いわゆる小説ではないと思います。徳川300年の安定社会をつくった三河武士集団を通しての日本人とは何かという評論だと感じました。だから小説を期待すると肩透かしかも。小説と評論の中間印象です。印象的なのは、あとがきで司馬遼太郎が、徳川三百年によって、織豊時代のクリエイティブな日本人が奇形化・矮小化したと否定的にとらえている点でした。山本七平さんの徳川家康観を思い出しました。とはいえ、徳川政権、江戸時代をどういうものを考えるか?ということは、日本人とは何か?という大きな問いに答える基本の問いの一つなので、こういう風にまっ正面からの疑問は、とても興味深い。
三河という今の愛知県の西には織田信長と豊臣秀吉を生んだ尾張国があります。そのすぐ東には松平徳川家の発祥の地である三河国があります。愛知県の西は濃尾平野で開けた稲作と商業の要地でその巨大な生産力と交通の要所という土地柄は、織豊時代の絢爛豪華さと機能主義的で近代的な体質の元になりました。そのため開明的な尾張の兵は、利に敏く平気で主人を裏切る弱兵でした。生涯にわたって兵の弱さには、信長は苦労しました。にもかかわらず近代機能主義的な彼の戦闘集団は、封建社会で圧倒的な力を発揮しました。
ところが信長唯一にして最長20年以上の忠誠と尽くした同盟者家康は、正反対の気質を備えていました。愛知県の東側の三河地方は山岳地帯で、土地が痩せていてキコリや林業を主体とした田舎者で忠誠心深い共同体集団が育ちました。この風土の違いが、尾張では封建日本を崩壊させる機能主義的集団を生み、同時にその同盟者にして同じ地域の東側三河にウルトラ共同体主義者の集団を形成させました。この「三河気質」を、司馬さんは徳川300年と日本人の精神の核を形成する気質と考えています。
良い面で云えば「主人を死んでも裏切らない忠義、利を重視しない実直さ勤勉さ、仲間意識の強さによる集団戦闘力の高さ」。これは世界に知れ渡るの日本人気質「勤勉・実直」な部分です。しかし同時に悪い面で云えば「村社会にありがちの閉鎖性、新しいものへの嫌悪感、集団に馴染めないものへの陰湿狡猾ないじめ、芸術への無理解、戦略性よりも情緒が優先される傾向」。これは現代まで通じる日本人の一側面ですよね。徳川政権や明治維新政府はこれで成功しましたが、旧日本陸軍はこれで大失敗しました。僕自身は、その「どうしようもない暗さ」に注目しました。息苦しい社会ですよねぇ。ただ同調圧力の強烈な均質集団こそが、日本の強さであることもまた否定はできないでしょう。日本を代表する世界的大企業「トヨタ自動車」を凄く連想させられました。
「日本人とは何か?」とは興味深いテーマで、たくさんの文人・学者がこのテーマにチャレンジしています。米国対日戦争担当官のルース・ヴェネェディクト『菊と刀』や、天才山本七平さんの空気(ニューマ)の研究などが有名です。せっかくなので僕が関連に思うものをいくつかあげてみます。
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たとえば僕は漫画家の江川達也さんなんかも、現代日本人論といえると思っています。しかし、やはり『坂の上の雲』に代表される司馬遼太郎による司馬史観だと思います。国民的作家ですしね。日本を事実上支える(意外と原書や原典を読まない)エリートミドルクラスで読んでいない人はいない(笑)というのは、なかなかにすごい。 司馬さんのライフテーマは、ノモンハン事件で青年将校であった頃ソ連の機械化戦車部隊へ旧式装備の歩兵で突撃を命じた、近代日本軍の狂気で死にかけた理不尽さから、なぜあの明治に素晴らしかった日本人が腐ったか、でした。
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
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フィリピンで終戦末期砲兵であった山本七平さんと同じです。彼らは、そのことから日本人の本質とは何かを、執拗に考え続けました。その一つとして読むとこの作品は、非常に読み応えのある作品でした。
一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平
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あと織田信長が「富士山を見たことがなかった」そうで、20年近く自らの覇業のために一日たりとも休みがなかった彼が、生まれて初めて駄々をこねて「富士山が見たい」と云って、富士山の旅行を楽しむシーンが出てきます。彼はその観光旅行の帰宅直後、本能寺で明智光秀に殺されています。子供のように喜ぶ信長のシーンから、家康という人は心から彼を理解していたのですね。生き残る功利主義とはいえ、その「接待」に感動しました。やっぱすげーぜ徳川家康。この辺の歴史をだいたい知っている、という人にお薦めの本です。