『最後の追跡(Hell or High Water)』 David Mackenzie監督 Taylor Sheridan脚本 抜けられない負の連鎖の中で-フロンティア三部作

f:id:Gaius_Petronius:20190622060423j:plain

評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

www.youtube.com

2019年6月20日。やっと、仕事が落ち着いてきたので、インプット復活。『最後の追跡』(原題: Hell or High Water)2016年のネットフリックス作品。監督はデヴィッド・マッケンジー、主演はジェフ・ブリッジス。Hell or High Waterの意味は、何がなんでも。やっと見れた。これで、テイラー・シェリダンのフロンティア三部作、現代西部劇三部作といわれる、全作品をコンプリート。Taylor Sheridan(テイラー・シェリダン)脚本『ボーダーライン Sicario (2015年)』、脚本『最後の追跡 Hell or High Water (2016年)』、監督『ウインド・リバー Wind River (2017年)』の3作は、絶対見なければ、と心に誓っていたので、やっとコンプリート出来てうれしい。

www.youtube.com

ジェフ・ブリッジスは、コーエン兄弟の『トゥルー・グリッド』を思い出す。こう漢臭く渋い存在感がたまらないですね。


見たきっかけは、『ウインド・リバー』。いつものごとく、町山智浩さんのラジオを聞いて、これは見ておかなければ、と。いや、自分、いい嗅覚していると感心。まぁ、アメリカ映画(に限らないんですが)で町山さんがすすめるもので、まず外れというものはないし、本当に見事にアメリカのローカルの文脈を深くとらえているので、いつも本当に感心します。デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ1: 1950年代アメリカの光と影』という素晴らし本があるのですが、越智道雄さんと町山智浩さんの対談があって、いやはや、こういう抑えるべきところをちゃんと、押さえているからこそだよなぁ、と感心したのを覚えています。僕も、アメリカに住んでいるからには、少しはアメリカのことがわかるようになりたいと、いつも修行というかクンフーというかを意識していますが(笑)、もっと本を読みたいと、いつもため息が出ます。

ザ・フィフティーズ1: 1950年代アメリカの光と影 (ちくま文庫)

おっといつものごとく話がそれたのですが、テイラー・シェリダンの『ウィンドー・リバー』を見て、これは絶対すべて見て、考察をしたいと思ったのは、日本人は実感できない、アメリカの現代社会(2019年現在)の最前線の文脈が赤裸々に、ヴィヴィッドに出ていると思ったからです。このアメリカのローカル場文脈を意識して見ていないと、トランプ政権にしても、ほとんどなにをいっているわからないと思うんですよね。なんとしても『ブレイキングバッド』の全5シーズンの解説を書いいて、YouTubeにも上げようと思ったのは、あのドラック文化や、そもそもの話の発端である医療保険制度のひどさによって、普通に暮らしている中産階級が、一瞬で貧困層に叩き落されるというアメリカの生活の現実感を説明しないと、実感しながら見ないと、あのドラマの意味がほとんどわからないと思ったからです。もちろん「物語」として、ピカレスクロマンやアンチヒーローものでも、どうとらえてもいいのですが、傑作で面白いのですが、それは「アメリカ人が楽しんで熱狂した」部分が、抜け落ちていると思うのです。また、南西部や中西部って、アメリカの本質のようなものなのに、なかなか日本では馴染みにくい場所です。また闇が深いところでもあります。テイラー・シェリダンは、テキサス出身ですね。


petronius.hatenablog.com


本作がいいと思う人は、コーエン兄弟の『ノーカントリー』も観たいところ。逆もまたしかり。『ノーカントリー』は、Neo Western(現代西部劇)の代表例の作品といわれています。

ノーカントリー (字幕版)


www.youtube.com



■抜け出せない負の連鎖の中で、打ち捨てられていく人々を


で、テイラー・シェリダン。彼が何を描いているかというと、僕は、「アメリカで打ち捨てられている人々」が「抜けられない負の連鎖」の中で、どのように生きているかを、描いているところにあると思っています。コーエン兄弟の『ノーカントリー』なども、1980年代の時代性が、大きなテーマにありました。1960、70年代の公民権運動などアメリカが大変化したのですが、リベラルな変化は保守的な風土故に、南西部、南部に大きな影響を及ぼしました。そして1980年代、共和党レーガン大統領代表される保守の台頭、キリスト教原理主義などの宗教右翼の台頭、麻薬戦争の激化などなどが、南部に厳しい影を落としていきます。この時代背景をベースに考えることなしに、この辺りの作品群は、見れないと思うのです。


ちなみに、Hell or High Waterといったら、表現的には「come hell or high water」になるのですが、友人のアメリカ人に行ったところ、とてもテキサスっぽい、あの辺の感じの表現だね、と言っていました。このタイトルが重要な背景を意味していると思うのです。たとえば、日本語タイトルは、『最後の追跡』です。テキサス・レンジャーのマーカス(ジェフ・ブリッジス)が、トビー(クリス・パイン)とタナー(ベン・フォスター)のハワード兄弟という銀行強盗の追跡劇であること、マーカスが定年ぎりぎりで最後の仕事というところから、「物語として」は、このタイトルで正しいです。けど、この脚本の本質を、テイラー・シェリダンの意図を組めば、『Hell or High Water』(「どんなことがあろうと、なんとしてでも」/地獄と洪水が困難状況というところから派生した表現)が明らかに正しい。けれども、これは文脈を深く理解していないければ、タイトルだけ読むと意味不明なため、容易に理解でることを選んで、日本語の翻訳は「最後の追跡」にしているのでしょう。これは、トビー(Chris Pine)が、なぜ銀行強盗をしなければいけなかったか?という、本質的な疑問に切り込まなければ、わからないからです。テキサスの田舎町に住む、ほとんどプアホワイトに落ちる寸前の白人のトビーが、なぜそういった決断をしたかといえば、それは「なにがなんでも」「この負の連鎖、貧困の連鎖」の輪から、自分の息子たちを脱出させるためでした。この作品で暗示され、何度も繰り返されている「抜けられな負の連鎖の中で、逃げようもない」という構造を、そこに住むすべての人々が諦観とともに受け入れている苑、みじめさを、苦しさを、救いようのなさを炙り出し、認識しなければ、「何が何でも」、、、それが犯罪であれ、人殺しであり、裏切りであれ、どんな汚いことをしても、「そこ」から抜け出す可能性があれば、、、、と思う気持ちが意味をなさないからです。


トビーのセリフが印象的です。


「生まれてからずっと俺は貧しかった。両親もそうだったし、祖父母も同じだった。貧しさは病気のように代々受け継がれていき、身近な人に感染していく。でも俺の子供たちだけにはそうはさせない」。


そして、アルベルトの


「かつて先住民を追いやった白人が、いま銀行から追いやられてようといている」


というセリフが、象徴的でした。


なぜ、フロンティア三部作とか、現代西部劇(Neo Western)といわれるか。それは、『ボーダーライン Sicario (2015年)』、『最後の追跡 Hell or High Water (2016年)』、『ウインド・リバー Wind River (2017年)』と流れ見ていけば、アメリカ現代最前線の「抜けられない負の連鎖」にはまっている現実を直視するという構造になっていることがわかります。フロンティアといっているのは、麻薬戦争の復讐の連鎖(アリゾナ、テキサス、メキシコ)、奪い奪われる続けていくプアホワイト、インディアンの貧困の連鎖(テキサス、オクラホマ)、ネイティブ・アメリカンの抜けられない貧困の連鎖(ワイオミング州ウィンド・リバー保留地)といった舞台は、決して過去ではなく「今現在のアメリカの現実」でさえも、これほど、打ち捨てられ、そこから抜け出すことができないような負の連鎖が、まざまざとあることを示しています。

特に、「最後の追跡」でアルベルト・パーカーと、「ウィンドリバー」でマーティン・ハンソン役を演じるギル・バーミンガムが出ています。


テイラー・シェリダンにとって、ネイティブアメリカンの存在が重要なモチーフに感じました。というのは、テキサス出身で、メキシコとの国境やコロンビアの麻薬カルテルの物語を2015-16で脚本家として描いて、監督初デヴューの集大成『ウインド・リバー Wind River (2017年)』でいきなり、ワイオミング州に舞台が飛ぶのは、「抜けられない負の連鎖」の舞台の共通性をネイティブ・アメリカンの保留地(リザベーション)に見出しているように感じたからです。

また「最後の追跡(Hell or High Water)」のマーカス(ジェフ・ブリッジス)の相棒であるアルベルトのポジションは、ネイティブアメリカンとメキシコ人の血を引いているという設定は、僕にはなんとなく、意味が分かりませんでした。映画の中で、マーカスは、終始、このネタでアルベルトをいじっています。僕の英語力ではこの時のニュアンスを精確には取り切れないのですが、少なくとも、この二人が長年の親友であり、そんなかなり皮肉というかPC的に問題のあるセンシティブなネタを言い合える仲のいい同僚であることがうかがえます。アルベルトが怒っていないこと、アルベルトが死んだときにマーカスが、動揺して、その後、復讐の念に燃えるから、この二人深い友情にあったことがわかります。


■テキサスレンジャーで、白人のマーカスとメキシコとネイティブアメリカンの血を引くアルベルトの二人がバディになっているのは

しかし、なかなか皮肉が効いているのは、テキサス・レンジャーというと、アメリカ最古の州法執行機関で、イメージ的には(というか歴史的に)、白人の正義を貫く「闇」の部分があり、メキシコ人やネイティブアメリカンに暴行差別を繰り返してきた組織なので、その被害者の末裔である彼、アルベルト(ギル・バーミンガム)が、現代アメリカでテキサス・レンジャーになっている、、、という背景を考えると、彼らの「軽口」に、とても深い背景を感じさせます。このような関係にいたるまで、特に、マーカス(ジェフ・ブリッジス)は恒例ということもあり、一体何が彼らの深いきずなを作り出したのかに、いろいろ想像力が働きます。


f:id:Gaius_Petronius:20190623090436j:plain

テキサス・レンジャー(The Texas Ranger)


しかし実際には、舞台的には、アルベルトの存在、キャラクターは、つながりはあまり感じられません。いまのような「深読み」をしないと、本筋には絡まないからです。もちろん、トビー(クリス・パイン)の家族が、どのように長くテキサスの土地で、負の連鎖の中を生きてきたのか、ということと、構造的に同じ話なので、「その土地に住むもの」の広がりを感じさせてくれます。・・・・が、「最後の追跡(Hell or High Water)」では、やはりわき役というか、本筋ではない感じがします。それが、『ウインド・リバー』で監督になった時に、インディアン・リザベーションを舞台にする物語を選ぶのは、ずっとこのテーマが、テイラー・シェリダンの重要なポイントだったからだと思います。



www.netflix.com