信頼とはどこから生まれるのだろう?〜その過酷さも素晴らしく輝いた日々もあれば、、、、

例えば、新條を育ててくれた口の悪い編集者がいるのですが
新條が新人の頃その人に、ネームを床にばらまかれ、
「こんな漫画じゃ商売にならないんだよ!」
と足で踏みつぶされました。
「お前はウジ虫みたいな漫画家なんだから、
ウジ虫はウジ虫なりにない知恵しぼって漫画描け!」
とも言われました。
「お前はどう努力しても連載作家にはなれない」
と言われて、なんの才能もないけれど、努力だけは自信があった、
でもその努力すらダメなのかと絶望して、泣いたこともありました。
でも、誰よりも新條の漫画をかってくれて、時には編集長とケンカをし
時には出世払いしろとおいしいお店に連れて行ってくれたりもしました。
なので、そんな罵倒もダメ出しも当時はなにくそ!とがんばれたし
また、その言葉の一つ一つに作家への愛情を感じとることも出来ました。
それは強固な信頼につながりました。
今ではそれらのエピソードは笑い話のネタにもなっているくらいです。
それらはすべて信頼関係があってこそ。


http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html
MAYUTAN BLOG

僕はこのれを読んでいて、自分の営業時代の上司を思い出しました。「死んでお詫びしろ!」とか客の社長の前で窓を開けて「飛びおりて死んで謝れ!」とか、、、「その脳みそはスポンジか!」とか、睡眠時間がいボロボロの状態で出した稟議書を、目の前でビリビリ破られてほおり投げられたこともありました・・・(笑)。・・・こんな超大企業で、こんなことがあり得るのか!と、心底驚いたのをぼ得ています(笑)。

これは僕がよくいう笑い話エピソードですが、、、、その上司はねーもうアタマおか新じゃないかというくらい野蛮な人で、部下クラッシャーで物凄いやくざと恐れられていた人でしたが、僕は心から尊敬して信頼して、愛情としか思えなかったんですよね・・・・。いや、その人の部下のかなりの人が辞めるか飛ばされるか、生涯恨むとか(笑)いうとんでもない人でしたが、、、、それでも僕には、素晴らしく忘れられない輝きに満ちたものでした。

その他の彼を嫌いな人からすると、ぼくの1/10にも思えないほど軽い行為ですら許せない人格の尊厳を踏みにじる行為になるのですが、僕からすればそんなの愛嬌や愛情にしか思えないものでした・・・。人間は同じことしていても、信頼があるかどうか、、、どんな関係性にあるかどうか、によって物事の見方は変わってしまう。なかなか難しいことです。僕は、、、この入社したての営業時代の部長を心から尊敬して、生涯の師で親分だ、と思っています。

人には出会いというものがあります。なんか、そんなことを思い出しました。今ももうと、粋がっていた、頭でっかちの僕に、、本当の「商売」の世界で楽しむこと、信頼を得ることはどういうことか?、交渉時に真の意味で相手を追い詰めるほど先を瞬時に先を読むためのスキルなど、あのとき、ああいうふうに「あの人」に出会えなければ、いまの僕はなかった、と心底寒くなります。そう、あの出会いがなければ、僕なんかクズでしたでしょう。これほどのこらえ性もなかったはずだし・・・シゴトで追い詰められている中で、家族を守るとはどういうことか?ということも学ばなかったでしょう。。。。

僕は、僕は本当に運が良かった、、、と思う。けど、いまは逆にも思う、、、、僕のような部下を、、、犬のように彼の真髄を理解し、それを後継しようとするキャリアの「部下」に最後の最後に、恵まれた彼は幸せだったんではないか?とも思います。なぜって、彼は彼のスキルを、彼の得てきたシゴトのやり方という伝統・・・彼の事業の先輩たちの遺産を、僕という全く違うスタイルのビジネススキルを持ったやつが継承して、全く違う形で、いま、より大きなフィールドでそれ、展開しようとしている。僕の恩返しは、その人にすることではなく、この技術でより広く大きい組織を作り、あまねく世界に広めて、後継者を作り出すことなんだろうと思う。それが、恩返しというものだ。そして、それが大きな人生という、、、シゴトという物語を生きる、ということでもあるのだろうと思う。僕は、やるからにはトップに立ちたいが、目的はトップに立つことではなく、、、真の意味で、諸先輩方、、、このビジネスに人生をかけた先達の伝統をより新し形で、未来へつなげていくことなんだろう、、、とかとか思う。

うむ、なんか疲れている〜今日はくさいな、いうことが(笑)。おやすみです。