新暗行御史 (第12巻)
尹 仁完 梁 慶一
小学館 2005-11-18
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評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★星4つ)
□すべての人が平等に暮らせるユートピア
洪吉童伝(ホンギルドン伝説)は、韓国の歴史的に有名な義賊モノらしい。日本でいえば石川五右衛門伝説のようなものである。この義賊が持つ理想というのが、「人々が飢えることのない、本当にすべての人々が平等な世の中」というピュアで切ないほどに美しいイメージ。このイメージは、僕らの心をとらえてやまない社会改良の灯火だ。このユートピアのイメージは、時間と空間を越えて世界のすべての民族、歴史に見出される。
□日本の戦前の全体主義志向が持っていた切ない理想主義
ここで僕はなぜか、北一輝と226事件を思い出した。『裕仁天皇の昭和史』の書評 で、僕は、実は226事件や戦前の軍部の人々とりわけ狂信的な青年将校たちがらが、子供が売られてゆき、食べるものもない東北飢饉に代表される超貧困※1)という悲惨な環境で、全体主義的に問題を解決する啓蒙独裁君主(極端な中央集権と計画経済のこと)を望んでいたらしいと書いた。
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001941342.html
裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)
山本 七平
祥伝社 2004-07
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しかし英米系のハイレベルな教育を受けた裕仁天皇は、アングロサクソン系の理想である議会制民主主義による憲法の統治を望んだというねじれが生じていた。ちなみに憲法による統治は、歴史的背景がありかつ激しい収奪による資本蓄積がない社会にはとても困難だと、僕は思う。だから裕仁天皇への評価は微妙だ。彼の持つ最高権力から言えば、戦争責任はあったといえる。それは、事態を収拾できる、厳然とした権力の持ち主であったからだ。しかし、その幼少期に叩き込まれた教育により、アジア唯一の憲法を持つ近代的理想を信じる意志の力は、独裁的に憲法を踏みにじる行為を自らに禁じた偉大な立憲君主でもあった。・・・・世界は難しい。
えっと、ずれましたが、つまりですね、あまりに激しい貧困や子供が人買いに売られてゆき、餓死者が続出する社会で、しかもそういう社会に限って一部の特権階級の富裕と腐敗は凄かったりする※2)。クーデターが続出するフィリピンや南米をみるとわかる。こうした悲惨な状況下で、一部の軍人が、クーデーターを起こし軍隊的な統制で、理想を追求しようとするのは、必然だと思いませんか?。というのは、人類が生み出した組織の中で最も合理的効率的否組織は、軍隊であり、この効率性で社会を運営したら平等で理想的な社会が作れるのではないか?と、夢想するのは、わからないだろうか?。目の前で、家族や友人がバカスカ死んで行くのを止められない無力感と戦うとなれば、なおさらだ。
たとえばね、自分が、姉や妹が遊郭に売られていく、親は餓死する、弟は乞食になる、親友や友人が住む故郷が死の村になるというリアルな経験をしている、大日本帝国軍人だったとする。
たとえば、機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルは大佐でしたが、大佐ってどれくらいの地位か知っています?。下手したら数千人近い部隊の最高司令官ですよ!!。絶対的に命令を聞く最高の人材と、国がバックにいる無尽蔵の設備と資金力に支えられた、ですよ。これは、たとえばちょっと昔の松下幸之助とか大企業のオーナーなんかよりはるかにすごい権力の持ち主なんです。そういう権力の持ち主をはるかに凌駕する実動力の権力者なんです。これほどの権力を持ちながら、自分の故郷が死の村になるのを、ただ座して眺めていられるだろうか?。ここに、クーデターの正統性が生まれるんです。
将官となった大将クラスが政治家になるのに比較して、尉官クラスなど実働部隊の前線指揮官であり、青年将校がクーデーターの指導者になったのはわかる。なぜなら、直接の部下たちの家族が、自分の家族がどんどん死んでいくのだ。それは、耐えられなかろう。226の青年将校らが信じた、ウルトラ右翼的思想と、戦前のラディカルな左翼共産主義思想は、非常に政策として類似性があり、北一輝など思想的バックボーンが重なってしまうのは、この「貧困に苦しむ人類に永遠の平和と平等を!」という目的が一致していたからだと思う。
義賊の意志というのは、このあまりにも悲惨な貧困や苦しみを、見るに見かねるという気持ちから生まれるんだと思います。理不尽に死に行く人々を、無視できないと思うのは、人間のやさしさでしょう。そして、この感情が究極ので極まり理論化されたのが、コミュニズム(=共産主義)です。無産思想ですね。階級をなくし、生産設備を共有化して・・・・などどいう理論はどうでもよくて、ようは、理不尽死に逝く人をなくし、すべての人が平等で飢えたりしないユートピアを求める気持ちです。この原初的な形が、全世界に広がる義賊の思想ではないでしょうか?。この10巻からのテーマである韓民族に伝わる活貧党(ファルビンダン)を組織した洪吉童伝(ホンギルドン伝説)もその一つです。この民話は、理想的社会主義の一形態で、いいかえればユートピア思想の一形態だと思うのです。
9巻で、活貧党(ファルビンダン)のリーダーである桂月香(ケウォルヒャン)という少女は、貧困で一家心中した家族を埋めながら(女の子が一人で腐った死体を埋めながら!)こうつぶやく
「私は、貧しい人たち・・・・不幸な人たちがいない・・・・・・・・皆が平等な世の中を作りたい・・・・」
涙が出ませんか?。僕は、この純粋な気持ちに、打たれる。そして、自分が戦前にたとえば尉官クラスのリーダー(陸軍大学校(いまの東大よりも最難関)出のスーパーエリートであっても、平等な日本の受験システムによりほとんどは、貧しい農民の出であった・・・・・)であったら、この言葉に賛同しないだろうか?。そして、これだけの圧倒的に純粋な気持ちを持つ少女に向かって、主人公はつぶやく
「他人の持っている・・・・・おのおのの事情・・・・・・・・他人が守ろうとしている何か・・・・・・・・・・
お前は・・・・・それをすべて無視してもかまわないほど・・・・・おまえ自身の考えが絶対に正しいと思っているのか・・・・・・
俺は違う・・・・・・・・俺は・・・・・・・暗行御史として・・・・・そんな考えで行う正義がどんなものになるか考えただけでもぞっとするぜ。
俺はこの世の理ってやつを、羅針盤代わりにしているだけだ・・・・」
実は、あまりに悲惨な貧困と苦しみのために立ち上がった桂月香(ケウォルヒャン)という少女に比較して、一見この言葉は意味を為さないように見える。
この世の理?
それってなんだ?
これほどの純粋な弱者救済の思想に対抗できるものなのか?
昔は僕には、その答えが無く、なんとなく不満を抱えたままこういった無産思想のユートピアを叫ぶ活動家を前に、僕は沈黙していたが、この答えは分かってきた。この「この世の理」とは、近代啓蒙主義時代のフランスで皇帝ナポレオン・ボナパルドが体系化した、私有財産の絶対の思想なのだ。ともすれば、私有財産は、資本家や権力者の都合のいい道具とされるが、この思想の究極の起源は、国家や全体よりも、個人を重要視する!という宣言なのだ。
「そんな考えで行う正義がどんなものになるか考えただけでもぞっとするぜ。」
この主人公のセリフに、絶対的な弱者救済のコミュニズム思想が、収容所と大虐殺を生んだという歴史的結論に対する深い洞察をカンジさせる。いやー久しぶりに、大人のファンタジーを堪能したぜっ!
□政治的背景
さすが、北朝鮮という共産主義思想とアジア的皇帝思想の権化と闘う資本主義国家・大韓民国を背景に持つ作者(二人とももちろん当然のように徴兵経験あり!)ならではの、素晴らしく練られた脚本だ。
※1)僕の書評を読んでいる人は、この日本人が飢え死にしている貧困(この時代は日本はまだまだ後進国)のなかで、領土拡張・資源獲得を目標とした侵略のためとはいえ、台湾・韓国・満州に大規模な投資を「自国に優先させて」実施している。なぜだろうか?。これも興味深いテーマだ。日本人が飛びぬけて、正義であったなんてまったく思わない。が、同時になぜ欧米のような後進国の人間を家畜や奴隷として扱おうとしなかったのだろうか?。もちろん、扱おうという思想もあった。しかし、同時に自国のこれだけ凄まじい貧困解決に優先させて、他国に大投資を実施している。台湾は、植民地から投資回収までに50年以上かかったし、韓・朝鮮半島、旧満州中国東北部は、物凄い巨額投資だけして結局一切回収できなかった。
※2)実は、開発経済学を学んだものとして、GNPが一万ドル以下のテイクオフ前の経済において軍事政権や独裁者による開発独裁を僕は否定しない。ある意味、資本主義のルールと近代主義が徹底されていない社会では、すぐに階層が二極分化して、富めるものと貧しいものの二極に分離し、他の大国からの支配を受けやすくなってしまう。この処方策は、アジアで唯一近代化を成し遂げた日本の判例と、その後成功した台湾、韓国をみれば、ある一定期間①軍事的に中央集権化したナショナルな社会による国家防衛と②外国資本を導入しながら傾斜配分方式による民族資本の確立が、絶対的に不可欠なことがわかる。このレベルの国家を、強制的に民主化させたり、人権をたてに先進国と同じ扱いをさせようとするアメリカの強制は、その国を長期的に破壊と混乱を導くことになる。