ボクラノキセキのユージン王子のベロニカへの告白を見ていて、、、なんかジーンとしてしまった。

2023年の5月。28巻新刊が、面白い。いやーやっぱり『ボクラノキセキ』面白い。2007年の読み切りからだから、16年くらい連載しているわけで、これってどこまで最初の時から設計していたんだろうと感じる。ただ、ずっと、娘との新刊待ち望んでいるので(笑)、こういう長期に好きな漫画を追えるのは、幸せなことだなって思います。ただ、毎回、、、10数年に渡り、ずっと同じことを持っているのだけれども、この漫画の「どこ」が面白いのか、自分でもうまく分析ができない。ただ「好き」というのは、簡単だし、そういった感情の発露は大事なんだけど、それだけじゃなんか寂しい。どんな「角度」やテーマで見るべきかが、これだけ執拗に長く「好き」ということは何かがあるんだろうと思うんだけど、いつもなんなんだろうとつらつら考えている。これはいい視点だなと思ったのは「『ボクラノキセキ久米田夏緒 前世の記憶と引き継ぐことは、現世との価値観のコンフリクトを物語にできる」という視点なんだけど、今回は28巻を読んでいて、あーなるほど、ここに自分は引っ掛かっているのか、という別の視点を見つけたので、これまたつらつらと書いてみる。あ、ちなみに、ウルトラネタバレだし、過去の記事読んでいないと、この記事読んでも何が何だかわからないと思います(笑)。興味がある人は、物語三昧のカテゴリーで検索して、過去の記事とか配信とかも見てもらえたら。

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えっとですね、今回めちゃドキドキして見てたのが、瀬々(せぜ)ことユージン王子と皆見ことベロニカ姫の二人の、カラオケ密室での告白トークなんですよね(笑)。


ポイントは、ユージン王子が、実はベロニカ姫のことをとても好きだった!という告白


なんですが、これ色々な意味で、うーん、尊いって唸って読んでいたんですよ。


1)ユージン王子とベロニカ姫の考える「自由」ということのと愛情がとても密接になって実はとても深いこと言っている


これと


2)そもそもこの二人、男性に転生しているので、男同士の告白(すわBL(ボーイズラブ)か!)って緊張感?というか不思議な感じを感じる



えっと、実は両方ともとても関係あるコンセプトなんだけど、まずは(2)が分かりやすいので、(2)を追って見たいんだよね。えっとね、細かい文脈とか、いろんなこと無視しても絵面的に、めちゃドキドキしますよね(笑)。だって、皆見も瀬々も両方とも、なんというか、めちゃ男の子!じゃないですか。ボーイズラブの匂いが全然ないんですよ。そもそもそういう物語ではない上に、基本的にヨーロッパ中世ぐらいの価値観だから、わざわざ同性同士の視点による必要もない。なんだけど、ガチでこの二人、男の子なんですよ。


うーん、うまく伝わるかなぁ。絵面を見せれば、わかるんですが、瀬々くんは、むちゃくちゃ深い愛の告白をしているんだけど、、、、カラオケボックその密室で二人で、男同士なんですよね(笑)。


「にもかかわらず」、なんですが、、、、まったくボーイズラブの匂いがしないんですよ。だから、見ていて、読んでいて、不思議な感覚を感じたんですよね。なんか、おかしいなって。僕は、百合でもBLでも好きでみるんですが、いつも持っている不満は、「その世界観で固定」されているところなんですよね。百合は、女の子同士が基本的に性的、恋愛の対象ですし、ゲイのものはその逆。でも、、、なんというか、世界って、「そうじゃない!」でしょうっていつも思うんですよ。


世界のあり方って、「どの組み合わせもありでしょう!」のはずなんですよ。


ある種に、百合でもゲイでも、もしくはストレートな恋愛でも、「それしかない」とか「それ以外はマイナー」みたいな扱いになってしまう。もちろんそれはそれで世界観が「集中している」ので、分かりやすいし、良いと思うんですよ。まぁジャンルのようなものですものね。たとえば『私の百合はお仕事です!』とか、とても好きで新刊出て、尊いわーってほんわかしているんですけれども、これだけ可愛い女の子が集中していて、全ての組み合わせが少女✖️少女だと、それはそれで尊いいんだけど、陽芽ちゃんとか、このタイプはストレートじゃないの?って気がしてしまうんですよねー。

私の百合はお仕事です!: 12【カラーイラスト特典付】 (百合姫コミックス)


あ、いやいや、これはこれでめちゃくちゃ尊いので、文句を言っているわけではなくて、物語のリアリティレベルを維持するために「お約束」ってあるよね、という話。だけれども、これだけ、同性同士の物語がメジャー化して、当たり前になってくると、僕(ペトロニウスアラフィフ男性)ぐらいの昭和の頭の人でも、もう時代は、それが当たり前だよね、LGBTQとか、別に言われなくても、自然とそれを受け取るようになってきている気がするんですよね、、、、少なくとも日本のエンタメの物語の世界では、僕にはもうすでに違和感がない。


で、あるならば、「どの組み合わせもあり」という世界を見たいと思うのですが、彼がどうもなかなか難しい。これは!と思ったのは、びっけさんのBLの真空融接シリーズかなぁ。これはガチのBLなのに、なにか、僕の中でビビッとくるものがあるんですよね。『あめのちはれ』(←ギャー好き)なんかもそうなんですけれども。


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そこで、はたと、ペトロニウスは思ったのです。


あれ、僕って、どうも性転換モノ、TSものとか、性別が転換する話が、こういういうのがすごく好きすぎない?って(笑)。氷室冴子さんの『ざ・ちぇんじ!』が好きすぎて、これってたぶん学生の頃から好きで好きで、たまらんかっていうまでも好きなので、「この感覚」が好きなんだと思うんですよ。

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話が長く遠いのですが、戻ってくると、ボクラノキセキの、


ベロニカ(女性)✖️リダ(女性) これはシスターフッドモノですね


ベロニカ(女性)✖️グレン(男性) これは身分違いの悲恋モノですね


皆見(男性)✖️春湖(女性) これは普通の高校生男女の恋愛だけど、春湖は明らかにベロニカ様が好きですよね、というか、引きずっている


広木(女性)✖️皆見(男性)


ユージン(男性)✖️ベロニカ(女性)


瀬々(男性)✖️皆見(男性)


えっと、ベロニカ=皆見とユージン=瀬々に限っても、ベロニカが女性から男性に転生しているので、この組み合わせ全てに、とても理由もある深い恋愛とか愛情の関係になっている、、、というか、愛するに足る背景の物語が描かれているので、


むちゃくちゃこんがらがってくるん(笑)


ですよね。「こんがらがる」というのは、男性が女性を好きになる異性愛でも、シスターフットものの女性同士の友愛でも、男性同士の友愛でも、全てが「同一戦場(線上)で並んで」いる感じがするんですよ。これくらい「同一線上」にならぶと、まぁ、性別とかのカテゴリーとか、どうでもいいや的な気分位なってくるんですよね。あれ??これって、おれが求めていたモノじゃね???とふと思ったんですよ(笑)。


もう少し言うと、この世界には、様々な愛情の関係がある。異性愛は多分そのまま性愛接続しやすいし、これに封建制とか家の存続が絡むとすぐ役割の牢獄になる。『大奥』とか『ザ・クラウン』とかですね。リダとベロニカの関係とかは、シスターフット的な女同士の友愛の絆の話になるし、、、、あと、なんというのですかねぇ、、、モースヴィーグ王国やゼレストリア王国の騎士たちの関係性とかって、基本的にホモソーシャルな男社会の友愛の絆じゃないですか。男の騎士や兵士の戦争、国家のために命を捧げる集団って、基本的にミソジニーホモフォビアをベースにする体育会系的な男社会じゃないですか?。えっと、セレストリアの騎士たちって仲がいいじゃないですか?、、、で、その中に、広木悠(グレン)が入っているのをみると、なんか、、、うん?ってグッとくるんですよね。彼女って、めちゃ雰囲気も容姿も思考も女の子なんだけど、でもやっぱりグレン(男の子)なんですよね。本当に自然にホモソーシャルな絆の中に女の子として自然に入っている。その境界がすごいバラバラ。でも、彼女(彼)は、悠でありグレンである「だけ」なんですよね。「自分」が「自分」であるだけなんです。


petronius.hatenablog.com


この物語を全体的に見ていると、この「関係性が入り乱れている様」が、なんか自分的に、グッときてたまらないんですよ。


話がすげぇ飛んでますが、、、、自分、ペトロニウスの嗜好って、なんで百合ものが好きかと言うとシスターフット的なものへの憧れがあって、それって、成長とか勝つとかいった価値をベースにしているホモソーシャルな体育会男子校的なものへの拒否からきていると思うんです、だから「女の子になりたい」と言う性転換の物語やTSへの物語にグッとくるんですよね。『ざ・ちぇんじ!』が子供の頃から好きなのって、多分このラインだよなって。性別が変わりたいと言う逆転もの物語への希求が強くある。

TS衛生兵さんの成り上がり
https://ncode.syosetu.com/n1580hl/


この辺も、そう(笑)。


えっとね、「しかしながら」、ペトロニウスの人生って、基本、男子校体育会系の生き方なんですよね。ホモソーシャルな絆の中で、勝利と成長を目指す!ってやつ。だから、このこと自体の尊さやかっこよさも、身に沁みて好きなんです。やっぱり、ホモソーシャルな男性同士の絆ってかっこいいし、良い物語なんですよ。立身出世の物語ですよね。やっぱり成長してなんぼじゃないか!との思いが、実人生からすごくある。


するとね、こんがらがるんですよ?


でも、、、、世界って、シスターフット的な百合的な関係性でも、ホモソーシャルな男同士の絆の、二元的な戦いじゃないわけじゃないですか?。そのどっちも尊くない?って思うんですよ。偏る必要なくないか?って。



そう言う話を物語を見て見たい!



と思った時に、『ボクラノキセキ』の、群像劇で転生モノで、しかも、いくつかのメチャクチャ王道をいっている恋愛もの(たとえばグレンとベロニカの恋愛とかね)を転生後だと、同性同士になちゃっていりくんでいるじゃないですか。


そんで、瀬々(ユージン)から皆見(ベロニカ)への愛の告白かよ!!!カラオケの密室で!!!(笑)



って、鼻息荒くなってしまって。



しかも、この愛の告白が、とても切ない。これって、とてもピュアというか尊いもので、、、、



封建制の中で家の「役割」の牢獄に生きている自分やベロニカの「役割」の牢獄からの自由であってほしいと言う思い、、、、



いいかえれば、「その人」が「その人自身である」ことができない世界の中で、「その人自身であったほしい」と言う切ない思いなんですよね。



これ、いい!!!



って唸ってしまった。この役割からの自由というのは、最近気づいていきたけれども、ぼくの人生のテーマなんだよなぁ。だから、これにグッとくる。この話が、容易に、封建制の家の存続の話に接続するので、ファンタジーの話とかと親和性が高いんだろうと思う。「自分」が「自分」であろうとする話。とはいえ、その話は、また今度。

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