【物語三昧 :Vol191】『葬送のフリーレン』不死者が世代を超えるスパンを観察する類型の物語 

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評価:★★★★★星4.8
(僕的主観:★★★★★星5.0つ)

2023年9月に金曜日に4話いっきに放映。Amazonプライムで見れたので昨日一気に見ました。いやはや、素晴らしい出来ですね。ただ、考えれば考えるほど、見れば見るほど引き込まれる素晴らしい物語なんですが、基本地味なんですよね。


だって、基本構造が


勇者が魔王を倒した後の世界がどうなっているのかを100-200年単位でロードムービー的に旅してみて回る物語


「すでに終わってしまった」勇者ヒンメルとの恋を、彼の思い出を、自分の心振り返りながらたどる物語


って、どう考えても地味すぎる。血湧き肉躍る要素が全くない(笑)。個々のエピソード的にも、群像劇になっているので、胸にすみる良いエピソードの塊だけど、やっぱりドキドキ激しいわけじゃない。新海誠監督の『すずめの戸締り』の時にも思ったのですが、これ本当に「普通の観客」というのは面白いと思うのだろうか?売れるのだろうか?って疑問に思ってしまう。だって、ものすごく通の、物語に慣れきってしまっている「通好み」の設定だし、構造なので、売れる要素を感じないのだもの。なのに、すでに23年時点で漫画は1000万部売れているんですよね?。いやはや、これが支持されるマーケットって、どれだけ成熟しているんだって感心します。


2020年代の物語とはどんなものなんだろう?が、最近のペトロニウスの課題です。


もうだいぶ具体例は出てきているので、抽象度を上げて、ひとまとめにするとどんな特徴があるのか?を問う時期に入っている気がしますので。


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ちなみに、人類の営みをロングスパン(100年以上の単位=世代を超えてもたらされる変化)で観察することと、不死者の物語は相性が良いことを、『UQ HOLDER!』で解説しました。また僕らがアズキアライアカデミアで分析している、セカイ系(2000年代)から新世界系(2010年代)への展開、またこの時に、「壁」というモチーフが出てきて、「壁の内側」と「壁の外側」というメタファーが多用されていたという話をしてきたと思います。この壁が、00年代と10年代の「境界」になっているようなんですよね。20年代は、新世界、すなわち、壁の内側である「セカイ」から外に出るようになって「後の世界」を描いている。けれども、この内側と外側って、いったい何が違うのか?といえば、


壁の内側:高度成長期の経済と人口が拡大している時代からその終わりまで(要は昭和から平成まで)


壁の外:低位安定成長がコモンセンスとなって人々のコモンセンス・パラダイムが変わってしまった後の世界


この二つの「意識の差異」が、テーマになっているんですよね。「この違いって何か?」と問うと、高度成長期や平成の「昭和の香りの振る舞い」と、コンプライアンスや多様性のあり方が低位安定成長での新しい生き方が、「どのように移り変わってきて今に至っているのか」を見せてくれることが重要のようなんですよね。

なので、「世界の有様」をそのまま観察したいので、ロードムービーのように空間を広く移動すること、しかも、その時間経過のスパンが基本的に100年単位でなければならないとなるようです。もちろん、この辺りはさまざまな物語の類型がとリアルされていて、トネコーケンさんの『スーパーカブ』や『ゆるキャン△』での解説は、「この壁の外に住んでいて、その時代に生まれた世代が、どのような生活意識や振る舞いをしているか」を示しているように僕には思えます。


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なんというか、かなり「前提の前提」の話をしてしまっていますね。直接にフリーレンの話というよりは、物語としてだいぶ地味な話であるのに、これだけ売れているにはなんらかの「時代の文脈にミートしている」部分があるのではないか?と考えて、だとするとという、とっても抽象的な視点ですね。ただまずはこの辺を整理しておかないと、「この先」へ分析するところへ踏み込めないと思ったので、とりあえず頭から出してしまいたかったので、出してみました。後半でさまざまな展開を見せているので、ここでいっているだけの作品ではないんですが、何十年も物語の「売れ方」をみていると、まず「問うべきことは物語序盤で何どんな文脈から、どんなテーマを掲げたか?」なんですよね。それを出発転移して「どこに具体的に展開して、到達していくか?」というのは、実はまたズレるんですよね。なぜならば、連載期間中も、時間は流れているわけでは、時代のテーマが変わってしまったり、「物語としての面白さ」を追求した若しくは否定した結果、結論が全然違う方向に行ったり。若しくは古くなった問いに真摯にこたたり。


んで、ペトロニウスが、フリーレンを分析しよう、理解しようとした時に、まず感じるのは、不死者が長い時間スパンを観察していくロードムービー形式という点です。作者はなんでこれをテーマにしようと思ったのか?。このスタート地点から展開される物語の問題意識が、なぜこれほど売れている(23年9月時点で1000万部以上)のか?というポイント。


これをセカイ系/新世界系、壁の内側/壁の外側という、自分の分析図式の文脈から読み解くと、「勇者が魔王とを倒した、その後の世界を観察する」という類型と、高度成長期から低位安定期に、社会のあり方が全くかわってしまった1990-2020年くらいの「違い」を観察する意識とのリンクを感じてしまうんですよね。「勇者が魔王を倒す」という図式は、わかりやすく、立身出世や成長こそ正しい!という昭和的な時代性の物語類型の代表だったとするれば、「倒してしまった後の社会」で、僕らは、私たちは、どうやって生きていくのか?という問い。ってこう考えると、『はたらく魔王さま!』ってもしかしてすごい作品だったのかも、、、いやでもそうか、やはり、同じ勇者と魔王という主観視点では、「100年単位の時間経過の移り変わり」が描けないから、ああれも過渡期の作品か。この100年単位の時間経過の移り変わりを観察するって、肝のような気がするなぁ。


んでもって、最近の日本は、なんというか平成の30年間を超えて、やっとなんというか社会のあり方がちゃんと変わったんだなーというのをしみじみ感じる。経済指標は、取りようでいくらでも変わるので、単純い信じたいわけじゃないけど、最近、低位安定の人口縮小社会を、どうやって運営していくかは、日本がうまくやっているんじゃない?というのは色々な視点から見ても、思われているっぽいと感じる。これの中身をもう少し深掘りして知りたい今日この頃。今月のアズキアライアカデミアのお題は、フリーレンなので、とりあえず予習している感じ。

 
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