『海賊とよばれた男』 百田尚樹著 (1)銀行家の使命とは?〜本分を全うするチャンスを人は探して生きている

海賊とよばれた男 上海賊とよばれた男 下

評価:★★★★★星5つのマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ)


本当に素晴らしい本です。さすが。メインの感想は、(2)ですが、まずはさわりで。とにかく、仕事の本分とはどういうものか?ということを凄く考えさせられたことと、なるほど、現代の産業の構造の基盤はこのような過程を経て形成されてきたのか?と物凄く勉強になる話だった。それがこんなに血わき肉躍るエンターテイメント小説で感じられるのだから、本当に素晴らしい作品だ。


1)銀行家の使命とは?

この本を読んでいて、何度も起きる不思議な出来事を、不思議な思いで読んでいた。


それは、国岡鐡造(出光佐三)が事業を行っていくうえで、銀行家が何度も「銀行家の本分は、このような事業を支えるのが仕事ではないか?」と、あり得ないであろう巨額の融資を、出光佐三にしていくところだ。


九州の小さな、それも零細の小売店業に、一代で財を築きあげた銀行家や東京帝国大学出のエリート銀行マンが、一目見るなりもしくは彼の事業の業績を詳しく分析すると、緊縮財政で出資引き上げが当たり前の過酷な経済環境の中、しかもたぶん出光興産以外には、相当シビアで冷酷な銀行マンであろう人々が、次々に融資していく。はては、バンクオブアメリカ(当時世界一の銀行)が、敗戦国日本のしかもメジャー(セブンシスターズ)に反抗を貫き通す民族資本の出光興産に次々に巨額の、資本金比率からいえばありえないような融資を実施していく。それも、順風満帆な時ではなく、いつでもかなり状況が困難な時に、だ。そして、その理由というかロジックがすべて同じで、、、ああ、そうか、と思う。


もちろん、僕はこの本の出来事や描写がどこまで事実なのかはわからないが、非常に納得感がある。それは「銀行家という職業の使命は、本分は何か?」という問いだ。バンクオブアメリカの副社長が、「あなた程度の資本金に対してはこんな巨額の融資はとてもではないができない。しかし、あなたたちの合理的経営に対してはできる。」という言葉は、日本の明治期や大正期の地方銀行から、戦後の世界に君臨するアメリカの大銀行であっても、どれもその基本姿勢は変わらないのだ、と思った。


銀行の使命は、産業の血液であるお金を融通すること、健全で価値のある産業と経営者を見抜き、それを育て上げること。これに尽きる。たぶん、国岡鐡造(出光佐三)という経営者に出会った時に、銀行家として、人生に一度あるかないかという、本分を貫き通す賭けができる時に気づいたのだろうと思う。


仕事をしていれば、型にはまったものばかりが多いこともあると思う。僕も大企業の歯車として生きていて、ある種の「ルール」の中で仕事をしていることが過半だ。けれども、本分(=自らの存在の意義)に関わる判断が巡ってくる時が、時にはある。リスクをかけても、それが自分の職業人生や未来を閉ざす可能性のあるリスクであっても、それでも




「本分を全うできる」というチャンス




には、なかなか出会うことができないが、確実に出会うことがある。きっと、国岡鐡造(出光佐三)に出会った銀行家たちは、自らの存在意義の本質を全うできるチャンスに震えたんだろうと思う。もちろん、それは、国岡鐡造(出光佐三)という個人が好きになったかいうことではない。


大規模小売業、生産者と消費者を中間搾取抜きに接続し、産業を興隆させること、それを、20世紀の文明の基礎ともいえる石油というエネルギーの根本によって為し得ること、この理念を体現できる可能性に賭けたんだろうと思う。こういうものに出会ったのに、融資せずに、それを守らずにはいられるだろうか?という強い情熱を銀行マンたちに与えたんだろう。実際、出光の創業期に中間搾取を除いた油の販売によって、西日本の漁業は大きく発展したという一文があるが、これはその地域の企業の血液を管理している銀行マンたちにとっては、きっと強い実感と凄さを感じさせたのだろうと思う。そして、至極当たり前の自由競争で、産業をイノヴェーションしていくことを、「正しい形」でやりぬくことが、どれほど難しいことかも、知っていたのだろう。知っていたからこそ、それを貫き通し実績を叩きだし通津づける彼と彼の「家族」に投資しべきだ、と思ったんだろう。



なんというか、それほど自由競争を、阻害していこうとする力学がこの世の中には強く働いているんだ、ということをまざまざと感じさせる。「まおゆう」の豊かさとは流れていることだ、という話を凄く思い出す。これは、資本(=ビジネス)と国家というのが、基本的に、インターナショナリズムナショナリズムの力学のぶつかりあいだからだということなんだろうと思う。ちなみに、やっと最近分かってきたのは、国家や共同体は、ナショナリズムの力学を借りて、少しで物事を独占・寡占の囲い込みに持って行って流動性を封じ込めようとする力学が働いているんだなーとしみじみ思うようになってきた。ここで戦前から戦後にかけてこの100年間の日本の出光以外の石油産業って、こんなにも閉鎖的で、かつ寡占路線のクラブを形成する力学のみで動いていたのか、と感心する。ここに出てくる人間の名前は本名なのだろうか?。ここでやった時系列的に100年くらいのスパンでは、明らかに日本にとってマイナスの行為を排他クラブの形成で行おうとした人々の名前って、さすがに時間もすぎているんだし、歴史を評価する上でも実名にすべきなんじゃないかな、、、と思いました。


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