08年は映画をみなかったなぁ・・・・ワークライフバランスというのは、本当に難しい

08年はプライヴェートの激動と異動や引っ越しなど、人生の中でも、超弩級ウルトラの激変で、人生がぶっ飛びまくった感じだったので(知っている人は知っている)、個人的な時間がほとんど取れなかった。まぁ全体を見れば、これ以上の幸せはないってくらい幸せだけど、いかんせん、これだけ連続すると、もう正直・・・泣きたい・・・(苦笑)。正直、三十路を越えて幾星霜の自分には、もう身体的にしんどい・・・とか思うのだが、そういうことを言うと、40歳の壮年期の上司や先輩たちに、「甘いこと言っているな!」と激怒されそうなので、体を鍛えなければなぁ、としみじみ思う今日この頃。「前の十年が、次の十年を決める」というからね。大学生時代に、相当のモノをためた自信があるが、それは、20代で使い切ってしまっているようなので、心もとない感じです。もっと頑張って生きねば。


とはいえ、たとえば、せっかく『ノラネコの呑んで観るシネマ』のノラネコさんに、何度も飲み会を誘っていただいたのだが、どうしてもいけない用事にぶつかることが多く、そのあたりは、内心忸怩たる思いがあった。本当に申し訳ありませんでした(私信)。ほんといけなくて悔しい思いをした。これが、今年の最大の心の残り。漫画系には、もうかなりディープな友達ネットワークができつつあるので、映画や小説関係の話ができる友人をもう少し広げたいなーと思うんだが・・・。これだけ映画を見ていないと、なかなかねぇ。

映画は、わが人生!みたいな部分もあるので、とてもストレスフル。考えてみると、2時間を確保する(移動を含めると最低3時間)とか、レンタルビデオでも、それなりの余裕がないと見れないなぁ。時間の優先順位がないと、かなり後回しになってしまうことを自覚した一年だった。漫画や小説は、通勤の行き帰りの2時間を確実に確保しているので、物凄い量が蓄積されるんですよね・・・・。こういうのってライフスタイル依存だなぁと思う。


とはいえ、そのへんはほんとに、ほんとうに、駄目だ、苦しいと、僕のゴーストが、ささやくんだよ(笑)。まぁ仕事も勉強も大事だし、それ以上に家族が大事なので、ある一時期にそういった余裕がないのは仕方なくもある。責任や成長への努力から逃げてもいいことはないしね。けど、「自分自身の内的な充実」というものを、プアにすると、「いまこの時の自分」というのは二度とないわけで、そういうのも、なんだかぁと思う。プライヴェートの内的な余裕がない人は、行動や家族や仕事にも、ダメさやマイナスが転化していくものだと僕は思っているので。

とはいえ、使えるリソースや体力は限られているけどねぇ。言葉で書くのは簡単ですが、家庭や仕事をあるレベルで保持しながら(そもそもこの両立が不可能なくらい難しいんだぞ、ライフワークバランスとか、簡単に叫びやがって!!プライヴェートの時間を確保するってのは、事実上可能に近いことなんだよね。普通のサラリーマンには、まず無理。絶対無理、と断言しよう(苦笑)。どちらかをあるレベル手を抜かないと、とてもじゃないけどやれないのが普通。が、仕事「命」「最優先!」でやらなければ、絶対出世もないし、出世の見込みがない人はそもそも仕事の充実や、その「居場所」自体の確保すら難しいのがこの競争社会。基本的に、仕事が最優先というコミットが周りに伝わらない人間は、確実に居場所はなくなると思う。だって、おれだって、そんな上司やリーダーの下で仕事したくないもの。しかし、家庭を犠牲にすれば、即の離婚か、そうでなければ熟年離婚(どっちみち離婚さ(笑))。まぁ、両立できるスーパーマンはいるんだけど、そういう人がクローズアップされると、社会的損失は大きいと思う。そういう人は、物凄いタフな人であって、例外なの(笑)。


そういう意味では、日本社会にとって、最大の統治優先事項の一つは、「少子化対策」とたぶんそれに伴う女性の権利の確立(家庭を維持しながら、子供を産んでも、介護があっても、家族全員がそれなりの自己実現を為せるリソース環境の確立)なんだと思うが、局所では、頑張っているははわからないんでもないが、根本の基礎レベルが低過ぎるので、事実上、国家としては沈むようなレベルだよなぁ、と思う。思想的なレベルで、積極的なプライオリティをつけない限り、それなりの近代国家としての順当な対応では、もう対処できないくらいマクロの人口環境は悪いし、公的な補助レベルは低過ぎる・・・・。


30代の真ん中ぐらいって、こういう狭間なみんな悩むんだろうなぁ、と思う2008年(平成20年)でした。厄年とか、ああいうものがあるのが何となく理解できる今日この頃、大きくマクロ的にみると、人生で決断や大きなストレスを抱え込む時期って、ある程度平均化できるんだろうなぁと思うのだ。風水とか占いの古いものって、要は統計学だからね。


学生のころ何かの本で、「自分」というのは、4つあって、

1)素のままの「自分」

2)家庭人(夫や親)としての「自分」

3)社会人としての「自分」

4)パブリック(=公的な)な「自分」

ちなみに、公的なという部分には、4)−1地球市民のレベルと、4)-2ローカルな地域コミュニティのレベルの実質5つに分けられるというのがあった。


このどれもを、時間をかけて育て、成長させていく「意識」を持って生きていないと、人生が不幸になりやすいというのを読んで、ひどく納得した覚えがある。まぁ、ぶっちゃけ、それって、不可能だとは思うが(笑)・・・まぁ80年ぐらいの人生を時系列的に分けて考えれば、そうだなぁ20代の前半、大学生の最初くらいから意識して維持すれば、もしかしたらなんとかなるかもしれない、とは思う。


それぞれは別の役割で別の人格なので、意識して「その時の自分」の経験値を上げていかないと、レベルは上がらないとその本には書いてあった。また、初期のレベルが低い段階では、それぞれの役割は、リソースを奪い合って「相反する」「反比例」するベクトルにあるので、基本的には、自分の日常行動のデザインを設計しないと、基本的には「両立しない」ものだ、という意見も興味深かった。


人生は、充実しておくろうとすると、ひどく難しいし、しんどいですね(笑)。まぁ正しい戦略を持って、気合いを入れて頑張れば、結構高い手ごたえが返ってくるので、まぁ頑張るしかねぇーなーとは思いますが。「人生そんなに急いでどこへ行く?」って気もしないでもないですが、「どこへも行かないけど、時間は過ぎるから、同じ場所でも充実したいよね」って感じかなぁ。

とにかくこの2年くらいで、心底おもったことは、、、って、さっき妻としみじみ話していて本当に本当に思ったことだが、人生のイベントってのは、1年から2年くらい前倒しに準備していないと、ほんとうにどんどん悪くなるが、できていると、相当うまく世の中は渡れるものだ、ということ。その分、日常は苦しいし、鼻水出るし、涙で景色がにじむが(笑)、まぁそういうものだよね。人生。準備が大事ということだ、何事も。・・・って、準備が、出来ないのが人生ってやつだけど。