シエルとロアの空中戦に感激


真月譚月姫 6 (6) (電撃コミックス)真月譚月姫 6 (6) (電撃コミックス)
TYPE-MOON真月譚 月姫」製作委員会 佐々木少年

メディアワークス 2008-03-27
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評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)

こういう作品は評価に困るよね。そもそも、ノベルゲームの『月姫』自体が、物語として超絶の★5つのマスターピースなので、その脚本を踏襲していて、メディアミックスの良さを発揮しているこの作品は、もう文句がつけようがないんだよね。とにかく楽しみにしている、ぐらいしか言いようがない。

が、この部分については、過去こう書いた。

ちなみに、

「本質が理解してされていること」



「その話が好きなこと」


には大きな隔たりがある。


これは、僕が自分の評価を人としゃべっているときによく感じるのだが、自分が完全に本質を理解できたと思ったときには、ほとんどかなりの読み手がその本質を理解していないで、その他のガジェッド(装飾の部分)に萌えているだけということが多い。逆に、自分がよくわからないけど面白いなーと思うときには、様々な人の意見を聞いたり自分なりに時間をかけて初めてこの「おもしろさ」の背後にはこういった構造が隠れていたのか?と驚くことが多い。ちなみに、本質が理解できていない場合は、楽しみ方も間違えている場合が多い。


そう、つまり、おもしろい、ということと作品のテーマの本質は、ちょっとズレた位相にある場合が多いいようだ。おもしろさ、というのはたくさんの読み手・消費者が、自分の文脈にひきつけておもしろいと感じるもので、それが、必ずしも作者・クリエイターの追及したい本質のテーマと重なるというわけではないからだ。とりわけ、アニメーションは、本質がなくとも、物が動くという美しさやおもしろさだけで充分成り立つし、マンガもキャラクターのかわいさなどやちょっとしたサブの演出だけで、それだけで充分おもしろくなってしまうということもありうる。


もちろん本質をどこに設定するか?という問題もある。僕はここでは、動機の問題や作品を既定するドラマツゥルギーの構造を、小説や文学を評価する時の評価の仕方で評価している行為を本質の理解とよんでいるが、そもそも映画などにはまったく別の評価の仕方もあるし、それは当然マンガにもあるだろう。まっ、だが、基本的には脚本を評価するのは、文学や小説を評価する見方でよいとは思う。そこが大きなウェイトを占めることは間違いないのでね。


なんだか、『月姫』のマンガの評価というよりは、媒体の違いによるおもしろさとはどう評価するか?というのの序論みたいになってしまった。ちゃんと推敲したり、いいたいことをまとめて書かないので、僕のブログはいつも脱線するなぁ。


http://ameblo.jp/petronius/entry-10018324952.html


海燕さんが前に書いていたのだが、この著者の佐々木少年さんは、「わかってる」よなー。なんというか、原作とは異なる話になってきているのだが、その本質が、「わかってる」ってビシバシ感じる。

その上で、これを演出されちゃうと、、、、、いやーヤバいです。