これまでずっとなるべく言わないようにしていたのだが、もう平たく/明快に言うことにしました。
1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。
これまでは、1)は言わずに、2)だけ言ってきた。で、「海外で働く」の中でも、私が知っている「シリコンバレーで働く」ことの楽しさ、働くための方法をなるべく具体的に紹介するようにしてきた訳なのであるが、前半も言うことにしました。その理由は、若い人に早く気づいて欲しいから。年を取ったら駄目、というわけではないが、扶養家族が増えて、引退までの年数の方が働いてきた年数より短くなってきたりすると、みるみると進路変更は大変になる。ところが、多くの人が「もはや国内に機会はない」と気づく頃には、そういう「進路変更大変状態」になってしまっていることが多い訳です。
というわけで、明言することにした次第。
海外で勉強して働こう/[渡辺千賀]テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
■どっちがHAPPYですか?〜なんでも一方的に二元論にして選択する必要はないと思う
おおーこれ、話題になっているそうだが、明快な主張だなぁ(笑)。僕は、諦めかけてたんだが、海外で暮らしたり働いたりするだけのスーパービジネスマンにはなれないかなぁ、それに日本捨てられないしぃ・・・・、、、とか思っていたけど、なんか最近不可能ではないかも?ということがいろいろ重なってきて(こういうのって運だよねぇ、僕のは異動とかだもの、、、結婚した時に、自分の人生はこの子を守るので捧げるから、自分が海外に出て行ったりするのはあきらめようと思ったのにさぁ・・・子ども生まれたとたんチャンスが生まれるなんてねぇ・・・(苦笑)。人生万事塞翁が馬。)・・・長年ダメダメだった英語力の飛躍的な向上もあって、この「海外で働いて成功しよう!」「外へ出れば新しいわくわくする輝く未来が待っている!」「海外のエリート教育機関(このブログの著者はスタンフォード大学院だそうだ)でより高しステップアップを!」「アメリカンドリームに代表する、努力と気合いによる、とんでもない成長を!」という、スノッブ(俗物←こう書くけど否定じゃないよ。)な気持はとてもよくわかる。成長を目指すということは、他人を出し抜いて、自分だけ、勝とうって思う利己的な意識がやはり大きく過半を占めるからね。
そして、そんな時、日本の経済が緩やかな下降線にたどっていること、階級や職業などの過剰流動性が封じられた階層固定化の方向へ向かって希望が失われていることは、否定できないもんね。その中で、勝ち組になるには、海外だぜ!と思う気持ちは、論理的だし、よくわかる。実際何も持っていなかった大学時代には、就職して金貯めたら、すぐに会社を辞めてアメリカのMBAをとりに行くつもりだったもの、僕も。日本なんかにいても、正社員という名の社畜として奴隷化いしていくだけで、なにもキラキラするものが見ることはできない、と思っていたもん。結婚する時は「それをあきらめるのか?」と悩んだが、内心の問いにあっさり「まぁこの子のためなら自分はいいや・・・」と思えたので、決断したけど、「そういう選択肢もあった」というのは、今でも思い出す。友人で、海外に旅だった奴もたくさんいる・・・。
ただ「その人が幸せで楽しい人生をおくっているか?」というのは、その後10年を見ていると、実は「どこに行ったか?」ではなくて、その人のナチュラルボーンの性格に起因するところが大きいってことがわかってきた。もちろん、マクロ(ミドルマクロ?)の構造、、、住んでいるところとかある程度のお金の基盤(年収とか親の金とか才能とか運とか)は重要で、努力がほとんど反映しないスキームに乗っていると、しんどいとことはあるかもしれないが、、、、でもそれでもフリーターでも国一合格者のエリート官僚でも、僕のようなバリバリ日本企業の社畜でも、MBAに合格して旅立ってコンサルティングをやって高給取りでも、起業をしてお金をもうけている奴も、NGOをやっているやつも、仕事はてきとーで愛する漫画や小説に埋もれている奴も、、、はっきりいって「人生を楽しめるやつは、どこに行っても楽しんでいる」んだよね。そして、どんなに成功しても人生を楽しめないやつは、どこへ行っても不満ばかりで苦しがっている。さぁ、どっちがHAPPYですか?という質問をしてみたい。
それで、ある程度「目の前のことを頑張っていたり」、「遊び心を持って幅を広げ」そして、「時の大きな(いや中規模な?)決断していく」と、いやいや、なかなか人生楽しいことはいっぱいだぜ?って思う。逃げてすぎると、あまりいいことはないけれども。なんか、何が起きるかわからないしさー(ほんとに)。僕は、性格が歪んでいるので、まさか人を愛するようになるとは思いもよらなかったし(笑)、、、ときどき妻の寝顔とかを見ながら、おいおい、、、おれって、こんな幸せでいいのかよ、とか、ぐっと来る時があるんだけど(←のろけ(笑))、いやまさか「そんなことが?」ということは、なんか人生まじめに走って行動していると(もちろんときどきちょっとのハードシップや遊びやトライはいるけれども?)何が起きるかほんと心底わかんないぜって思います。10年とかのスパンで、「なんか楽しいことしたいよね?」というようなあいまいな希望をもって、がんばっているだけで、いろんなことが人生には訪れてくるものだ。「サラリーマンと乞食は座った場所で決まる」というように、僕の過半会社体験は、ほとんど意に沿わない異動の連続でした。自分に一番向いていないと思われるところに、しかも海外がやりたい!と言って思いっきり国内のどぶ板営業とかに回されるし(笑)、、、、でも、まーなんとかなるもんだよ。だから、このブログのような、なんか過剰に思い入れて成長を目指す人って、ウウーンと思ってしまう。成功すればいいけれども、「大きな賭け」には、成功者の影に大失敗者が、たくさんいて死屍累々の屍をさらしているってことを、みんなわかっているかなぁ?とか・・・。
■先に解決すべきは内的なナルシシズムの檻から抜け出すことで、物理的に脱出することじゃあないと思う
えっとねー何をいっているかというと、僕はずっと書評とか映画にことよせて、「今この世界から脱出したい」「どこか違う世界に行ってしまいたい」という脱出願望が物語の類型・・・・人の動機の中にはマインドセットされているんだけれども、時にはそういう人生を変えてしまうようなチャレンジへの決断(=たとえば海外で働くとか勉強するとか)は、もちろん否定しないんだけれども、それがようは脱出願望(=現在からの逃げ)であるうちは、幸せは訪れないと思うんだってことなんだ。「いま、ここで、生きていることを楽しむ充実させる」という、内面的豊かさとを獲得できない限り、「どこへ行っても不幸感覚はついてまわる」そういうものは、成長や金や留学とかでは、全然手に入らないんだよ。そういうので成功している友人と話せば話すほど、強烈にそれを思うようになったよ。もちろんね、この論理でいけば「そういった今を足る」内的充実を獲得していれば、、、、これは僕の言うナルシシズムからの脱出というやつなんだけれども、、、そうすれば、もちろん、成功したり広い世界に出ることは、わくわくして素晴らしいことではあるんだよ。それがより「価値と意味がある」かどうかは別にして、やっぱり、激しく人ができないような「行動」をするということは、それがナルシシズムの反動やルサンチマンの反映でない限りは、とても幸福なことだからねぇ。
■ヨーロッパ病の世界(成長のない世界)の弛緩した良さ、というのだって否定できないんだぜ?(常い成長が正しいというような時代はとっくに終わっているんだけどなぁ・・・
今の私が考える、日本の20年後ぐらいの将来はこんな感じだ。
ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
ワーストケース:閉塞感と絶望と貧困に苛まされる層が増加、右傾化・極端で独りよがりな国粋主義の台頭を促す。
海外で勉強して働こう/[渡辺千賀]テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
希望を捨てる勇気/池田信夫 blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6f12938eaad206d10b7629456f0a051e
成長率マイナスのヨーロッパ病の社会へ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090419/p3
僕は、この渡辺千賀さんというのが、どういうモチベーションと背景を持つ人かがさっぱりわからないんですが、まぁ内容だけ見ると、とてもいいところを突いているとは思うんだけれども、大きなお世話だよなぁーと思う。社会認識は、うん、ファクト自身は、日本の未来を考えるうえでは、まぁそうかなーと思う。池田信夫さんのブログで書かれていたことも、それと同じことだよね。日本が緩やかな衰退のフェィズに入って、既得権益を守る層の台頭と固定化によって階級化していく・・・まぁ、日本の中の絶対値だけを見れば、それはなるほどと思う。
けど、僕はヨーロッパの友人とかと話していると、あーヨーロッパの成長しない階級化された世界って、現実は絶望的だし希望も皆無だけど、、、、ゆるくて幸せそうだなーといつも思うんだ。仕事していて、長期間休むことに何ら疑問を抱かないあの感覚は、、、、あのやる気LESSな、弛緩した感覚は、うらやましいよ。「成長(=今ある自分を否定していく)」を目指さないってことは、「いまここにある人生を楽しむ」ってことになるんだ。もちろん、再分配がうまく機能しなければ、貧富の格差やいろんな制限があるのは事実だが、人生なんて、「どこまで行っても制限は消えないん」だから、「受け入れて、おれの分際はここまでだ」と思えたほうが、人は安心するんだと思うんだよなー。こういう発想は、独裁者や全体主義に回収されやすいのでマクロ的には、危険な発想なんだけれども、ヨーロッパの社会みたいに保守と中道左派をいったりきたいりして、ゆるーいリベラリズムと階級化による保守右派のバランスの中で、リベラル(=選択自由性)と、再分配の少なさによる可能性の制限が、ミックスバランスされる社会って、決しいて悪くないんじゃねーの?って思うんだよなー。日本の江戸時代の文化が大勃興した時代って、そういうのの権化だったと思うし、冒険よりも「一つのところにとどまるところに宇宙を見る」日本や東洋の文化的伝統の中で、趣味の世界にゆったりと人生を受け入れて、親密圏お大事な人たちとの時間をシェアして、、、海外に雄飛する!(=育ててくれた家族や地域の仲間や思い出の風景を切り捨てる)ことなしに、たゆたっていくることの何が悪いのかなぁ?と思う。
■成長に目がくらんで、誠実でファアな比較をしていないと思う〜一般論で考えると自分の生まれたところよりもいい場所なんかそうあるものではない。ましてや日本は、インフラは整っているんだから、その他のものがどれだけ悪かろうと
私もこのブログエントリを書いた渡辺千賀さんという人と同様に、アメリカで院に行き、現在仕事をしている。もちろん分野は全然違うし、仕事内容も、(おそらく確実に収入面も!)すごーく違うわけだが。でも、その違いを置いておいても、同じアメリカに同じ時代にいながらして、アメリカ社会の現状について見ているものがあまりに違うことに驚く。
渡辺さんの言われたいことは、1)日本はもう立ち直れないと思う。だから、2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい、という2点らしい。そして、「伸びてる場所を海外に見つけよう、という話しです。」とも書かれている。
しかし、、今のアメリカ「伸びてる」とはほど遠い社会だぞ。これだけ不況が騒がれ、失業者率も様々な都市で高くなり、自動車は売れず、ビッグ3は真剣に破綻しかけている状況。そして、私が今住んでいるモンタナなどは、ここ何十年も常に不況なので、今回の不況のインパクトがほかの今までうまくやっていた州にくらべたら弱いのではないかというくらいだ。(どうせ不況だから同じ、という状態で、「伸びてる」の正反対といえるだろう。)
貧富の差のはげしさ、といえば、日本がどんどん悪化しているとはいえ、アメリカの都市部の貧困地帯をみれば、まだまだ日本はマシかもしれないと思わされるようなひどい状況である。私が2年前まで住んでいたシカゴのサウスサイドの貧困エリア、そしてそれにも増してもっとひどいと思う、アメリカで最も危険な都市ランキング1位に最近なってしまったデトロイトの強烈に寂れ、空き家や空き地、放火された焼け跡の家などがパラパラある貧困エリアなどをみたら、どう考えてもアメリカの貧富の差は本当にひどいと言わざるを得ない。ここモンタナだってそうだ。とくにネイティブアメリカンのリザベーションに住む人たちの貧困状況はかなり深刻だという。うちの近所にだって、今にもつぶれそうなトレーラーハウス群などはいくらでもある。
金持ちエリアのシリコンバレーのようなところにいると、この国の貧困の現状はみえなくなるんだろうか。。「貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす」というのはアルゼンチン型、と渡辺さんは書くが、誘拐はおいておくとしても(っていうか、誘拐される前に銃で撃たれてそれまでだな)、基本的にこれはアメリカにも当てはまるんじゃないのか。
ふぇみにすとの雑感 - 経験している「アメリカ」の違い
http://orange.ap.teacup.com/yamtom/832.html
それにね比較の問題があると思うんだ。日本は衰退するよ、階級化するよ、確かに。そういう選択をしたくなくて小泉・竹中の政権を選んだのにこんない反動してしまっては、「そういうこと」を選択したとしか思えない。けれどもさー、、、、それでも、アメリカの「悪い面」を見れば、アメリカが日本より、大多数の人にとって生きていくのに素晴らしい世界とは思えない。社会的な生活インフラ基盤は、圧倒的に日本の方がいいと思うんだよ。もちろん、こんな狭苦しい列島に人がひしめいているので、我慢も多いし、希望も成長のチャンスもないし、アメリカの成長(移民を受け入れる限りこれは止まらないよ)の中にいれば、確かにかなり豊かな生活はおくれると思う。でもねー中産階級までだよ、それ。後から移民することになる僕らには、激しい成長を目指すエリートかどん底から這い上るウルトラモチヴェーターしか、そんな「豊かさ」はないよ。
だったらさーたとえば、僕なんかは、日本にはアニメや漫画やたくさんのエンターテイメントがあるし(笑)、友達がいるし、記憶が残っているけじゃん・・・。なんか、そっちで楽しく生きたほうが、はるかに穏やかで幸せじゃない?って思う。いや二元対立する必要はなくて、行ったり来たりできたり、そこまで金や立場がなくても、「語学があって情報アクセス能力がある」だけで、人生は格段に変化するので、いまのインターネット時代、それで楽しいじゃん?とか思うなー。僕は、えらくなりたいし、成長したいし、そりゃーアメリカには行きたいけれども、、、、でも別に、今のままで会社寄生して、家族が食べていけて、好きな友達と毎週のアニメや漫画の話をしているだけで、もう最高に幸せなんで、、、別に、そういう大切なものを捨ててまで海外に雄飛する必要性を、あんまり感じないなぁ。チャンス獲得のために努力もするけれども、、、、必須というよりは、勉強を続けることで変わっていく世界が自分の心の内的豊かさが向上すること「それ自体」が楽しいんだもの。楽しくなければやらない。それに、どこか違うところに行ったからと言って何かある、と思えるのは、まー中学とか高校までだよ。その時点でアメリカに留学したり、なんかすごい頑張って自分を変えれば世界は劇的に変わるかもしれないが、、、それ以降は、ゆっくり着実に変えていかない限り、なかなか根本からは変わらないと思うんだよね。人は簡単には変われないから。まぁ日本に生まれて日本の文化にコミットして生きているのに、「ここで」やってゆき、「ここ」をよくしようって気概が甘すぎる気がするなぁ。みんな。いやだから逃げる?。そんなのなぁ・・・。とか思うんですが。世界中どこ行っても、自分も仕組みもそんなに変わらないと思うんだよ。海外に行ったり起業しただけで、「世界も自分も変わる」なんて思っているおめでたい人には、なにも成し遂げられないと僕は思うなぁ・・・。
まっ、ゆるやかに衰退していく日本の中で、希望は抱かず、毎日友人とだべって過ごしたりゲームして過ごせるんならば、それって至福じゃねぇ?と思いますがねー。なんか、いろいろ思います。決して、成長によるドキドキとスリリングな体験だって、素晴らしいと思うけれども、だからと言ってそれ以外もかなり良くね?とか思うしねぇ。まぁ、今が楽しいということが重要なんだと思いますよ。時にそうだなー10代後半になれば、劇的に変えるのではなくて、自分の日常の習慣から世界を変えていくべきなんだろうなーとかとあ。あー意味不明な文章だ。