『ちいさいお姉さん』 原作マツダ靖・作画ゆとり  ゆっくり自意識の空転を解きほぐしていくことと

電撃4コマ コレクション ちいさいお姉さん 6 (電撃コミックス EX 電撃4コマコレクション 140-6)

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★★★5つ)


海燕さんの記事で紹介されて敵になっていたので読んでみた。うんうん、最初はなんてことない、4コマ漫画で、僕はkindleで見たせいか、ちょっと画面が小さくなって読みにくいし、うーんと思っていたが、ジワジワ引き込まれて、特に山本くんが出てきたところ、めっちゃはまった。うん、めっちゃいいよ、彼。


このブログのテーマの一つで、ナルシシズムの檻からの脱出という文脈の話があるんですが、それは自意識の話なんですが。自意識って、何だろう?って思ったんですよ。漢字使うとわかったつもりになってしまうんだけど、結局どういうことなんだろうか?って。それを思いついたのは、アニメを見ている時でした。『異能バトルは日常系のなかで(2014)』の主人公の安藤寿来くんの言動を見て、こいつ嫌いだーーキモイーーって凄い思ったんですね。まだ1話しか見ていない状態でだめですよと、いつものようにLDさんにたしなめられましたが(笑)、twitterで実況中継しているので、まぁその時の生の気持ちは、生ということで。僕にしては、キモイって言葉までかなりきつめに言うのはめずらしいと思うんですよ、自分的には。だって、自分もヲタクだし、痛い自意識だよなーって思うので、それってすぐブーメランになってかってくるじゃないですか。


でもね、ふと思ったのは、ほぼ同じようなヲタクの振る舞いで、痛い自意識は痛い自意識の『冴えない彼女の育てかた(2015)』の安芸倫也くんには、まったく逆の感想を抱いているんですよね。振る舞い自体はほぼ同じなのに、かっこいいーーー!!!とほれ込んでいるんですよ。



こんなことかいています。絶賛ですね。でも、二人ともほぼ振る舞いや言動は似たようなものじゃないですか。何が違うんだろう?って思うんですよ。いろいろテキトーな理由はつけることは、できるんでしょうが、このといってもう少し思考のスピードを落として、ゆっくり考える価値があるんじゃないかと思うんですよ。正直まだよくわかりません。でもこの、自意識の系譜というのは、たぶん日本のサブカルチャー、エンターテイメントの物語に深い刻印があるもので、これを考えておくのは面白いだろうなと思うんです。


それで、最初の問いに戻るんですよね。自意識って、いったいなんだろう?って。


どうも、その持ち方によっては、いわゆるオタクの自己言及というようなコミュニケーションスタイルも、プラスにもマイナスにも見えるんだろうと思うんですよ。この謎というか、どうしたら、プラスに見えるの?というのは切実な問いです。だって、自分自身にも関わることだもんね(笑)。


んでもって、自意識ってなんだろう?。定義を学問的に詰めても、面白くはないし、あまり使えないと思うので、現実に。そういうことではなく、僕の言葉で、どういう意味をこの概念を込めているだろうか?って考えると、他者の視線と自己の視線のズレに対するメタ意識みたいなものかな?と思います。もっとわかりやすく言うと、自己評価と他者の評価のギャップについて、どれだけ自覚的に見ているかどうか?ということ。たとえば、自分では俺は、かっこいい!!と思っていても、異性からは凄いかっこ悪いと思われているかもしれない。でも、それ自体は、別におかしなことではなくて、評価の基準が違うだけなので、良いも悪いもないんです。が、そのズレが存在することに対して、自分がちゃんとわかっているか?ということがあるかどうかということが自意識です。よく僕が違う言葉でいいかえていると、距離感をわきまえているか?ってことです。距離感というのは、この自己認識と他者認識のギャップを外から眺めた時に、その距離のチューニングやフォーカシングを、自分の意識でコントロールできるかどうかってことです。ようは、それを大人というかどうか、だと思うんです。


んでもって、この自意識って、空転というか、空回りするんですよね。どういうことかっていうと、自己評価と他者の評価のギャップが大きくなりすぎて、個別に回転してリンクしなくなっちゃう。「自分」がとか「自己」が肥大化する!というような表現を使うのは、他者からどう思われるか?という部分を置き去りにして、自分がどう思うか?だけを空転させて大きくして行くときに使われる表現です。中二病とかも、おれは/わたしは、異世界からの転生者で!とか、、、選ばれた前世からの使徒で!!!とかいいだしちゃったら、凄いイタイじゃないですか。でも、それを「あえてやっている」とすると話は変わっています。ああ、自分は、他人から見るとかなりイタイだろうなーと思うメタ意識と客観性があると、この同じセリフでも意味合いがまるで変ってくるんですよね。逆もあります、自分がなくなって、他者の評価だけが自分を占めてしまう場合、、、とか。これは自信がない場合に、自分がなくなっていってしまうことですね。


というようなことが、自意識ってやつです。


これって、一番大きく問題になるのは、恋愛をする時なんです。もちろんいろんな場面で起きる問題ですが、とりわけ恋愛の時はこれが大きい。「好き」って気持ちは内発的なもので、「自分」の内面から出てくるものなんですが、この結論というか成就って、他者の自分への評価に関わるので、、、、わかりますかね?いっていることが、、、要は自分がいかに好きで盛り上がったとしても、好きになった相手の内面で起きていることがうまくリンクしてくれないと、両想いにはなれないわけじゃないですか。なので、必ず他者がい厳然といて、他者の評価によって自分の妄想というか内発性というか、思いっていうのは評価にさらされてしまいます。今は米国にいて、こんな発言したらディスクリミネーションセクシャルハラスメントで訴えられてしまうと思うのですが、リクルーターや面接の時や後輩とかの相談は、こういう話は注意深く聞いていました。そういえば、男女関係なく、恋愛話はよく相談された気がします。僕はサンプル集めで、その後どうなったかをずーっと人間観察を長く深くするので、ずっと覚えているんですよね。ねこっちい(苦笑)。なので、恋愛を、それがうまくいかなくても、悶々と悩んだり苦しんだり、また深く人と付き合ったりしている人は、それだけに人間としての経験値が高く、ビジネスのコミュニケーションネゴシエーションでも、非常に安定性が高いケースが多いのです。こういう話は、ふつうは中学生から高校生にやる問題と平均的には思えるのですが、これを正しい時期に、正しい形で経験していると、それが報われない恋でも、なんでも人間として成熟しているんで、安心できるんですよ。成熟していない人間は、本当にチームワークをみだすし、正しい形で成長してくれないし、しんどい。。。。


とまぁ、30前半ぐらいまでは、僕はそう思っていました。僕も、かなり心の成熟は、そんな正しく順序立ててできた人ではないので、いやはやなんで上から目線だよと思うのですが、若い時は、すべてが最高レベルでないとだめだ!とか、常に上を目指しているので評価が上からの目線になってしまうんだろうな、と思うんですよ。まぁ、成長している時というか、野望を持ってるけど、自分に自信と実績がないときは、常にそうなるんだろうと思います。余裕ないからね。でもね、山本寛二くんの姿を見ていて、ああ、そうだよなーって最近思うんです。たしか30代で設定的には名前が違うけど、三井物産のような大手の大企業につとめているエリートサラリーマンって設定ですよね。でも、めっちゃロリコンエロゲー美少女オタク(笑)。それだけでなく仕事と勉強ばかりしてきたので、ほぼ人間関係のプライヴェートの距離感の経験値はゼロ。ほとんど女性だけではなく、人間恐怖症のレベルですよね、ここまで行くと。


昔の僕なら、こういうやつは、仕事もできない!と言い切ってしまったと思うんでしょうが、、、、なんか考えが変わってきました。というのは一つに、僕自身も、かなり人間との距離の作法が成熟していなかったけど、それとは別に社会人としてビジネスマンとしての経験値を上げまくっていたことを思い出すと、仕事は凄いできて経験値は上がっているけど、プライヴェートでは孤独って、十分あり得るんだなって、実感するんですよ。もう一つは、同じでしょうが、オタクの友達が30台になるまでいなかったので、ずーーーっとそこの部分は、他者に見せることも共有することもなく生きてきました。自分のもっともといえる重要な部分を、閉じ込めて外とリンクしないで生きながら、他のことなんでもやってこれたので、、、こういうことはあるんだなーって実感で、振り返るのだと思います。もう一つは、後輩とか部下とかいろんな人の話をい聞いていると、仕事はめっちゃできても、プライヴェートがゼロで凄い寂しいっていう人は、山ほどいるんだな、というかむしろそっちの方が多いんじゃないかって思うんですよね。意外や意外、イケメンのエリートでも、ごろごろそういう人がいます。それこそ、30代で魔法使い級という人って、いや、これが意外と多い。仕事が忙しすぎるとプライヴェートが磨滅してしまうからだと思うんですよ。それに、いわゆるエリートといえるような、いい大学出ていい会社に入ってくるような優等生は、意外に他のことができていないで勉強とかに邁進してきちゃったまじめな人が、凄く多い。なかなか、フレキビリティが少ない。それに、、、シゴトと恋人とか趣味とか、異なる領域を同時に育成するって、物凄い才能とパワーが必要で、なかなかできることではないからです。


そう考えると、、、、というか、自分が小さなチームを率いるレベルだと、いかに無能なやつを切って外に出して、優秀なやつだけで固めるか、自分がスーパーマンになって、独裁者のように仕事で結果を出せばいいと思っていたのですが、、、、自分が出世して、大きなチームを率いるようになってきたり、いまのように経営者になってきたりすると、もうそんな贅沢いってらんないんですよね。常に人は足りない状態だし、優秀な人間を運よくとれるかどうかなんかわからないし、常に回らん状態で何とか切り盛りしているし、、、、そういった多様な人間を動物園みたいに、『全体として』安定している状態にするのが精いっぱいで、そんな優秀な人間だけとかいうのは、非常に特殊なタスクフォースであって、ありえないんだなぁ、って思うんですよ。僕が優秀な人だけでチームをつく言っていた時は、その上のレベルの管理者の人が、より大きな全体を見てマネージしてバランスを取っていたからこそ、破綻しなかったんだって。『SHIROBAKO』を見ている時に、高梨太郎っていう制作の担当がいたんだけど、僕こういう他部署との連携を壊す様な人って許せないんですよね、あまりに怒りでぶるぶる震えるような気がしたんですが、、、、でも、あれだけやって、首にならない。。。いや、でも、そういうもんだよなって思うんでです。いや、たぶん彼って全然仕事できないし、酷いだけなんでしょうが、、、、でも、そういうのも含めて、どうしていくか、、、どういうフィールドを作るかが上の人間の仕事なんだよなーと思うんですよね。なので、この武蔵野アニメーションの社長の器は、なかなか大したもんだと思います。

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話がずれた。いつものことですが。山本寛二くんって、灯ちゃんに恋をしたことで、この自意識の空転の課題に、直面していくことになるわけなんですが、まぁ一言でいうと、これが凄いよかった。3-4巻ぐらいから彼が登場して、明らかに物語のレベルがぐんと上がった感じがしました。この話って、たとえば、木尾士目さんの『げんしけん』の斑目晴信くんと春日部咲ちゃんの恋の話を思い出します。これ、物凄く素晴らしかったと思うのですが、あれをすごい思い出しました。斑目くんも、オタクで自意識空転肥大化の典型的な若者だけあったので、たぶん今の時代(なのかな?)少し前なのかな?とにかく、シンクロしやすい人が多かったんだろうと思うんですよ。でも、この話も報われなかったように、基本的に報われる話を書くのが凄い難しいのだと思います。というのは、スタート地点が遅すぎて、女性の方が待っていないケースがほとんどだと思うんですよ。もしくは、男性が正しい形で前に進めず、ナルシシズムの檻に沈んでいってしまいやすいからでもある。


Spotted Flower 1


たとえば、30代の魔法使いにであるオタクが主人公で、まっとうに恋をしていくって、凄いありえないファンタジーというか、都合主義になってしまうと思いませんか?。それって、20後半を超えてくると、自分の生活や趣味がある程度安定して軌道に乗ってしまうんので、そもそも恋愛するのが難しくなるという一般的な法則もからなんでいると思うんです。別にオタクだからとかだけじゃなく。理系出身の研究者には、なんでこんなイケメンエリートが!って思うくらいのやつなのに、まったく彼女いないってケースがたくさんありました。あれって理系の研究室って男子校みたいになっていて、その後、企業の研究者って研究所が田舎にあるケースが多いからなんだろうと思います。出会いがないんでしょうね。そんで、それが時間がたつと、自分の趣味にたっぷりお金をかけるので、もう他者が要らなくなってしまうんですよね。恋愛ってのは、いまの自分をぶち壊して(=ナルシシズムの檻を出る)、持っているものをすべて捨て去るようなイベントが多いので、ある程度積み重ねたものがある人には、凄く難しいのです。なので、年齢を重なる分だけ、恋愛は凄く難しくなります。ましてや、初心者には。恋愛イヴェントっての時期限定のかなりレアなものなんですよ。そういうものが、一般的に誰もが持っていなければならな!!!という常識があること自体が、本当はおかしなことなのかもしれません。昔のお見合いとか、社会人として真っ当に生きていれば、つがいが供給されるような、ある種とてもクローズドなシステムであれば、それで世の中は安定したのかもしれないですが、いまの世の中は自由恋愛で、そう思いかないじゃないですか。でも、自由市場でやるには、なんというか、非常にレアなイベントなんで、これって大変なんじゃないのかなぁ???と思うんですよ。シゴトをちゃんとしていると、普通すぐ30台ですよ。凄いましなパターンでも。

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カザマアヤミさんの話も、これすっごい面白いのですが、これギャグになっているけど、、、でも、世の中ってこんなもんじゃないの?って気がするんですよ。頑張ってまじめに仕事してたり勉強していると、直ぐこれくらいの年齢になってしまう。恋愛の出会いイベントなんて、本当にレアなものであって、だからこそ物語になるんじゃない?って思うんですよ。平坂読さんの『僕は友達は少ない』のエンドがそうでしたが、けっきょく何もなかったという青春時代の方が、ぼくは圧倒的だと思うんですよね。いや、本当はみんな物語の種は、いっあぴころがっているんですが、そんな物語の種を現実に育てるのには、才能と運が必要なもんだと思うんですよ。なので、それをどこからか捻じ曲げて、彼氏彼女を作ろう!とかすると、人生の巨大な軌道修正みたいなものだから、本当に難しい。運と巨大なパワーがいる。普通でさえ難しいのに、30代の魔法使いにであるオタクが主人公で、まっとうに恋をしていくってってどんな無理ゲーだよって思うんですよね。なので、そこを、、、、そうでなくても男性視点でヲタクのナルシシズムの願望の快楽線に沿うと、ろくな話ができない(苦笑)。自意識の空転って、そこに外から客観的に眺める視点がないと、物凄く醜いんですよ。他者がいないことだから。それが、本人の欲望に沿って報われるのって、、、、そりゃあ気持ち悪いですよねぇ。


でも、うん、山本寛二くんのドラマの話って、凄いイイですよね。彼は米国で育ったという世間知らずな部分が、ヲタクにはまるまえに、ずっとその他のことで努力する習慣がついていたという、さまざまなアドバンテージがあるんですが、、、、いや違うなそういう物質的というか物理的な話なのではないのかもしれないですね、、、、彼には、自分を変えようとするあきらめない素直さがあった。大事なものへを認識した時に、過去の自分を壊すだけの素直さがあった、、、、、それは多分おばあさんとお兄さんの影響でしょう。それと運が重なったということなんでしょう。でもなーこういう、ナルシシズムの檻、、、自意識の空転から、気づいて自分を変えるって、物凄い難しいことなんですよねー。結局、人間素直さを持ち続けられるかどうかってことな気がします。でもなー素直すぎる人間は、騙されやすくもあるので、傷つきやすいのもまた事実で、、、バランスが難しいですよねぇ。



僕、なので、寛二くんの真っ当な成長を、じりじりしながら読んでいくのは、とてもよかったです。この手の話って、ヲタクの自分しか見えていない気もい部分を告発だけして終わるって話が多くて、それはそれでフェアじゃないよなーって思うんですよ。だって、問題点は、みんなあるもんで、恋多く生きている人が必ずしも真っ当な成長手順を積んでいるわけでもなくて、恋をこじらせて繰り返しているだけで何も自分の問題点い手が届かない場合の方がほとんどであって、リア充っぽく見えるからって、そっちサイドから告発がフェアだとは僕はまったく思わないくなってきたんですよね。世の中が全体から見えるようになってきた(年をとった)というのか、なんかさーあっちはあっちのドラマトゥルギーというか問題点があるもので、みんながみんな本当の意味で幸せであったり、充実していたり、自意識のバランスが安定しているわけでも、さらさらないんですよねー。その癖に、告発とか、笑ってしまうよ。本当に充実してたら、恋を繰り返しなんかしないっすよ。ようは、うまくいっていないってことですから。なんか、ふと思うんですが、まーオタクでも、好きなものに極端で孤独のように見えても、それはそのままで、バランスをとって楽しく生きていこうぜった!話が多くなってきた気がする。宮原るりさんの『僕らはみんな河合荘』のヒロインも、重度の小説オタクですが、、、、こういう本好きで、本の世界に生きている活字中毒の人って、ずっといたと思うんですよね。かくいうぼくも同じ系統の人で、住んでいるところが図書館的な生き方してた気がするし。。。。中学から高校までの遊び場って、いつも図書館だった気がする。あれ、友だちとシェアできたら最高だったんだけど、ああいう趣味の持ち主って基本的に対人スキル未熟だし、そういう人が集まる場っていうのが、なかなか見つからないんですよねー。学校ならば、なので部活動になるんでしょうね。僕は、そもそも体育会とか生徒会の人だったので、ヲタク系の部活動に出会う機会が全くなかった。。。あれも、孤独に拍車をかけたなー。組織の中にいるので、人には凄い恵まれていたけど、結局自分が心を開いていなければ、それって無駄なリア充なんですよねー。ああ、あのころの自分にもっと、心を開く度胸と器があったら、素晴らしいウルトラリア充の学園生活があったのだろうになーーーと遠い目をしてみます。けど、まーそういう人にだって、運とうまい出会いがあれば、それなりの確率で他者とのコミュニケーションの快楽が開けていくもので、それは、外交的な人が幸せで報われる確率と僕はそんなに変わらないように最近おもってきました。


僕らはみんな河合荘 7巻 (コミック(YKコミックス))


にしても、めっちゃドキドキしましたよ(笑)。12巻、一気に大人買いです。この作品、数巻過ぎてから加速度的に関係性への踏み込みが深くなっているので、寛二くんの話で、ああ「そこ」を話していいんだって感じでしたねー。年の差の大きなカップルも多いし、なんというか、フリーダムな関係が多くて、よかったなー。



電撃4コマ コレクション ちいさい奥さま (1) (電撃コミックスEX)