アメリカ社会の日系アメリカ人の「在りよう」の歴史的経緯が、これからのアジア未来を示唆する

「正義の国」の日本人 なぜアメリカの日系人は日本が“嫌い”なのか? (アスキー新書 037)「正義の国」の日本人 なぜアメリカの日系人は日本が“嫌い”なのか? (アスキー新書 037)
安井 健一

アスキー 2007-11-12
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素晴らしい本だった。作者は、既にマスコミでも管理部門行ってしまったと書いてあるが、、、もったいない。地道で執拗な好奇心。公平で広い視野。知識のない人間にもわかる平易さ、、、どれをとっても、この本は素晴らしかった。そして、指示している「視野の広さ」に非常に参考になった。今後、アジアにおける、地球における、日本人そしてアジア人が、どうなっていくか、というマクロを知るのに物凄い手掛かりとなる本だった。

特に僕としては、山崎豊子さんの『二つの祖国』のその後を読んだような気持ちになった。絶対ワンセットで読むと、、、ああそうか・・・「あれ(=チャーリー田宮)」が、この後、アメリカ社会で、「こう」なるのかなぁ・・・と感心しますよ。続きものの小説として読んでもいいくらいだ。僕は何度か泣きました。胸が熱くなって。

マイク・ホンダさんこと、民主党選出のマイケル・マコト・ホンダさんという日系三世のカリフォルニア選出の下院議員が、従軍慰安婦問題で日本政府の罪を非難する決議を出すことになるんですが、なぜ日系人の彼が、そんなことをしたのか?ってのは、著者は追っていきます。カリフォルニアの選挙区は、中国系や韓国系が多く、彼らの支持がなければ選挙で当選できないので、おもねったのだ、、、という論調が日本では支配的だったのですが、直接マイクホンダさんと話し、筋金入りのリベラリストであり信念の人であるマイクさんが、本当にそんな単純な理由で、この決議をしたのだろうか?と、公平に、広い視野で、著者は考えて、それを追っていきます。

それは、とても知的なスリラーで、素晴らしかった。その過程で、アメリカ社会の本質的な変化、、、がこの本の中で、明らかにされていく様は、なるほどーと唸らせられた。また、『二つの祖国』や日系人の収容所の悲惨さの本や映画を見ている僕には、その後彼らが、、、あそこまで財産を奪われ、悲惨な目にあった日系人が、その後どうなったか?と気になっていたのだが、その歴史がすべて描かれて、、、日系アメリカ人の英雄や最終的には、米国の閣僚まで上り詰めることになる日系二世のノーマン・ミネタ元上院議員などのエピソードは、明らかにマスコミや日系アメリカ人の米国への忠誠のために「つくられた英雄」であるということを差し引いても、素晴らしい立身出世とビルドゥングスロマン・・・・。とにかく、絶対『二つの祖国』と同時に読むことをお勧めします!。僕は泣けました。


そして、僕も日本人なので、従軍慰安婦などの問題を、ああいう一方的な宣伝活動で歴史と化されることにはとても抵抗がある(理由や正しさは置いておいて、ナショナリズムの感情とはそういうものでしょう?)のですが、


「なぜマイクホンダがそれをやったのか?」


「なぜアメリカ社会はそういうことをするものなのか?」


「そして、この日系アメリカ人の軌跡の流れが、今後の地球のマクロ流れと同じであろう」


という部分は、なるほどなぁ、と唸りました。そして、おおむね、この著者の観察は正しいと思ってしまう。いや、今まで、従軍慰安婦とか戦争責任とかの問題を、やっぱり僕は「日本人」の立場で「日本の視点と情報」で眺めていたんだなーと、その相対化と新しい視野に、なかなかぐっときた。読みやすいし非常に素晴らしい導入書です。

ああちなみに、日系アメリカ人の激しい「国籍選択の過去」「私たちは何者か?」という激しいアイデンティティの葛藤を知るにつれて、彼らを日本人だとか売国奴だとかいう日本人って、アホだなーと感心する。そして、そのアイデンティティの確立と、何に忠誠をちかうか?ってのは、別にに日系アメリカ人だけではなく、人口的な国家であるアメリカの基本中の基本なんだよね。

そういうのは、ちゃんと勉強していないと、恥ずかしくてバカなこと口走ると思うので、ちゃんと知っておこうと痛切に思うのでした。・・・アメリカに赴任する可能性僕はましてや高いしね。。。。

ふと思うんだが、僕は右翼でナショナリストだと思っていたのだが、、、、外国にしょっちゅう出張いって仲のいいお客や仲間ができてくると、そういう「外から見た日本」「世界の中の日本」も見えてくるし・・・そうするといっそう右になるものなんだけれども、、、ずっと考えて触れるづけていると、なんちゅーかなー、すっごく穏やかに物事を見れるようになるんだよねぇ。よくよく仕組みや国家のあり方や文化とかマクロの流れを見ていると、中国とか韓国とかへの、なんというかなぁ右翼とかナショナリズムとは名ばかりのただのルサンチマンや不満の放出とか反アメリカとか、、、なんというのかなぁ、そういうのが「なぜそうなるか?」ってのはよくわかるし(マクロ的に)、ミクロ的に、腐ったやつらは中国人にも韓国人にもアメリカ人にもたくさんいあるけど、負けないくらい日本人にも多いし、、、そして出会った人で友達になった人は、みんないいやつばからいで、、、そう考えると単純な感情的反発で、差別意識丸出しの汚らしい反応は、できなくなるし、心の奥底からそういうのに対するマイナスの感情が起きなくなるものなんだよなぁ、、、でもこういうのって耐性の問題で、長く正しい形で、それを深く考え続け、触れ続け、目をそらさないで公平に見続ける努力をしないと、そういう「感情の姿勢」は生まれてこない。また狭い世界で凝り固まっていないで、たくさんの友人を、マクロや国家とは別に、持ち続ける中で、そいつらと喧嘩をして仲良くして、、というものをしないと、わからないんだよなぁ。

また、それに値するには、自分の知性や器や、そういったものを高めていないと、恥ずかしくて外部には立てないし、なによりも、話す内容がない。そうすると、しょせん外国の人でも付き合う相手は、それなりの相手になってしまい、その国の深さや豊饒さを知ることもなしに、偏見を持つようになる。重要なのは、時間と深さだなーと思う。ステレオタイプな感情的反発の世界にいるのは醜いよ。この世界をよくしよう!と思うのならば、隣人(中国や韓国やアメリカ)は、もう絶対避けては通れない地政学的な隣人なんだから。現実を直視できない人は、つかれる。なんで、そうみんな幻想ばかりが好きなんだろう。幻想なんて、何一つ豊かでもないのに。そういう現実を無視した視点は、痛くて、疲れるなぁ。なんか不思議だよ、中国、韓国、アメリカなんていったら、人類社会の中でも素晴らしい一級の民族だし国家じゃないか、、、やつらとライバルである高め合っていければ、こんなに楽しいことはないと思うんだがなぁ、敵対しても仕方があるまい。日本なんかルサンチマンを抱く必要もないほど、凄いことを世界史でやってのけているんだから、卑屈になる理由も全くないしさ。不思議だよ・・・。100年単位で考えれば、いまお互いにいらだつことなんて、そんな大きなことでもあるまいに。ふと思うんだが・・・「南京!南京!」「ラーベの日記」が見たいなぁ。。。

最上徳内のような、鎖国して差別の激しい身分社会の中でさえ、あれほどの「国際人」となれるのだ、僕らがやってやれないことはない、と思う。