『マブラヴオルタネイティヴ』 その8 あいとゆうきのおとぎなし~多選択肢から唯一性へ

マブラヴ オルタネイティヴ(17) (電撃コミックス)

評価:★★★★★5つ 傑作マスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ傑作)

Warning!:ネタバレです。これほど作品やらないでネタバレするのはもったいないです。

その1 アージュ素晴らしいよっ! 人が戦う理由がすべて詰まっている!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/130051
その2 日常と非日常の対比から生まれてくるキャラクターの本質
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/131345
その3 自意識の告発〜レイヤーごとにすべての次元でヘタレを叩き潰す
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/131924
その4 クーデター編は、日本のエンターテイメント史に残る傑作だ!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/132238
その5 多選択肢の構造〜なんでも選べるというのは本当は虚偽なんだ!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/133027
その6 冥夜があれほど気高く見えるわけ/虚偽問題に騙されるな!
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/135114
その7 夕呼博士の全体を俯瞰する視点〜真の支配者の孤独
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/10/141110
その8 あいとゆうきのおとぎなし〜多選択肢から唯一性へ
http://petronius.hatenablog.com/entry/2020/04/13/011540


■これまでの議論の再整理~素晴らしすぎいるぜアージュ!!!

やっと、最後の最後の結論まで辿り着きました(苦笑)。この記事は書き終えたかったのですが、さすがに長すぎて辛かったです(笑)。でもそれだけ、この作品の持つ熱量が大きいのでしょうね、何といっても書き終えたのですから。僕の書いた記事の中で最長ではないでしょうか。まとめたので、これで言いたいことは終了です。(この記事は、2007年8月の記事のリライト版再掲です。)この長々とした記事を書くにあたって、やはり根本にあった問いが、好きな女の子を選べるというハーレム構造全盛期の時代の中で、そういう構造自体に逃げ込んでいると、「閉じ込められた世界から抜け出せない」という困難に直面させられることだ。いいかえれば、一人の唯一の相手(純夏)を選ぶことが正しいのだという圧倒的な唯一性への希求。この話題は、その5-6で話題にした問いです。ハーレム的な、たくさんの選択肢を選べるというマルチエンディングに対する否定意識は、どうしてなんだろうか?。なぜ、唯一のルートを選ばないと、世界の謎を克服して、苦しい世界から脱出できないんドあろうか。

マブラブ(=真実の愛)とはどういうことか?なぜそのタイトルになったのだろうか?真実の愛とは何を指すのか?
さて、オルタはこの命題をどう読み解いたのか?この作品のタイトル『マブラブ』…なんか変な名前だが・・・・言いたいことは、マブ(=真実)のラブ(=愛)ってなんですか?って問いだ。その中で、、、、逃げないで、「そこ(=真実の愛)」にたどり着かなければならない理由は何なのか?ってことを、言葉ではなく体感で示さなければならないのだから!!!。やっと、最終結論です。この『マヴラブオルタネイティヴ』(以下オルタと略)という作品を、同時代で傑作の部類に入ると僕が位置付けた真の理由です。って、、記事が長すぎて分割しているので、順次あげるので結論はかなり先になりますが(笑)。


その5 多選択肢の構造~なんでも選べるというのは本当は虚偽なんだ!


この問題を考えていくにあたって、これまでの議論を整理しましょう。まず、この作品は、レイヤーが3つの層に分かれている物語であると僕は書きました。

A:ウハウハ楽園世界(=永遠の日常の視点)



B:人類と非人類の最終戦争の世界(=非日常のバトルモードの視点)



C:並行世界をループする(=AとBの世界をを相互にメタ化する視点)

このCの部分が、この作品の秀逸な部分です。並行世界モノというテーマの究極のポイントである「なぜ主人公が世界をループしてしまうのか?」という謎の原因に、明確な答えを与えて、それを物語の脚本に取り込んで、それがそのものずばりテーマの本質を表現しているからです。もっと作劇的な視点でいえば、「そこからの脱出はどうすればできるのか?」ということが、物語の本質的なテーマである回答になるはずです。



ともすれば、別に、永遠に多選択肢群の中でリープしていてもいいわけです。永遠に日常やその戦いを楽しんでいればいいではないですか。しかし、ゲームを特にマブラヴを何度もしていると、、、、たぶん委員長でもタマでもすべての女の子は攻略可能ですよね?。僕は二人目でさえ、物凄く飽き飽きしました。



そう、、、人間は繰り返しは飽きるのですよ。



繰り返しのループは、それがいかに素晴らしくウハウハな楽園であっても、人間を不毛感に陥らせるのです。この日常の退屈をもって僕は、ナルシシズムの地獄とか檻と呼んでいます。同じことの繰り返しは、人間にとって地獄です。だから、こうしたループする並行世界モノやタイムリープモノは、そのテーマ自体が、「脱出しなければならない」という要請をもっているテーマなんです。



もちろんそこでは、




なぜループするようになったか?という世界の謎





そのループを断ち切るにはどうすればいいのか?という謎




の二つが立ちはだかります。これは、このテーマを内包する作品すべてに共通の疑問です。


さて、まずこの作品のテーマが、「①タケルの勇気を試すビルドゥングスロマン(=ヘタレを潰し続ける)」と「②夕呼博士の全体を俯瞰する視点~真の支配者の孤独」いう対になっていて、こうした楽園の世界のままにいてはいけないんだ、という強い圧力があることは、これまで書きました。



セカイ系の問題点である社会へ踏み込む告発

ヘタレの告発という意味では、ここまで丁寧にすべてはぎ取った作品は、僕は初めて見ました。というのは、自我の弱さ、自意識の弱さを告発するだけの作品は、たくさんあります。けれどもクーデター編のように、それをナショナリティーや人類のために戦う動機まで解体してしまうような、セカイ系にはない「社会的な意味でのヘタレ」という構造にメスを入れている点です。ここでは日本でのクーデターを演出することで、「いま現在我々が置かれている世界情勢」や「米国アングロサクソンとの同盟」について、



他者に安全保障を委ねるということがいかに悲劇的な結果を生むか



ということを、物凄くい冗長に明快に、懇切丁寧に説明してくれる。素晴らしい比喩になっている。このへんの、もう苦しくて見ていられないほどの、しつこいほどの告発の仕方は、ある種の読者には、相当嫌なイメージを持たれていますが、、、僕はそれこそ、こここそが素晴らしい!と絶賛してやまない。ここまで層を明らかにした自我の解体をする、、、層を明らかにするリアリティーへの追及意識はなかなか持てません。



自意識の告発テーマは、自分のこと・・・・たいていは家族関係に還元されて、親のせいだ!とか、またヘタレなことを言うのですが、ここでは、他者に安全保障を委ねて安穏としている国家や社会体制にまで射程距離を入れて描いているのです。



うーん、素晴らしい脚本。



絶賛だ。これは、もちろん僕の愛する村上龍さんの『愛と幻想のファシズム』『5分後の世界』『希望の国エグソダス』『半島を出よ』のテーマとの同形のものです。これらの本がすべて。現代日本人の「存在のあり方」にメスを入れる作品であることは疑いようもありません。エンターテイメントでは、この社会まで告発するという部分が、ウザくなってしまうのか、消費者がついてこないのかなかなか出てきません。それが、見事なエンターテイメントで、しかも萌え作品!~悠陽大好き!(とか叫んでみる)~で演出できて、しかもこれほど胸に迫りくる話に仕立て上げられるなんて素晴らしすぎるぜアージュ


はぁはぁ(少し息が荒くなった)。



えっと、もう一度話を元に戻すと、議論の整理です。多選択肢のループ構造を抜き出ることがこの作品テーマで、その過程でヘタレる主人公(=観客たるユーザーである我々)の甘えを、レイヤー(層)を一つ一つ丁寧に解体して壊していきます。それも執拗に。そうしてすべてのレイヤーをはぎ取られ、なぜ自分がこの並行世界をリープする存在であるか?という疑問に立ち返った時に、この物語の全体構造が明らかになります。


■タケルとスミカの愛の物語


物凄いネタバレですが、ここまで読む人はたいていプレイしている人なので、良しとしましょう。先ほどの命題、




①なぜループするようになったか?という世界の謎




②そのループを断ち切るにはどうすればいいのか?という謎



このループの原因は、BETAという異質の存在に捕虜になった鑑純夏という女の子が、徹底的に人体実験をされ解体されて・・・ついには脳だけの存在としてモルモット扱いされて、そこに、ハイブ奪還のため、アメリカ軍がG弾という特殊兵器(汚染のない核兵器のようなもの)を撃ち込むことによって、脳だけになった彼女の最後の「たけるちゃんと一緒にいたい」という願いが、タケルを永遠のループに閉じ込めることになったというのことです。それは、ある意味、夢オチのようなものですが、人の心が時空を超える!(笑)というとっても気持ちのいい「おとぎばなし」なんですよね。ようは、スミカのタケルへの思いが本物であった、ということなんですもん。別にことの科学的正しさとかはどうでもよくて、そういうふうに理屈づけたことは、とても興味深いです。そもそも最初のメインヒロインとして登場した純夏が、なぜかなかなかオルタでは出てこないことが、見事な謎解きの物語になっていて、僕は本当に唸りました。


■女の子の側からの視点も構造化されている

というのは、これまでが全てタケルという男の子の側の物語でした。ユーザーもエロゲーなので、たいてい男の子でしょう。けれども、ここへきてこの作品構造全体を規定する謎が、実は鑑純夏という女の子からの視点に支配されていたことがわかるんです。


タケルが、ループしてしまうのは、脳だけに解体されて実験動物になっている純夏を、このBのオルタの世界で見つけられないが故に、そこのいる女の子たちと動物のように交尾してしまいます(笑)。と書いたら、失礼か。つまりは、ほとんど見つけるのは不可能に近いんですが、違う異世界パラレルワールド)からタケルを拉致って(って、オルタの世界の本物のタケルは、スミカを守ろうとBETAに素手でつかみかかり、スミカの目の前でバラバラに惨殺されている)、彼女の思いが故に閉じ込めていて、しかも違う女と結ばれた場合には、何度も同じ日に戻ってきてしまうという並行世界のループを繰り返すようにしているんです。



いやーそりゃー捕まって、人体実験にされて、人類に奪還されたときはもうすでに脳だけの存在で、しかも当然人類からもモルモット扱いされるなんて過酷な目にあっているスミカが、無意識でおこなったのが、「たけるちゃんと一緒にいたい!」という嫉妬がベースの独占欲の感情だからといって、、、、それが非難はできないでしょう。



けれども、ここが製作者サイドが、本当に分かっているなーと思うのこの結末部分です。最後の最後に、スミカを選ぶことによって、ついにループする原因が取り除かれて、タケルは元の世界に戻ることができるようになります。だから、もちろん、スミカにとっては自分を選んでくれた時点で、タケルは自分の傍にいられないのですね。この辺は、Aの元の世界のスミカをスミカAとして、オルタの世界をスミカBとか区別した方がわかりやすいのですが、本質ではないので、飛ばします。えっと、結局、スミカは自分を選んでくれたけれども、タケルは去っていくし、そもそも、彼女は最後の最後タケルを守るために命を犠牲にしなければなりませんでした。


これが何を意味するか?


最後の最後で、タケルが戻る世界は、ほとんど最後のスミカの希望通りの世界になるはずだったんですよね。ところが、男だったはずの美琴も女になって来ているし、悠陽も霞も、まったくその世界にいる必要性のない、タケルを大好きなライバルもすべて平等に呼び戻しているんですよ。

これは、何かというと、前に書いた冥夜の存在価値の話なんだと思うんです。

それは、代替選択肢として相対主義の価値LESSの世界に位置づけられていても、その過酷な重荷を背負いその役割を全うし貫き通すことで・・・その思いは一つも報われることがなくとも・・・・・生きていてよかった!、その存在にはオリジナルの輝きがあるのだ!ということを示すことにはなりませんか?。彼女は心から愛するタケルとは最終的には結ばれることはありませんでした。


つまり、並行世界の一つ一つでのタケルと彼女たちの選択はギリギリのもので、たとえば、冥夜と結ばれた話が、、それが地球が滅びる最悪の話であったとしても、それの唯一性を、可能だからといって、上からなかったことにして、ループさせるようなことは神でも許されない罪なんですよ。唯一性を奪っているんですから。それは、倫理にもとる行為。人間の選択の自由という尊厳を、無意識であれ奪ってしまったのですから。そこまでの罪を自覚しなければならないほど、スミカが何かの悪をなしたか、といえばそれはNoだ。結果としてそうなったにすぎない。でも、結果がそうならば、それは贖罪が必要なのだ。罪は罪なのだから。



その責任を、スミカは、すべてとっているんですね。



そして、そのことにスミカは、明確に自覚的に、自分の都合のいい「ナルシシズムの檻」に入ることを、拒否します。タケルとスミカのラブラブの日常を作ることもできたのに。



だから、その潔さに対して、霞が



「ありがとう純夏さん」



と涙するのです。ここで初めて、男の子側の視点のタケルでも、女の子側の視点のスミカでも、両方のナルシシズムを打ち破るという仕組みになっていることがわかります。これは、とても倫理的だ。



■結論:選択自由性の中であえて、唯一性のある選択肢を選ぶこと


この作品が、真実の愛をテーマにしてが故に、マブラブというネーミングをつけたというのは、そういうことです。



つまり、美少女エロゲーの構造通り、どの女の子でも選ぶことはできるのですが、スミカを選ぶという選択肢を選ばない限り、この世界のループという永遠のナルシシズムの地獄から抜け出せないという構造上の仕組みがこの世界には隠れています。



製作者サイドは、このことで何が言いたかったのか?



たくさんの選択肢は、確かにあるように見える。リベラリズムではないが、選択自由は、確かに人を豊かにする。けれども、実は、世界はレイヤーになっていて、隠れた層にその世界の「存在のあり方」とか「仕組み」のようなものがマクロでは隠れているのだ。僕らは、なにも真っ白ななにもない自由な世界で生きているわけではないからだ。自分とは別に、厳然と現実というものは存在するのだ。だから、その現実のありようの「背後に隠れているロジック」に制約されているものを追及しないと、実は、真実の自由には到達しないのだ、と言っているのです。人間はマクロの仕組みに制約されている存在であるということです。人間存在とは、マクロから規定される不自由を自覚的に受け入れていくことでしか、真の自由には到達しない存在なのだ、ということをいいたいわけです。

外部から見ると、スミカを選ばなければいけないというのは、最初から決められた制約のように見えます。しかし、内部にいるタケルの視点では、別に何を選ぶのも自由な状態にあるのです。永遠にスミカに気づかないで、ループすることもありうるでしょうし、それ自体を楽しむこともまた可能です。けれども、人間は、そんな風には生きられません。

この世界にもマクロの制約があります。人類の最終戦争を戦っているタケルには、命よりも大事な戦友との約束や、命と同じくらい好きな人を守るためには、どうしても、この世界でBETAを駆逐し、オルタネイティヴ4の計画を完遂しなければなりません。その使命感のみで何度も何度も、この世界をトライしていくと、必然的に、スミカに行きついてしまうのです。だって彼女は、オルタネイティヴ4のキーなんですから。



つまりね、選択肢が自由のように見えるのは実は虚偽なんだってことです。



人間は、層に隠された世界の背後にあるルールに規定されています。その背後に隠されているルールや仕組みを見抜き解明して利用して、それを乗り越えることでしか真の自由を得ることができないのです。それ以外の選択肢を選ぶことは、それがいかに欲望を満足させようとも、嘘なんです。・・・・まぁ嘘ではないでしょう。先ほど、冥夜の話でも書きましたが、マクロの存在やルールに踏みつぶされる蟻もまた、唯一性の中で健げに生ききっている人間だからです。けれども、タケルという存在にとって選ぶ選択肢は、実は、一つしかないのです。



そのことに気づかないと、いつまでもループの無間地獄にいるだけなのです。



人間の本質的な自由は、自分が目指す本質を見据えた上で、一体どういうふうにマクロによって自らの存在が規定されているかに自覚的でなければ、得ることができないのです。このメタ的な視点、並行世界・リープモノをして、吉宗綱紀さんはこのことを言いたかったのだと思います。ちなみに、これを超える「並行世界からの脱出」の脚本は存在しないと思う。ある意味、脚本の骨組みとしては、この系統の最高レベルまでいきついていると思う。すべての並行もの、リープもの、時間旅行ものが、この原理で説明できるはずだ。


話を戻そう。物凄く単純に分解すれば、この作品は、単純にスミカとタケルの愛のおとぎばなしです。どこにでもあるような。異世界をまたいでも通じ合った魂のお話でした、めでたしめでたしです。けれども、そのためには・・・結論に行きつくには、「あいとゆうき」が必要なんです。タケルがヘタレな自分に打ち勝って、ボロボロを超えるほどのボロボロな自分に鞭打って前へ進む勇気がなければ、オルタ世界の背後の背後に隠されている残酷な真実であるスミカには行き着きません。また、スミカのタケルに対する深い愛がなければ、そもそもこのようなおとぎ話めいたことはおきませんでした。だから、スミカの愛と、タケルの勇気の話なんです。



だからサブタイトルが、「あいとゆうきのおとぎばなし」なんです。



そして、この作品を終了することができれば、数ある選択肢は、、、それは冥夜のような唯一性のある存在であったとしても、すべて虚偽で、その虚偽を乗り越えて、このゲーム世界にある「世界の真実」にたどり着いた先にある愛・・・スミカとの愛が、唯一無二の唯一性のある愛だといっているのです。



だから、真実の愛なんです。いかがでしたでしょうか?。



素晴らしい物語だと思いませんか?。



僕が、エヴァで出された問題、、、90年代以降の自意識の病という問題のあらゆるテーマのごった煮であり、そのテーマ対してエンターテイメントの次元を失わないで答えを出した素晴らしい物語だと評する理由が、納得いただけたでしょうか?。


【#1】男が戦う理由がすべて詰まっている(成長物語の傑作)
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【#2】庵野秀明監督
(TV版『新世紀エヴァンゲリオン』)の問いに唯一答えた物語
http://youtu.be/zefWo6NtSawwww.youtube.com


【#3〜4】
「全人類によるユーラシア奪還戦」という「戦争もの」としての魅力
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