『ココロコネクト』 庵田定夏著 自意識の病の系列の物語の変奏曲〜ここからどこまで展開できるか?

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ココロコネクトって、ふと思ったんだけど、西尾維新化物語シリーズと本質が似ているなぁ、と思った。ようは、心を暴いていくところ、それを解決するところ。そのプロセスを通して、絆、関係性を構築して特別にしていくところ。この二つともに共通するのは、体験のカタルシスによってというよりは、論理、言葉によって「説得」をして矛盾や問題点を解決していくところだ。これは、現実世界では、ほぼありえないことだ。人間は、言葉では動かない。「体験」の「体感」を通してしか、人は変われない。


だから、、、特に伊織ちゃんの心の闇って、そういう「論理的な手当」ではどうにもならないはずなんだよね。だって、子供時代に魂が死んだ人の闇は、ほぼ手当ての方法がショートスパンではないんだよ。ロングスパン(=時間の経過)と体験を通してしか、心は生き返れない。一度アダルトチルドレンになると、回復は非常に難しく険しいのだ。


たしかに「人の心を暴く=相手に深く相互に踏み込む」っていうような暴力的な関係性の構築や共同体の儀式確認は、現代には非常に希少なので、それを見せることがカタルシスになって、そしてそれが絆の始まりだってのはわかるんだよ。けど、、、 化物語のような異形の話(=妖怪の憑き物落しという認識論的展開=京極夏彦のシリーズの手法ですね)に振らないと、設定的にカタルシスや解決が難しい。


ということで、そういう設定がない高校生活を描いた、つまり学園生活の「日常」を描くと、どうしても解決が言葉のみの展開になって、なかなか心的な体験による回心的なものは描けない。だから、アニメで見る限りは、『ココロコネクト』は、きっと、伊織ちゃんはまだまだ闇に落ちるに違いない、、、ということで、その処方箋が、気になる。どこまで、「これ」を描けるかは、非常に楽しみ。なので、ぜひ小説を読もうと思う。たしかに、体験や時間スパンなしで、言葉によって解決しようとする思考・志向は、非常に現代的、学園的、そしてナルシシズム的なものだが、にしても射程がよく描けているし、抽象的なテーマをよく会話と物語に載せている、、、この人はなかなか小説がうまいと思う。というか、この抽象的なテーマを、学園もののライトノベルで展開するのは、僕は非常にえらいもんだ、というか、凄いもんだって感心します。


これって庵野秀明とか津田正美のテーマであったけど、 まだ小説には手を出していないけど、きっと、伊織ちゃん、ぜったい、まだまだなんかあるはず。ああいう風に一度心が死ぬと、ショートスパン、、、すくなくとも10年単位の時間の経過がないと、人は癒えないものなんだ。だから、高校時代の物語で、解決をもたらすには、それこそ妖怪の憑き物落ちとか、 だけれども、旧世代(笑)っていってはなんだけど、団塊のJr当たりのクリエイターでは、ほとんど解決の話を見ることができなかったものなんだよね。


けど、いまは世代が変わってきていること、そして、僕らのような年代も人生のクロージングに向けてフェイズが変わってきていることで、 、、、そして、どうなるんだろう?って気がする。逆に言えば、これって自意識の病の系列の物語の変奏曲なんだなーと再認識、、、そうか、だから好きなのか、、、おれ。『TARITARI』は、その先というわけじゃないけど、この極端に『自意識の闇』にフォーカスすることから離れてて、 そもそも、自意識の病の反対物だった『けいおん』とかの系列はまだ、色濃く刻印があったけど、『TARITARI』とかの系列は、そうじゃないんだよね、、、。


さてさて、ということで課題も見えてきたので、この視点で小説も読み進めてみます。


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