人生にある3つのステージから、自分だけではなく伴侶と、大事なこと本当に願うことを話し合いながら模索して人生を形づくっていく

■人生にある3つのステージから、自分が大事なこと、本当に願うことを話し合いながら模索して人生を形づくっていく

上の「年齢によって選択肢の構造が一気に変わって決断にいやおうなしに迫られる」ということの実感は、友人にジェニファー・ペトリリエリさんの『デュアルキャリア・カップル――仕事と人生の3つの転換期を対話で乗り越える』という本を紹介されたからでした。持つべきものは、本友達だなぁって、感動しました。ここ10年で一番自分的には、実際的で価値がある本といっても言い過ぎではない衝撃でした。


友達に、めちゃくちゃ薦めまくっています。


タイトルを読んだだけだと、だいぶ読むのを躊躇しました。一つは、既に50代に近い自分に今更「どういう夫婦関係があるべきか?」みたいな話をされても手遅れだよとか、これって先進国、とりわけアメリカや西ヨーロッパの中産階級の共働きのカップルをメインの調査対象にしているので、それはあまりに「特殊事例」で、グローバリでリベラルな勝ち組の人が喋る自慢話なんじゃないの?というやっかみもありました。最初の序文で著者も書いているけど、まぁ見ただけでそうおもちゃうよね。でも、これ全部読めば、いやいやこれこそ重要だよってホント思う。


しかし、そういした読む前の躊躇は消し飛ぶくらいに実際的に自分にとって価値がある本でした。出来れば知識は役に立って実際的に使えるのがベストと持っているので、岡田斗司夫さんの『人生の法則「欲求の4タイプ」で分かるあなたと他人』やちきりんさんの『自分の意見で生きていこう: 「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ』読んだクラスのおお!これ使える!って本でした。


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正直な話、夫婦、結婚しているパートナーがいないと「この実感」は大分難しいとは思います。あまりに経験ありすぎる結婚生活上の「過酷な決断」がちゃんと類型化されて抽象化されていて、「そうそう!それが聞きたかった!」と思うようなものばかりでした。

Twitterなどが特徴的ですが、特定のあるステージにいる(=次のステージとかを全く考慮しない)「相手を攻撃するだけの不満発散」はいつも本当に意味がないと僕は思っています。なぜならば、最も大事なことは、うっぷんを他人に叫んで叫ぶことではなく、まずパートナーと深く話し合うことが大事であるからです。しかも、その時だけのことを、話をしても仕方がない。10-30年レンジで、パートナーとどんな未来を築きたいのかを、慎重に未来を考えたうえで、本気で話し合っているかどうかって、、、、そういう人は、不満いう暇あったら、パートナーとガチで話していると思うんですよね。相手が聞いてくれないというのは、「双方の問題」であって、そういうコミュニケーションの関係性を作っている時点で、そもそも、そりゃ幸せには程遠いなっていつも思います。

もちろんいろいろな状況があるでしょうし、マクロ的に日本が男性優位社会の家父長制の桎梏が残った社会であるのは事実でしょう。でも、そういった政治やマクロレベルの話と、「まず自分が幸せになるためのミクロの努力」はたいてい別物です。僕は時代的に、日本社会は、全地球上で一番クラスに豊かで成熟したリベラルな社会だと思っています。経験上。もちろん「話し合って何とかなる」次元ではない貧困や問題が社会にあるのは事実なので、そこと議論は分けなければいけないですが、この場合は、マクロの話をしていないんです。マクロを話しても、自分の人生はよくならないので。この過酷な社会を生きていくには、パートナーと心底話し合って、出来る手を、歯を食いしばって打たなければ、生き抜くのも難しいと思うんですよね。ゼロサムゲームで考えると、人生はたいていろくなもんじゃなくなります。うーん「この過酷な現実」をちゃんと共有する意識があって、結婚しているのかな?って僕はいつも思います。だって、パートナーって同じ現実を生き抜く一心同体な人であって、敵じゃないんですからののしっても、いいことなんかなんもない。相手にくれくれ言っても仕方がない-----ちゃんと、気合入れて話し合わないと。まぁ実際に、いったい何に感心したかは、ぜひとも読んでほしいです。



この「会話する」ってことが、どういうことか、まったく世の中の人は(僕も含めて)、その深さをわかっていないんだと痛感しました。



いやあ、ほんとうに素晴らし本だった。だいぶ年下の友達が教えてくれたんですが、大したもんだなぁって感心しちゃいました。