独断専行という裁量権と大きな戦略と指揮系統との整合性は?

難しい言い回しですが、要するに、「状況の変化に対応して何か行動するときには、現場が勝手に決めて構わない」と言っている。つまり「独断専行を認める」「その時その時の現場の判断で、うまくやれ」ということです。

私自身も外務省にいたとき、難しい仕事に直面すると、よく上司に「佐藤君、うまくやっとけよ」と言われたものです。ご経験がある人も多いと思いますが、日本の組織においては、上司は具体的にああしろこうしろ、とは言いません。「うまくやれ」、それだけ。メーカーの現場の技術者が上から言われる「工夫しろ」というのも、同じ意味です。



「よい独断」と「悪い独断」



この「独断専行」というやり方は、結果がよければ上司から「よし、指示どおりにうまくやったな」「臨機応変によくやった」と評価されますが、失敗すれば「何をやっているんだ。うまくやれと言っただろ」「自分勝手なことをするな」と減点され、叱られる。日本では、軍隊も企業も、この論理で動いているのです。



中略




「独断専行」を日本人の欠点とみるか、それとも長所とみるかは意見が分かれます。しかし、ひとつ確かなのは、日本の組織の中では「いかにうまく独断専行するか」が、出世競争において一番ものを言うということです。

良し悪しは別として、「独断専行」は日本の文化であり、それは現在でも、あらゆる組織の中に埋め込まれています。一般企業であろうと、また官庁や役場、大学などの公的機関であろうと、日本人が作る組織である限り、このルールから大きく外れることはありません。裏を返すと、この「独断専行」をうまくこなす技術さえ身につければ、競争の中で有利な位置に立てるということです。


2016年04月09日(土) 週刊現代
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このポイントは、考え抜く価値がある凄く重要な点な気がする。アメリカの企業で働く時のJob Descriptionに基づいて入れ替え可能性を確保し、上の指揮権が貫徹するようにデザインする組織構造とは全然違うロジックなんですよ。悪い意味では、職域が曖昧で、なんでもしなければいけなくなって、全体最適が不明のまま、際限のない仕事量に追われるようになってしまう。極論として、やれる範囲の仕事はすべてやって当然、となるからだ。けれども、良い点でいえば、ある意味、上位の職域や指揮権、上流下流に至るプロセスの全把握とコントロールが、実力によって達成できてしまう、という独断専行も許容される。


ミクロ的には、世界最強レベルの自律した小集団や小王国と化した組織が、単独で様々な問題を解決しうる実行力を持つ。マクロ大に言えば、それぞれに大きくなり小王国化した組織同士が、派閥争い的な覇権をかけて群雄割拠状態が正常な状態のため、常にセクショナリズムを超えられず、全体最適が達成されない。いいかえれば、全体としての指揮命令がはっきりしないため、それがどこへ行くかが常に不明になってしまう。指揮権が発動しないので、各組織間の力関係の「空気」で物事が自動的に決まるので、大きな犠牲を伴わなければならなかったり、大きな方向転換がほぼできない。やるときは、一斉に自滅する・した時に限る。アメリカとの戦争ですね。
 

また組織内部的には、常に下克上が存在する殺伐とした競争社会になる。これを緩和して、且つ正常な競争意識を植え付けるためには、1)参加構成員全員一律に平等な権利を与える、もしくはその幻想を見せる必要が常にある。そうでないとすぐ革命(下克上という名の日本的革命)が起きる。2)同時に、実力によらず(実力によると、殺し合いの下剋上が常態化して組織が維持できなくなる)かつ秩序(上下)を作る根拠として、年功序列、シニオリティーシステムで、階層を作り、指揮伝達に根拠持たせる。なのでこれが機能していると、組織の構成員が、信じられないほど、ギリギリのレベルで搾り上げられるように、全力でしのぎを削っていくことになるので、非常に秩序ある競争状態が確保される。日本民族の強さのコアである「勤勉」というヴァリューは、この部分からきていると僕は思う。世界に冠たる成長や、西洋文明の近代化をすさまじい勢いで吸収でき、かつ今もフロントランナーで走る根拠がここにあると思う。常時ブラック企業が大好きな人々なので。まぁ、世間による相互監視ですね。このあたりは、阿部先生の本が素晴らしいです。


日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)



と、まぁ、こんな感じの仕組みになっている。これ、日本の組織で、生き残り、優れた存在になるために、物凄く大事なポイントのような気がする。ここでいう独断専行ができなければ、日本で優秀なマネージャーにはなれないと思うし、ここでなれる人は、僕は世界に通用する指揮官になれると思う。日本のミドルクラスや現場指揮官の優秀さや、現場の優秀性は、これによって形作られているからだ。


しかし、これが全体最適になると、最悪の結果を生みやすい。特に撤退の決断ができない、組織間の駆け引きの力学を超えられないという、日本的最悪の問題を引き起こす。またもう少しミクロの問題としては、こうしたあいまいな領域があるために、アングロサクソン型の労働慣行との互換可能性が確保できないので、グローバルな多様性に接続しにくく、ブラック企業のような際限なく労働者にデスマーチを強いることが可能になってしまう(何をやるというはっきりとした目的と定義が常にないため)。


ふむ、、、これ、凄い興味深いポイント。もう少し考えてみたい。ああ、これ、山本七平さんの問題意識と同じだなぁ。時間があれば読み返したい。。。


日本的革命の哲学 (NON SELECT 日本人を動かす原理 その 1)