いている今は、2007年7月8日(日)で、『episode9 終わりなき戦い』です。一日に1時間もプレイできないので、まだまだかかるでしょう。いやーこの至福の時間終わってほしくないです。たぶんこの記事は、マジで書くボリュームになりそうなので、予習をお願いします(笑)。