■日本を出てきて、アメリカで生活してよかったのか?悪かったのか?
8-9年前に30代の後半だった自分は、もう日本出たくない、日本で暮らすの最高!と結論づけた上記のことを考えていました。理由は、北東アジア、東南アジア全般を出張で行きまくりすぎて、なんかもう海外出張しんどいなって思っていたし、もう自分のキャリア変えるの難しいかなというあきらめもあって、周りを見回したんですね。そうすると、「どこに行っても、どれだけ出世しても、お金がザクザクあっても」幸せじゃないやつは、全然、幸せじゃないってことに気づいたんですね。
住む場所は関係ないじゃね?!って実感したんですよね。
だから、「今自分が住んでいるところで、ちゃんと深堀すれば、豊かさはたくさんあるって」気づいたんですよ。まぁもう30の後半でしたしね、「どこかに行けば何かが変わる」というのは、あまりに世間知らずだなって。-----まぁ、そう思った瞬間に、ご縁があって、アメリカの会社にお世話になることになるんですけれども。人生というのは、サプライズと、意味不明な出会いの連続だなっていつも思います。
あれから8年近くたって、まだアメリカに住んでいますが、アメリカに行く前に「自分のいる場所で充実を探さなければ、どこへ行っても不幸なまま」なんだって、ことを実感した後に渡米できたのはよかったなぁと心底思っています。いやなにも、「ブラックで苦しい状況から逃げ出す」ことや「アメリカ(どこでもいいですが)に新天地を見出す」ことも、それ自体、個々人の選択なんで、いいも悪いもないんですよ。けれども「どんな場所でも、居場所を作って幸せになるには根気と努力がいる」ってことを自覚できているかどうかって大事だと思うんですよね。
僕は「住めば都」と思っている人なんで、正直言って、アメリカであろうが日本であろうが、どちらも、それぞれの良いところ悪いところがあるし、自分に合っているか合っていないかがすべてであって、一般化して言えないんだなっていう、はっきりしないのが、ペトロニウスの結論ですね。
せっかくなんで、少しまとめておこうと思い立ってこのメモを書いています。
■自分のこと、アラフィフになり、人生の残り時間が少なくなり老害化した後に
なんでこんなことを考えたかというと、この2021年ぐらいから、何かが「大きく変わってしまった」という感じがしているんですね。何が変わったのかよくわかりませんでしたが、それが明確なる形を持ってきた気がするんです。多分きっかけは、庵野監督のエヴァンゲリオンが終わったことなんだと思います(笑)。多分このタイミングで、90年代に青春、子供時代を過ごしてきた「アダルトチルドレン的心性というか宿題」が、ここで総決算されたんだろうと思うんです。
ちなみに、ブログの記事をまとめなおしてガチで加筆修正した同人誌を作成しましたので、もし興味があれば買ってください。まさに、僕らの団塊のジュニアくらいの世代の魂の遍歴だなってすごい感じるんですよ。これ丁寧に考えていると、「大人になって成熟するために」どういうステップが必要かの教科書みたいだなって、しみじみ思います。
個人で本を作ったのは生まれて初めてな上に、インデザインのソフトがわかりにくくて、しんどくて、、、なんかおかしな部分があれば、メールなどで教えてくださいね。可能な限りは修正しようと努力してみます。
あとね、もう一つは、シロクマさんの出された本に触発されて、なんだか「時代と自分がマッチしていない違和感」がずっと大きくなり続けていることを、感じていて「それがんなんだろう?」って、ずっと考えていたんですよね、この数か月。僕は20年ちかくもブログの世界に住んでいるので、ブログがメディアとして終わりを告げつつあるので、「自分が居場所を失いつつある」と感じているのではないか?という仮説を立てたんですが、なんというか、それも大きな外部環境変化の一つなんですが、どうもそれだけではなく、もっと大きな感じがしてたんですよね。
このズレの違和感
がはっきりしないうちに、行動したり意見を言っても、なんだか「時代にあっていないアップデートしていない老害」を自分が振りまいている感じがして、自分のなかでいろいろなストッパーがかかっていたんですよ。けれども、2021年のエヴァを見たときから感じていた感覚が、やっとわかってきた気がするんです。
「気持ちの継続」と「自分のテーマ」はうなずく。40-50代って、勢いやスペック効果なくなって、年功的な年齢序列で、そろそろぶっちゃきいっていらなくなる(苦笑)のに気づいて、不安のどん底に落ちる時期なんだよね。経験に価値ができるように態度ややり方を変えていくのは大事。 https://t.co/lynn6sq6qE
— ペトロニウス (@Gaius_Petronius) June 23, 2022
僕はこの悩みや感触って、普遍的なんじゃないかなって思うんだけど、準備と覚悟があれば回避しやすいし、「年齢による老い=可能性の減衰」という事実を前提に人生を眺める癖は、人生という勝負に勝つ?上では大事なことだと思っています。まぁ、勝つというか、幸せになるためにね。
— ペトロニウス (@Gaius_Petronius) June 23, 2022
30代後半で「キラキラする成長(=未来の可能性)」がなくなるんだって気づいて、40代後半で「今いる場所での老害=あなたはいらない」って感じて、それからが人生の勝負という人生100年時代(笑)。人生の課題はみんな似てて、同じなんだぁと思う今日この頃。
— ペトロニウス (@Gaius_Petronius) June 23, 2022
ようはね、人生にはライフステージみたいな、大きな階段の踊り場があって、その「踊り場ごと」に見える風景は激変する。たとえば、ここでは、30代後半で「キラキラする成長(=未来の可能性)」がなくなるんだって気づいて、40代後半で「今いる場所での老害=あなたはいらない」って感じて、40-50代って、勢いやスペック効果なくなって、年功的な年齢序列で、そろそろぶっちゃきいっていらなくなる(苦笑)のに気づいて、不安のどん底に落ちる時期って描いているけれども、もちろん人ぞれぞれのタイミングの違いはあるだろうけれども、
加齢による=可能性という選択肢の減少
という「見える風景の大きな視座」は、変わらない。またリンダグラットン教授が言うように人生100年時代になると、この年齢による可能性の見えかたも、ほんのひと世代前、30-40年前とも、まったく違ってしまっている。そして、ここでは、僕は40代後半。もうすぐ50歳になるので、はたと気づくんですね。もうね、本当に「未来の可能性は少なくなっているってことに」。
もちろん、何でも自由に「言い張り可能」なことは、何でも言えます。これからいくらでも可能性がある!とかね。でもね、そういう能天気な、自分を奮い立たせる言説は、僕は害悪しかないと思っています。ようは、自己啓発のエナジードリンクで心臓に負担をかけているようなもの。そういうのがうまくフイットしている、前向きでポジティヴな人生を送っている人は、それでいいですよ。そういう人は、他人に影響与えたくて、前向きになれば可能性はいくらでもあります!とかいうんですが、それは「その人」にとってそうなだけで、あまり意味はありません。なぜならば、10年ごとくらいに加齢によって「世界の見え方が変わっていく」ことは、人類であるからには逃れようのない風景の激変であって、人間に寿命がある限り、加齢が「可能性の減少」を伴うもの出ることは否定できないからです。だから、やはりもう少し「落ち着いて冷静に」、自分自身の能力、経験、実績などをベースに、彼で経験が狭まるステージで、どういうことが可能か、どう生きる姿勢を変えてカスタマイズしていくのが、自分にとってベターかつフィットしているのかを考えるのは、大事だともいます。誰もかれもが、志とか気合とか情熱で生きているわけではないからです。あまり強気で「こうあるべきだ!」という人は、信じない方がいいです。その人の思い込みが過ぎるので。
たぶん、大事なのは「振り返り」なので、僕はこの本を読みました。
友人がおすすめしてくれたので。本は、いまいち読めないという人は、中田さんや岡田さんが、見事に解説してくれているので、まずは聞いてみるのをお勧めします。僕が言いたいことは、「自分の人生の過去の棚おろし」をしたうえで、「次のステージに向かって本当にやりたいことは何か?」と探すライフスタイルを日常に組み込むことが重要だと思っています。この手でノートに書いて、いろいろ試行錯誤するのは必須のような気がします。なぜならば、ペトロニウスは、もうすぐ50歳ですが、このあたりになると「キラキラする未来の可能性」というのがだいぶ閉じているからです。老眼、体力の減少、年齢的な制限等々で、10代や20代のころのような「可能性の扉」は大分閉じています。だから、その少ない可能性の中で「ほんとうにやりたいこと」を絞っていかないと、つまり、効率や生産性みたいなものをよくよく考えないと、すぐ寿命というお迎えが来てしまいますし(笑)、そうでなくとも、体が無理が効かないので、何でもやれるわけではないからです。さらに言うのならば、何かを不満や問題に思っているとしたら、40-50歳まで継続している日常の生活習慣やマインドセットを、崩していかなければいけないわけで、それは気合がいります。
この人生の立て直し、リビルドを、意識して考えて、書いて、話して、行動して、ということができないと、残りの後半生は-----セカンドラウンドライフは、より良く生きられないのではないか、と僕は今感じています。
まぁ、これがよりよく充実して生きるのに、どれくらい役に立つのかは、実際のところ分かりません。けれども、10年単位?くらいで、「自分の人生を振り返って」、何をなしてきたかを見つめ直す作業は、僕は人生を豊かにしてくれると思うんですよね。僕の人生モットーの一つは、「墓場まで持っていけるのは思い出だけ」なんで、「思い出」をどれだけ、ちゃんと作れるか、「思い出せるか?」ってのは、重要な幸せのファクターだと思っています。人間は、未来だけに生きるわけではなく、過去にも生きています。「良い思い出(=過去)」をどれだけ、丁寧に作って、そして、それを思い出したり、大事な人と共有する儀式を持てるかって、「今を充実して生きる重要なファクター」だと思います。そのために、時々棚卸したり、写真を振り返って見直したり、そういう習慣があると、人生の、過去、いま、未来を丁寧に生きられると思うのです。ちなみにもう少しプラクティカルに言いますと、僕は、この「振り返り」をいつでも精密にできるように、エクセルのファイルで、年別に表を作って、どんな大きなことがあったかをメモしています。また、アーカイブとして、その時の写真とかも紐づけて、すぐ見れるようにしています。なので、ちょっと自分を振り返ろうとすると、その年表とブログの記事のdateと、僕は手帳に何でも書き込む癖があるので、それをつなげると、かなりの精確さで「当時の、その日に自分が何をしていたのか?」がわかりますし、大きな悩みや問題意識は、メモされています。それを数年ごとや、大きな人生の転機ごとに見直していると、自分が「どんな人間なのか?」とか「どういう決断をどういうパターンでするのか?」がよくわかってきます。僕は、「自分探しという趣味」と呼んでいますが、深刻になりすぎず、目的意識もなく(何かのため!とか感が出すと歪みます)、ただ単に「自分とはどういった人なのか?」を客観的に理解しようと、淡々と記録をつけています。ライフログというやつですね。こういうのがあるとですね、「振り返り」の精密さが上がって、変な失敗をしにくくなるんです。失敗や成功のパターンが「見えるか」出来てくるからです。重要なのは、外ならぬ「自分自身の体験」なので、解像度が高くて、汎用性が高いんです。
■世界のランドスケープを考えよう
さて、こうした振り返り、そして、未来予測するときにどういう風に考えればいいか?
僕は2点が重要だと思っています。
1)事実と分かっているデータをベースに考える
(この場合は、人口が減っているか?それとも増えているか?とかですね)
2)1)の事実をベースに、それによって「変化するであろう世界観・価値観」を想像する
(この場合は、SFとかを読むといいですね)
というのは、やはり世界を鳥瞰図で、いいかえればバーズアイで眺めるには、大きな地形の変化をまず把握しなければならないし、その地形の変化によって、自分自身、家族などミクロの人間関係の「価値観自体がどう変化するか?」がわからないと、勘違いをしてしまいやすいから。このあたりがうまいなーと思ったのは、下記の2冊の本。おすすめです。
■たぶん情報の取り方が、変わっている気がする
そして、もう一つ、どうも自分の人生を眺めるとき、未来を考えるときに、どうも情報の取り方ってのが、古き教養主義的な在り方から少し変わってきているなって感じます。そのあたりは、下記のYOUTUBEで話しましたので、興味があれば。その時にお勧めの本は、以下の2冊です。