『高杉さん家のおべんとう』 柳原望著 

高杉さん家のおべんとう 1

評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★☆4つ半)

柳原望さんは、もうずぅーーーと好きで、、、、たぶん、僕は、中高校生の頃は、LALADXをいつも買っていたので(←つーかつっこまないでくれっ!(笑))この人は、デビュー作からのファン。・・・って、もう20年近く・・・・(苦笑)。そうか・・・そんなに時が流れたのか・・・(遠い目)。いまの少女漫画家で結構有名どころは、みーんなデビュー作から知っている・・・(苦笑)。あまりヲタクという自覚はないが(岡田斗司夫さん的定義では、原ヲタクではないだろうしね・・・)、にしても、よーこのジャンルには、お世話になっている。人生を彩ってくれている大切な趣味ですねー。これくらいなると。

・・・ちなみにこれだけ長くエンターテイメントを見て、物事を考え続けていると、かなり見た瞬間、この人が大成するか、とか、「どこまでいく」かがわかってしまう。というか、その「審美眼」は、ほぼ中学ぐらいのときには完成していたから、その後は、膨大なアーカイブによってそれが検証されているといった感じだな。そんでもって、この人は、最初見た瞬間から、あっ!と思ったのを覚えている。なんというのかな、、、ああ、何かこの人は大切なことが分かっていて、それを物語で表現したい人なんだ、と思った。こーいうコアがある人は、高いレベルの物語を、コンスタントに紡いでいく。きっと、、、と初めて出会ったときに思ったものだ。それ以来ずっと追いかけているけれども、やっぱりそれは正しかったと思う。『まるいち的風景』とか、素晴らしい傑作です。この人の物語には、外れがありません。けど、長いものは、特に傑作の香り高いです。


まるいち的風景 第1巻 (白泉社文庫 や 7-5)
まるいち的風景 第1巻 (白泉社文庫 や 7-5)


とにかくね、なんというか「あったかさ」が別格なの。現実の厳しさっていうと、なんか手垢にまみれる言葉だけれども、なんというか決してほのぼの日常的な予定調和だけじゃなく、とてもクールな視点を持っているんだけど、そのなかで小さな灯が光るような「あたたかさ」なんだ。この人は。「本当のやさしさ」や「あたたかさ」というものを、よくわかっている人なんだって思う。ほのぼのしたやさしさや、日常の小さな灯は、大きな厳しい現実や不幸の中で輝いたりしちゃうものだ。人生そんなに甘くはない。本当に「何もない」中での「日常のほのぼの」なんて、そうはないものなんだよ、実際は。本人が、そういう人生の、大きな困難を、受容してしまうと、それは実は不幸ではなくなるからね。・・・・みんなそんなちょっと不幸や大変なことを抱えながら、それでも、人生を前へ向いて生きている、そんな感じ。


と、大枠はここまでにして…


久留里・・・・ヤバいよ、やばすぎるほど、かわいいーよ(笑)。



この系統のものって、よくあるじゃないですか。まぁ分類としては、1)落ちモノ系(かわいい女の子が降ってくる)と、2)年上の男性が年下の娘?とかを引き取ることになって、というシュチュエーションもの。2)によっている場合は、家族系に落ち着くか、恋愛系(雑誌の系統によってはH系にいく)にいくか?ってことだよね。これは『おたくの娘さん』とか、2)の家族系によっている話。一緒に暮らしていた従妹が家を出て行ってシングルマザーで死んじゃったらしく、30歳のオーバードクターニートに近し(笑))のもとへ、12歳の女の子(その従妹の娘ね)がやってきて一緒に暮らし始めるって話。


この系統って、、、「何が」面白いんだろう?というか、需要があるじゃないですか?確実に。基本的には、「小さな娘を引き取る」というシュチュエーションだよね、すべて。


これって逆に「小さな男の子を引き取る女性」もしくは「男性」という話の類型は何かあるだろうか?思いつかん、すぐには。誰か思いついたら、教えてください。


たぶん基本的には、男性が読む場合には、年長側の男へのシンパシー(感情移入)が基本にある。延々と、内面描写の煩悶が続くことから「相手を理解したい、されたい」という欲求に対する感情的慰安があるわけだよね、たぶん。基本的には、孤独から・・・ナルシシズムと呼ぶほどじゃないけど、「一人でいること」に慣れた人が、自分を変えて、相手を理解していくプロセスというのが、この類型の肝なんだろう。いくつか思い浮かべても、すべて、そうだもの。最近この手の作品が多いような気がする、、、なぜだろう?。


とはいえ、それが物語となり需要を呼ぶのは、「年下の少女」+「一つ屋根の下」という設定が、まーHとはいわないけど(笑)、男の望むもんだからねー(苦笑)。まぁこの構造(基本需要)に乗って、同工異曲の様々な作品が展開可能になるわけだ。ちなみに、ようは、半分異性の可能性のある(子育ての一番苦しいところ&自分の家族だと深く認識するプロセスをとってしまっている)相手と、家族というテンプレートに則って、相互理解をしていこうとするんだろうね。ああ、こう書くと血のつながらない(でなくてもいいが)「妹モノ」というのも、そういうカテゴリーに入るんだろうね。


とすると、、、ようはね、「なかなかお互いに真意が伝わらない」というディスコミュニケーションの中で、二人が心を許し合っていく過程・プロセスをどう描けるか、料理できるか、というのがこういうモノの特徴となる。ここでは、タイトル通り「お弁当」がそれ。シングルマザーの母親は死んでしまったので、娘の久留里と母親との思い出をシェアする人は、誰もいなくなってしまっている。もちろん、周りの町の人とか「知り合い」はいるが、家族の深い親密圏のコミュニケーションというものは、濃密さが違い、それは「外部」の人間にはいかに仲が良くてもなかなかわからないものだ。この引きとった、なんのつながりもなさそうな30男は、しかしやはり家族なんだよね。それは、彼が、ずっと従妹(=くるりの母親)と暮らしており、お弁当を作ってもらっていたという記憶があるから。最初に、その従妹の作っていたきんぴらとハンバーグのお互いの思い出の「すり合わせ」が、二人が、全く面識ないにもかかわらず、「家族になる可能性がある」相手だってわからせる非常に重要なエピソード。これは、上手いなーと思う。


えっとね、初めてこの主人公(30男ね)が、お弁当をくるりに作ってあげるときに、自分の従妹のハンバーグの味を全力で再現するんだよね。この主人公は、物凄く難しいハードルをここで越えるわけだけど、これは愛情とか人間としての真摯さがないと、気づかないものだ。特に、こんな途中から家族をやろうなんていう場合は、ね。なんでもそうだけれど、、、、小さな子供をひきとって、自分の仕事もちゃんときまらず、なかなか厳しい環境にいる状況で、こういう「大事な時」に大事なモノを、探して、しかもなんとして行動に移そうなんて思わないもの。こういう「人間関係」の部分ってのは、よほどの深い堆積や関係性の積み重ねがなければ、タイミングが重要で、一度外すと、なかなかそれをも出すことができない。


いやーこの無口で、マイペースっぷりのくるりをてなづけていく過程は、、、、って、僕は、こういうのを見ると、なつかない猫を調教しているように見えてしまうんだよなー(苦笑)、、、いやほんとうにいいよ。


けど、最後の部分で少し片鱗があるが、、、そうなんだよね、これ、これだけ相互理解が深まれば、、、そりゃー女の子の方は、相手が好きになっちゃうよ。それを、どうするか?ってところだよねー。幸いにして、小坂りいなという、大学の同僚が、いい味を醸し出しているので、これとのバトルがこれからの決め手です。






お伽話を語ろう (白泉社文庫)