『アルテ』18巻 大久保 圭著 仕事を通しての自己実現なんて甘ちょろい意識を超えたその先に、、、

アルテ 18巻【特典イラスト付き】 (ゼノンコミックス)

評価:★★★★★星5
(僕的主観:★★★★★星5つ)


ついにフィレンツェに。アルテは、とても好きでもう何回読み直しているかわからない作品。今クライマックスに向かっているところ。多分もう直ぐ終わるんだろう。何がそんなに好きなんだろうといつも考えるんですが、アルテの「覚悟」がとても好きなんだと思うんですよ。15巻までは、アルテ・スパレッティという少女が、好きな絵という仕事を通して成長していくビルドゥングスロマン(成長物語)になっていて、そして、成長しすぎるが故に、出る杭は打たれるとばかりに、フィレンツェを追われていく。彼女は、でも、生き残り、カタリーナの宮廷画家になっていく。それはそれで美しい、「お仕事もの」としての上り詰めるお話です。物語のドラマトゥルギーとしては、これで「めでたしめでたし」でいいんだろうと思います。

でもそうじゃないんですよね。この物語の最初からのテーマが、「お仕事を通しての自己実現」だけじゃないようにかんじるんですよね。なんかね、登場人物たちに「強い覚悟」がある気がするんです。「働くこと」が、自己実現だけでは済まないような、切迫感がある。ああ、2010-20年代の物語だな感じがします。18巻は、レオ編で、レオが物乞いで最下層の貧困の中、のたれ死ぬ寸前で見つけ出した、「生き残るための命綱」を過去編で描かれているんですが、「働くこと」が、「生き残ること」と直結している。だから、自己実現、、、、好きなことを通して自分の自己を表現するというような「甘ちょろい」ことだけでは済まない切迫感がある。どんなに虐げられても、利用されても、いじめぬかれても、喰らいついたらはなさない、この命綱をはなしたら、餓死するしかないという恐怖、切迫、覚悟がある。大久保圭さんという著者が、「働くこと」をどう捉えているのかが、各エピソード、各キャラクターともに、すべて同じなので、よくわかります。ともすれば、女性が芸術の仕事なんてできなかった男尊女卑の職人社会の中で自己実現をしていくような「いまどきの」の話に見えますが、射程距離が全然違ったのが、この長い巻数を通して伝わってきます。過去にも感想を書いた気がしますが、とりわけカスティーリャ女王ファナの娘カタリーナ王女の造形は、今までこんなの見たことないものでした。でも、きっと王族のような立場に立つ人の意識ってこういうものなんじゃないかなと思わせる烈しさと静謐さに溢れていて、見応えがありました。この人も同じですよね。人間の持つお仕事や肩書きや役割の収まりきらない、強い想い。


アルテが、フィレンツェに帰る。


随所に見られる彼女が師匠のレオから受け取ったものの「重さと深さ」を感じて、感動します。恋とかそういったふわふわしたものを吹っ飛ばして(笑)、愛も超えて、、、、ああこんなに深い紐帯で人はつながれるのか、と胸が熱くなります。


17巻で、「もし、その師匠が今 不幸なら あんたは どうするんだ?」と問われてアルテが答える


私が 幸せにします


という大ゴマでのアップのショットは、胸を打たれました。いやはや、もうかっこいいを超えて、畏敬の念を感じますよ。いやはや本当に素晴らしい。


ちなみに、蛇足というか、なんでこの話が気になるかというと、ずっと話している2010-20年代の新世界系のその後の展開として、壁の向こうに行った、もしくは壁の向こうに「生まれながらに住んでいる」子供達は、基本的に、世界を悲観したり呪ったりしないで、過酷な生きていくだけでも難しいサバイバルな世界を肯定して受け入れていくという話をしてたんですが、、、「それがどういうことか?」をこのアルテという物語は、如実に示しているからだと思います。非常に単純で、「仕事というものがどういうものか?」と問われた時に、「それにしがみつかなければ生き残ることができない過酷なもの」という前提があるからです。アルテの登場人物たちは、そのことに嘆いたり、「不平等だ!」とかイデオロギー的に訴えたりしません。仕事を通して、生き抜くこと、そこに命と人生を賭ける覚悟があります。そして、それだけの「覚悟がない奴等」が、どういうふうに人生を毀損して消え去っていくかも、如実に描かれています。人生、そんな甘くはないってのは、レオの育てられた工房の他の弟子たちが、その後どうなったかを考えれば容易に想像がつきます。僕は、やはり成長物語が勝ってきているんだなという感触を感じます。


僕は、この覚悟好きです。ほんとうに。アルテって、素敵な人になったんだなと思います。