2021年の振り返り+2022年の目標

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2021年がどんな年だったか?と総括すると、やはり『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を見に、コロナ制限下の日本に一時帰国したことだ。

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2020年のコロナパンデミック、そしてトランプ大統領によるVISAの制限などで、もう日本に帰るしかないのかとか、いろいろしんどかった。が、その中でも、シン・エヴァを日本の劇場でリアルタイムに親友たちと見れたことは、この上のない自分の人生の思い出になった。とても運良く、自分も家族もコロナや病気になることもなく、何とか過ごせて、生き残ることができただけでも十分な成果だと思う。アメリカの会社に勤めているので、コロナで需要減が予測されたとたんグローバルにいきなりの大レイオフが実施されたけれども、からくも生き残り、まぁ職も、住処も、健康も何とか維持できたので、本当に良かった。いろいろ激動ですよ。ほんと。



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■2021年の物語をどのように見てきたか?

1)『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

2)『Turning Point: 9/11 and the War on Terror』

2)『進撃の巨人』終了

3)『UQHOLDER』もうすぐ終わる
2021-1010【物語三昧 :Vol.131】『UQ HOLDER!』24巻 普通の人々の進歩が、世界を最も救う-139 - YouTube

4)『鬼滅の刃』の大ヒット+連載終了(2020年だけど単行本で読んだのは、2021)

5)『スーパーカブ』(2021) トネ・コーケン原作 藤井俊郎監督 そこにもう救われない最後の1%はいない。観た最初の1話でずっと感動して泣いていました。

6)『ノマドランド(Nomadland)』2021 Chloé Zhao監督 雄大なアメリカの風景を移動しながら野垂れ死ぬことを幸せだと思いますか?

7)マンガのあり方は、ジャンプ黄金期の500万部を誇った紙帝国による流通支配の構造から解き放たれて、マンガ本来のポテンシャルを、全力で追及するフェースに入っている!

8)The Road to 2024 - 米国政治を見ていくうえで背景として押さえておきたいことのまとめ-トランプ支持の7400万票の意味を問い続ける必要性(1)-(3)
https://petronius.hatenablog.com/entry/2021/02/02/095016
https://petronius.hatenablog.com/entry/2021/02/06/070021
https://petronius.hatenablog.com/entry/2021/05/08/073635


9)すべてはグローバリズムの浸透にによる能力主義メリトクラシー)による断絶から

10)與那覇 潤『平成史―昨日の世界のすべて』を読んで、平成の30年が自分の中ではっきりと歴史になった



「何かが終わって」「何かが始まっている年」という感じが凄くする。どうもやはりいろいろなことが、10年単位くらいで変わっている感じがします。この「感じ」が強く感じたのは、アメリカのアフガニスタン撤退(911以来の対テロ戦争の20年の終了)と、與那覇潤さんの『平成史―昨日の世界のすべて』の平成1年1989-平成31年2019の30年間を描いた本を読んで、平成がちゃんと歴史になった気がしたんですよね。もちろん、シンエヴァ進撃の巨人が終わることによる、大きな喪失も個別では感じました。また『The 100』シーズン7(これは2020年)、約束のネバーランド鬼滅の刃と、アズキアライアカデミアが、セカイ系(00年代)の次の世代の物語群だと考えていた「新世界系物語群」(2010年代)も次々に終わりを迎えました。区切りは、2020年ぐらいから感じていたのですが、ついに終わったという感覚が強い。やはり、シン・エヴァは、青春というか、青年時代が完全に終わったなという感慨をもたらします。僕が、1995年ですから大学生の時でした。27年ぐらいたっているのですね。


『スーカパーカブ』によって、「救われない最後の層をどう救うのか?」という命題には、決着がついた気がします。「生き残る気がない」「勝つが気ない」いいかえれば動機、自分で自分を助ける気概がない層を、どのように救うかという問いは、その答えが出ないままに、仮に何も持っていなくても「友達がいなくとも」「生まれ育ちが恵まれていなくても」それでも何とかなる方法は十分にあるほど、セカイも世界も美しいという結論を経て、次のステージに移ったと僕は思います。だって、これって才能や手持ちの偶然に恵まれたアイテムの差では、人生は変わらないって言っているわけですから。主人公は、特に生きる気力もない、ただ息を吸っているだけのような、何一つ期待していない人生を生きているにもかかわらず、「ただ風景が変わる景色を眺めるだけで」その世界の美しさに魅了されていきます。これが、答えです。ただ生きているだけで、人生は美しいのです。そのために必要なものは、賢しらな、お金、美醜、そういった「勝ち組」などに見える物質的な、タンジブルなものじゃないんです。みんな、それに騙される。


那覇の本を読んでいて、平成の30年を一言でいうのならば、勝ち残る意志を持ったものが生き残るという前提で社会が運営された時代だといえるでしょう。手垢にまみれた曖昧な言葉ですが、新自由主義ネオリベラリズムの時代といえる。だからこそ「そこから取り残される人々」をどう救うのか?という命題と告発が、常に繰り返されました。もちろんのこと、「生きる気力のない人は、淘汰され死ぬしかない」のは生物の宿命ですが、『スーカパーカブ』においては、その選別の基準は、決してメリトクラシーなどの能力ではない!という喝破があったと思います。クロエ・ジャオ監督の『The Rider』 でも『ノマドランド』でも、人間はしたたかで、メリトクラシーによる選別淘汰ごときを超える次元での、美を生を持っているといっているように僕には思えます。もちろん、リソースがないところに、物質的な豊かさや、人権のような嘘安楽装置が通じない過酷な世界を生きなければいけないのはどうしようもない事実ですが、「その過酷な選別淘汰の世界の中」でも、セカイに祝福され、美しい生を世界を生きることは十分にできる!ということを結論付けているように思えます。『天気の子』もまさにそうですよね。


リア充と非リア充の文脈も、結局は、社会的に勝ち組に見えるという「その時の」選別基準だけを言っているので、温暖化や大地震などの大環境変化がきた瞬間に切り替わるような、チープな選別基準では、人の価値は評価できないし、そもそも「生き残る」という命題の前では、そんなことを関わっているのは、社会に余裕があった昭和時代の甘えだということで、その話は終わったように感じます。


フェミニズムなどのマイノリティの権利要求の勃興や先鋭化カルト化に対して、保守派などトランプニズムなどのリサージェンスが起きて、マイノリティ群とマジョリティの絶滅戦争に突入しているのも10年代の特徴でした。リベラリズムが、カルト化して、各部族化での内ゲバと、マジョリティへの社会をぶち壊そうとする絶滅戦争、、、、万人に対する万人の闘争状態が恒常化しているのですが、その状況に、コロナ禍などの、人為的にはコントロールしきれない未曽有の危機によるプラットフォームの破壊が起きたのも、とても象徴的でした。これってドラマ『The 100』の話そのままですよね。世界が滅びようとしているのに、相も変わらず人間は部族に分かれて、絶滅戦争をしている。そして、世界は滅びてしまう(苦笑)。


でも、ここでは世代の選別が、実は行われている(笑)。だって、人類はしたたかに生き残るんだもの。古い世代は、全員皆殺しにあって、きれいさっぱり消え去る。世代論でいうべきではないのかも、、、なぜならば、新人類が生き残るという形式が多くて、古い世代の、魂に重力をひかれている人々が、死に絶えて絶滅しているだけに過ぎないので。必ずしも年齢ではない。適応できなかった人だけが死んでいる。もちろん、その選別基準は、弱者とかそういった陳腐なものは関係なく皆殺しが起きる。しかしながら、本当に滅びるかというと、そうでもない。すでに、プラットフォームをマジョリティが独占できる古き良き時代の保守的なものは、完膚なまでに否定されました。かといって、マイノリティの群が、マジョリティをもちろん抹殺できるわけでもなく・・・・パラダイムだけがシフトするという構造になっている。どちらかがが勝つ!ということではないのが、暗黙に示唆されている。世界が滅びるくらいのプラットフォームの大破壊が起きるので、各部族ごとの争いなんかが、どうでもよくなってしまう状況に追いつめられる。


さて、では、その後の世界には、何が起きるの?


というと、物語の形式では、類型ごとの「どの物語人気を得るか?」ということ以上に、プラットフォームがウェブをメインに切り替わることによって、これまでの物語を抑えていた「媒体による構造規定」がすべて失われるという大構造変化が起きました。ジャンプ+の登場です。ここにいたって、雑誌媒体によって元も重要なことは、雑誌を売るという「紙帝国の利益」よりも、その雑誌媒体がつちかって来た「ソフトを生み出す文化と部族をどのようにデジタルに移植して=生き残らせるか?」に代わりました。そして、既に、デジタライゼーションによるマンガ文化の移行期の混乱と苦しみは終わりました。次々と、紙媒体による制約を無視してよくなった新しい構造から傑作が生み出されて行っていきます。これ、『The 100』の話とそっくりですよね?。古い対立が意味を失うほどの、プラットフォームの破壊と絶滅が起きて、そこで生き残った最良?の部分が新しい仕組みに適応して、花開いていく。祝福されていく。


ちなみに、現実の世界は、それほど単純じゃないです。というのは、


1)まだまだ各部族による絶滅戦争は激化していく傾向が見えます------言い換えれば、プラットフォームはまだかなり余裕があるってことです。余裕があるというのは、アフリカンアメリカンやフェミニズムなどの「これまで虐げられてきた層」による、メインに対して復讐するトレンドはまだまだ続くと思います。物語的には、そちらの方が豊饒さが圧倒的に増します。いままでスコープに入っていなかった文化や人々が、メインきゅらくたーとして登場するわけですから!。


僕は、絶滅戦争で「皆殺しにされていく」弱い人々が、一発逆転で復讐を望む傾向って、これからもまだまだ続きそうって思う。だからこそ、マイノリティからマジョリティへの復讐。虐げられて排除されたマジョリティのプラットフォーム管理者によるグローバリスト・リベラリストら選良への革命の復讐のトレンドは、まだまだ続きます。


さらにいえば、


2)それはつまり、逆のトレンドも浸透していくことです。グローバリズムと、親和性のある新自由主義は、深く広くさらに浸透していきますってことでもある。------言い換えれば、世界(先進国で特に)に惨めで救われない人々を、格差を生み続けます(ただし、リベラリズムによるマイノリティの解放と権力化、そしてグローバルな産業化による様々な虐げられてきた地域の勃興(この地域の人はどんどん物質的には幸福になる)と先進国への挑戦が進みます)。要は、正反対に見えるベクトルが、地域差を伴って、同時進行して激化していく感じ。なので全体を見通していないで局所だけを見ると、まったくおかしな予測をしてしまいがち。見ている場所ごとに分断されていて、「見通す」ことが難しい時代。


この「どこらへんで限界が来るか?」というのは、わかりません。まだまだ大丈夫そうでもあるし、ギリギリでもあるように感じます。


一つは、温暖化(寒冷化?)や火山大爆発などの、マクロの環境変数をすべて変えてしまうような大災害が地球規模でどこまでのレベルで起きるか?ということです。


同時に、人類を規定するエネルギー問題である、核融合(脱石油)や宇宙開発が、どのレベルまで進むか?


です。2020年代は、これがどこへ行くのかが見ものです。僕は、2020年代の兆しとして、異種族結婚もの類型から、どうももう一度、絶滅戦争をしている者同士での、相互理解の物語が試行錯誤されそうな感じを受けます。同時に、プラットフォーム自体を破壊してしまうような、未曽有の大災害に対する物語が生まれそうとも思います。まぁ、これはトレンドですね。


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でもそれ以上に、紙媒体による制約から逃れた、マンガの勃興が進むでしょう。


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もう一つは、トランプ現象、グローバリズムいろいろなマクロの構造が、はっきりとしてきたのも2021年の特徴だと思うんですよね。このあたりのキーワードは、メリトクラシー能力主義)。一見、能力による選別は、階級や生まれによって支配されていた封建的な世界からの解放と見るときには輝くのですが、それを純粋につき進めると、凄まじい差別構造を、自浄作用なしに容赦なく構築していくことが、グローバル化において進展することがわかりました。人類は、能力による平等というあり方じゃあだめだということがわかりつつあります。でも、共産主義による平等はただ単に人々の動機を失い、やばい低いレベルで固定化して(悪平等)、むしろ全体で貧しく専制主義的になってしまう、ということを20世紀に我々は学びました。21世紀には、メリトクラシー能力主義だ!と言って突き進んだら、メリトクラシーの選別に漏れる人々を下層階級としてほぼ奴隷化してこき使う構造を生み出すというのも学びました。今後、世界はどうなっていくのでしょうか。

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個人的にマライ・メントラインさんと、三宅香帆さんの書評家と視点がとても好きで、自分が抜けているなという部分を補完できて、とても注目しています。

『東京卍リベンジャーズ』稀咲鉄太の巧妙なキャラ設定から、イマドキ漫画の「悪」の描き方を考察(マライ・メントライン)
2021.11.9
https://qjweb.jp/journal/59655/


■2021年の見たものの中のベストいくつか

総合
1.『Turning Point: 9/11 and the War on Terror』
2.『その着せ替え人形は恋をする』
3.『【推しの子】』
4.『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ
5.『無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜
6.『俺にはこの暗がりが心地よかった』
7.『ダンピアのおいしい冒険』
8.『天幕のジャードゥーガル』
9.『チ。―地球の運動について―』
10.『ルックバック』

とにかく『Turning Point: 9/11 and the War on Terror』これが、自分の中では大きかった。対テロ戦争の20年を網羅して、現代アメリカがどこから来て、どこへ向かっ’ているのかが、クリアーにわかった気がします。與那覇 潤『平成史―昨日の世界のすべて』も同じで、平成の30年を総まとめできた。ただし、與那覇の本は素晴らしいが、全体を貫く「歴史が語られなくなった」というのは一面わかるのだが、全体的には非常に懐疑的で納得できない。僕は、出口治明さんを尊敬していて、この10年くらいは、むしろ歴史をちゃんと学ぼうとする意識が凄い高まっている気がする。なので、與那覇潤さんの「全体の解釈」自体には懐疑的。というのは、歴史家で、専門的に額級的に学んでいる人は、かなりの確率で人格的や社会性に問題があって、「下々の下民を見下す」傾向が強すぎて、エリートと非エリートのバイアスがかかりすぎるといつも思う。歴史好きで、歴史家、尊敬しているんだけど、たぶん貧乏とエリート意識で凝り固まってしまう確率が多いんじゃないかなぁといつも思う。

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この辺の批評家の世の中に対するスタンスと非常に似た構造を感じます。自分も、「鳥瞰的な視点で世界を眺めている」という特権意識から、そうでない人をと軽蔑して馬鹿にするような視点の「罠(=老害)」に陥らないようにしなきゃって思います。三宅香帆さんが下記でおっしゃていたこととリンクするんだと思うけれども、

僕は、あまり専業批評家って好きではなくて、どこかでなんかずれていく気がするんですよね。10年単位すぎると、旬が過ぎて、意味不明なことにこだわるようになって老害化しやすい。なんでかっていうと、たぶん「日常を生きること」というものが、「文字を書いて(=頭の中のこと)で自己実現して生きていけるようになった人」は、わからくなるんじゃないかって思っています。というか、「自分の頭の中の妄想やイメージ」のほうが、現実より優先されるエゴとプライドが、どんどん育って、現実との接点を失いやすいのではって思う。「普通に働いている人」は、批評の論理が深くならない代わりに(笑)、ストレスの解消であるとか、とにかく「楽しむこと」の次元を逸脱しにくいからだろうと思う。なので、僕は、専業よりは、物語や文字を通して、同時に世界を豊かに生きている人の意見を聞きたいなっていつも思う。また自分もそうありたいと思う。知識や教養でマウントするのが目的ではなくて、「より深く面白さを追求する」ことを目的として生きていきたい。


『その着せ替え人形は恋をする』『【推しの子】』マンガ、物語としては、もうなんというかこの二つが、圧巻に面白かった。面白いだけではなくて、新しいし、もうなんというか、凄いですって感じです。けど凄すぎて、なにが凄いかっていまだうまく言えない。


以下、それなりに順不同(それなりに順位はあるけど)

ANIME

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ
無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜
スーパーカブ
ウマ娘 プリティーダービー Season 2』
『映像研には手を出すな!』
『Vivy -Fluorite Eye's Song-』長月達平


マンガなど
『ルックバック』
『【推しの子】』
『その着せ替え人形は恋をする』
『チ。―地球の運動について―』
『「推しと共に生きる」「破戒!令和因習村」「アッ子ちゃんは世界一」』鳥トマト
ゴールデンカムイ
『俺にはこの暗がりが心地よかった』
『ダンピアのおいしい冒険』
『天幕のジャードゥーガル』
『二度目の人生アニメーター』
『外科医エリーゼ
『地獄楽』
『世界で一番早い春』
『勇気あるものよ散れ』
『目黒さんははじめてじゃない』
『好きな子がめがね忘れた』
『熊打ちの女』
『ある日、お姫様になってしまった件について』
『俺だけレベルアップな件』
『めぐみの大吾 救国のオレンジ』
『紛争でしたら八田まで』
『アステロイド・マイナーズ』
『夜ヲ東二』
『花野井と恋の病』
流血女神伝 帝国の娘』
『焼いてる二人』
『ハコヅメ』
茉莉花官吏伝』


ドラマ/映画
『レヴェナント』
『The Rider』
『愛の不時着』
『ルースエドガー』
『ミナリ』
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017)フレデリック・ワイズマン監督
『THIS IS US』
ノマドランド(Nomadland)』
イカゲーム』『今わの際のアリス』
『ミスター・サンシャイン』(Mr. Sunshine)2018
『Captain America: Civil War』
『Colin in Black & White』2021 エイヴァ・デュヴァーネイ


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■2021年の自民党総裁選からふりかえる


那覇 潤『平成史―昨日の世界のすべて』でまとめられたのは、自民党の総裁選挙が、物凄く面白かったから。実は、これとても興味深くて、2つのことを僕は大きく学んだ気がします。

1)Youtuberが芸人に広がっていくのは、予測していましたが、あっちゃんのやつが素晴らしくて、なにが素晴らしいかというと、超長期間の話を、分かりやすく「彼の視点」を軸にまとめて網羅して説明してくれること。彼の言っていることをうのみにするな!とかいう意見は、本当に無駄な意見で、そんなのすべての「言説」「情報」に当てはまること。自分で判断解釈できない人間は、搾取されて、情報の海に沈むだけというのは、いつの時代も変わらない。そのうえで、Yutubeの凄さを実感した年でした。一つは、子供たちのYutubeからの情報の得方が、もう僕のようなおっさんの世代とはけた違いのレベル、精度をになりはじめて、世界の構造自体が、まったくわかってしまっってういる-------それは、ジャンプ+などの紙帝国の崩壊とも軌を一にしていると思い、新しい新世界にいま僕らは突入しているんだ!というキラキラ感を凄く感じます。デジタライゼーションが、僕らの生活の内側にまで入り込んできているということだと思うんです。まだこのデジタル化がもたらす具体的な世界の像を僕は想像できていないですが、過去の「当たり前」が、既に完膚なまでに崩壊しているのは実感します。特に、僕は、映画やマンガが好きなのですが、、、、特に映画ですね、Rotten Tomatoesとか、そういったレヴューサイトの精度が、異様に上がってきた気がするんです。上記の「CDBと七紙草子」さんの記事と同じ構造だと思うんです。もうすでに、特権サークル内で身内褒めをしていた高等遊民的な批評家の存在は、価値がなくなった!ということなんだろうと思うのです。僕自身、紹介機能としてのブログ物語三昧の10年前の価値といまでは、まったく違うと感じます。明らかに、批評や「物語をどう分析するかの視座」が、10年前と違います。なぜならば、精度の高い、公の評価が、既にレヴューサイトでも食べログでもアマゾンのレヴューでもSNS情報でも、なんというかなんでもいいのですが、インターネット空間から得られる「最大公約数の評価」に、瑕疵がなくなってきた気がするんです。だから、いちいち「長い批評なんか読まない」ってのが、常識化している気がします。ただ、それがYutubeになって、たぶん10年後には、AIが入ってくるのでしょうが、媒体としての仕組みは、そうなっていく革命が進行していくのは止められません。でも、人類の「思考の在り方」は変わらない(だって大脳の構造は変わらないのだから)と思うので、そういった最大公約数の「民意」を「衆知」すぐ得られることによる、「情報格差をつかっただまし」というのができなくなります。なので、特権的な身内集団が、批評とか「解釈を独占する」ってのはできなくなりました。でも、同時に、それぞれ個々人の内的な、真善美の基準を、自らの努力によって積み上げて完成を豊かにするという「行為」自体は、情報にアクセスしただけでは、得られません。「ここ」は、これから問われると思っています。

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みたいなことを考えたのは、大学生ぐらいからの日本の政治史は、体験しているのですが、1945-1970くらいまでの歴史が空白だったんですよね。自分のテーマで、明治維新から1945の敗戦までは、かなり勉強しているのですが、その間の高度成長期が空白だった。個人的に、そもそも団塊の世代や、親の世代の時代は嫌いなので(笑)、興味が持てなかったんですが、それが、今回の総裁選にあたって、あちゃんが、自民党史を、全部まとめているのを聞きまくって、全体像がすべてリンクしたんです。もちろん、この語りは、「人格を軸にした恩讐」の面で切り取るという極端な恣意がありますが、僕自身、それなりに政治の知識もあったので、それがガンガン結びついた。また、これでやっと小泉政権の意義や、大きな平成の流れに至る問題意識がすべてつながって、僕的には、素晴らしい充実した時でした。


2)もう一つは、なんというか、、、、、中国が本当に、人類史に復帰してきたんだなって、腑に落ちたんですよね。


ほら僕らの世代の、ここ200年くらいの中国って、ダメダメだったじゃないですか。僕は歴史好きなので、そんなはずはないと思いつつも、実際にダメなので(笑)。でも、もうそうじゃないのは実感しているんですよね。2000年代は、ペトロニウスは、中国東南アジアで、事業に携わっていたので、もうどんだけ凄い勢いかは身に染みてみていました。

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なんで、こうおもったかというと、今回の岸田さんの総裁選挙って、なんで自民党だけしか話題にならなくて、野党の存在感がゼロなんだろう?って、また、自民党の中でも、かなり右から左までそろっていて、「誰になってもありじゃないか?」っていう余裕があって楽しめたんですよ。極端な話、極右でも極左でも、自民党の枠内ならばどちらでもいいのでは?って感じがしていました。僕は岸田さんが勝つと予想してなのですが、理由は、明らかに、日本が内政ターンに向かっていて、新自由主義ネオリベラリズムの暴走で偏った国内を何とかしろよ、多少は海外をほっておいてもいいからって感じがして仕方がなかったんですよね。これは、はぅきりいえば、長期の安倍政権の「グローバルな外交スキーム」が確定したから、多少外で失敗しても、もう方向は変わらないって感じがあるからなんですよね。いいかえれば、中国が強大化するのは、もう自明。だから、アメリカと中国の長期の冷戦構造が、はじまる。その時に、「日本はどこと組むのか?」という問いが、安倍政権の長期間にわたる課題だったんじゃないか?と思うんですよね。どんなに、惨めでも、極端でも、はいつくばっても、アメリカが意味不明に動いても(笑)、日本は、アメリカとの同盟で、対中国包囲網を貫徹するというスキームがこの時作られました。中国がめちゃ強いので、これが正しいかどうかはともかく、日本ははっきりとして歴史の選択をしたんです。だから、イギリス、オーストラリア、インド、日本、アメリカの連携の話ばかりでしょう?。今後50年の対中国のスキームができているからです。これが意味を持つのは、中国がめちゃくちゃ強い!ってのが確定したからです。また、その場合、日本は、そちらに組しない、というのも。だから、安心して、内政にまわれる。ああ、時代が変わぅたんだ、と思ったんです。


■2021年度の目標達成度合いと、2022年の目標

1)2021年目標と結果
映画は、40本。
アニメが、10シリーズぐらい。
アメリカドラマがいくつか。
YOUTUBE 143(151)は、いくつ作ったのか、数えるのめんどくさいけど、まぁやった。

そういう意味では、今年は、だめだった。理由は明確で、目標を決めていなかったので、グダグダになってしまったこと。日本に帰国の時期は、visaなどそもそもインフラレベルのことで、いろいろ大変だったので、とても安定して映画とか見ていられなかったという言い訳がある。でもまぁ、無様だ。その分カウントしていないけれども、漫画は異様な数を読んでいる気がする。いつも予算制限をかけているのだが、ストレスで無理してもと思って、かなり予算フリー気味だった(苦笑)。こんな年は、続かないよなー。ああ、そういえば、やりたかったゲームは一切できなかった。大親友らの強い推薦もあって、これはぜひともしたかったのだが。。。。無念。特にゴーストオブツシマとか、残念。

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■子供と名画を見るシリーズ

今年の映画が全体的にかなり少なくなってしまった理由には、「子供たちと名作を見ようプロジェクト」でかなり、時間を縛ったという部分がある。2021年は、というか2020年くらいから子供に古典名作を見せようとかオタク教育に熱を入れ過ぎて、それに時間を奪われ過ぎた気がする。ミドルスクールの7-8年生。2021年は、`8the Grade`だけど、本当に頑張った。目標だった世界史の全解説も約1年抗議し続けて終わったし、最終目標だったアウシュビッツ関連の映画や映像を見せるところまで行けたので、まぁこんだけガチでやれば、親として大したもんじゃないか、とと自画自賛。子供たちには、お父さんお趣味と、大人になっても付き合ってくれる教養をつけて欲しかったので(笑)、よかった。宮崎駿作品も、だいぶいけたので、これも良かった。LAのハリウッド博物館で宮崎駿展をしているのでそれの前にある程度、見て欲しかったんだよね。アメリカのドラマやエガが優先されて(アヴェンジャーズ)とか、以外に宮崎駿作品を見ていないのには驚いた。

映像の20世紀・第4集・ヒトラーの野望


来年は、、、、もう軌道に乗っているので、それほど無理に子供に強制はしないかなぁ。もううちの息子の小説家になろう読んで居る数とか、娘の漫画の読んでる数とか僕を凌駕しているので、自律運営されている感じ(笑)。


2)2021年目標
映画60本
アニメーション:長浜忠雄か富野由悠季か検討中だが、なにか古典をひとシリーズ見なければ、
ドラマシリーズ:ゲームオブスローンがまだなので、これはいかないと。
本:ハードカバーの大著を1冊

この辺りは、もう少し精度を上げたり考えていくにせよ、もうチョッチ精密に2022年は目標を立てたちところだけれども。ほんとは、映画100本の王台にはいきたいなぁと密かに思っているのだけれども、来年は仕事も忙しい感じだしなぁ。


アメリカはどこへ行くのか?

あとは、そろそろ中間選挙もあるし、次の大統領選挙に向けての前提を考えたり、バイデン政権の今後も真面目に感がてみたい気がする。うーむ、やることぃつぱいあり過ぎて、、、、もう年だから気力が続かない。でもまぁ、ゆるゆると人生を楽しみませう。


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公共投資
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ボストンで台湾系の市長の誕生-『ボストン市庁舎』
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『ルース・エドガー』『WAVES/ウェイブス』『THIS IS US』を通してみる現代アメリカ社会の最前線

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評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ傑作!)

どちらも、黒人の高校生のお話。

映画としてすごくよくできているサイコ?とまで言はいかないスリラーなので、面白いです。他のブログで「魔少年or魔少女もの」、いいかえれば保護者の親が「この子はいい子なのか?それとも悪い子なのか?」というのがわからなくて、その「わからなさが」、個々のエピソードごとに、少しづつなぞが深まりあらわになっていくスリラー仕立てになっている。なので、この背景にあるアメリカ人社会の問題意識、当時のオバマ大統領への屈折とした感覚、ポリティカルコレクトネスの最前線の繊細さなどの「文脈知識」がなくても十分面白いのですが、逆に「そういったアメリカウォッチャー的な文脈」に興味がない人が、とても手に取るとは思えない作品でもある。だって、スター的な俳優いないし、英語タイトル「Luce」で邦題は「ルースエドガー」。これじゃ、なんにも人をひきつけない。Luce Edgar役を演じたKelvin Harrison Jr. は、2019年の『ルース・エドガー』と『WAVES/ウェイブス』の両作品で、俳優としての立場を確立した年ではありますけれどもね。

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僕自身も、アメリカウォッチャー視点でとりあえず見ておこうと選んだ作品でしたが、驚くほど面白かった。上記のように、主人公のLuce Edgarが、前任なのか?悪人なのか?がわからないサイコスリラー、学園犯罪ものとしても十分面白いのですが、それ以上に数々のセリフ、演出が、これ物凄い「現代のアメリカ」に対して繊細かつ皮肉かつ挑戦的で、これは、ぜひとも背後文脈も紹介したいと思いました。


■Julius Onah監督『ルース・エドガー』(2019)とTrey Edward Shults監督『WAVES/ウェイブス』(2019)

まずはあらすじを。

『ルース・エドガー』は、アフリカ系移民の高校生のルースの日常からはじまります。運動も、勉強もできるうえに、「アメリカ人としてのあるべき姿」を模範的に示す彼は、学校においても両親にとっても、物凄い誇りなんですね。けれど、歴史の教師の書いたレポートが、暴力を肯定している過激思想ではないかと疑われ、それの教師Harriet Wilson(Octavia Spenceras)が、彼の両親に注意をするところから、物語に暗雲が立ち込めます。両親は、白人の夫婦、Amy Edgar(Naomi Watts)とPeter Edgar(Tim Roth)なんですね。アメリカにおいては、養子制度はとても一般的で、人種が異なる家族というのは、けっしてイレギュラーでもレアな存在でもありません。アンジェリーナ・ジョリーAngelina Jolie)がたくさんの養子がいるのは有名ですよね。ルースは、赤道のギニアと並ぶアフリカの北朝鮮と言われるエトルリアからの難民で、10歳のころにリベラルなアメリカ人夫婦に引き取られているのです。そして、そこで彼は、元少年兵だったようなんですね。多分過酷な、成都市の現実を生き抜いた10歳の子供が、アメリカ社会の模範的なモデルになっている姿は、アメリカの偉大さ、リベラルな夫婦の献身的な意識のシンボルのように輝いているわけです。しかしながら、アルジェリア戦争アルジェリア民族解放戦線の一員として闘った革命家フランツ・ファノンを代弁して、「自由のために暴力を肯定する」ということを力説するレポートは、歴史教師のハリエット(Harriet Wilson)を動揺させます。もしかしたら、彼は「テロリストになるんじゃないか・・・・」と。そして、ナオミワッツが演じるルースの母親のエイミー(Amy)に警告するんですね。ちなみに、アメリカで子供を持つ親として、この成績が悪くて親呼び出し(笑)はしょっちゅうあるので、違和感はないです。しかし内容には、凄い違和感がある。歴史のレポートで「過去の歴史の人物になりきって代弁する」ということは、よくやります。うちの息子も、独立戦争の寸劇で、反逆者ベネディクト・アーノルドの代弁スピーチをとか宿題でやってました。これは、「歴史上の人物の代弁」なので、自分の意見とは関係ないはずです。それを、わざわざ、結び付けて警告するのは、ルースが、10歳の少年兵経験者の移民であることに強い関心を持っていることがうかがえます。この歴史教師ハリエットの警告を受けて、ルースの母親のエイミーが、最高の優等生だと信じて育て上げてきた、自分自身の過去と、ルース自身に疑いを持つ中で、心が揺れ動いていく…という物語です。

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ちなみに、さまざまなものとリンクするのが映画、物語の楽しみなので、この少年兵を経験しているアフリカ出身の黒人を見てどう連想するかは、ネットフリックスの『ビースト・オブ・ノー・ネーション』を見ておきたいところです。

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WAVES/ウェイブス』は、フロリダ南部の高校三年でレスリング部のエース、成績も素晴らしい文武両道の高校生タイラー・ウィリアムズ(ケルヴィン・ハリソン・Jr)が映画の前半の主人公です。学校の仲間から信頼され、めちゃくちゃ美人でタイラーにべたぼれのアレクシス・ロペス(アレクサ・デミー)という彼女までいる、ウルトラリア充アメリカの学園ものスクールカーストで、頂点に立つタイプの男の子です。通常、黒人家庭を描く物語は、貧しさが背景に描かれることが多いですが、彼の父親、ロナルド・ウィリアムズ(スターリング・K・ブラウン)は、かなり裕福な成功者で、とても豊かな生活を送っています。父親は、自分が差別される立場から這い上がった記憶があるようで、とても厳格に「強く、立派であれ」とタイラーに強制しますが、僕的に言えば、しょせん中産階級の郊外生活をしている家族だし、しかも黒人であることを考えれば、この程度は、僕にはまぁ当たり前かなと思えるくらい。しかし、タイラー(ケルヴィン・ハリソン・Jr)は、その期待に応えるだけの才能を持っていたが故に、なかなか家族に、特に父親に「肩が痛くて故障している」ことが言えず、選手生命を絶たれるレベルまで壊してしまう。これが、彼の坂道を転がりおちる始まりになってしまう。本当に繊細で、子供で、父親だって決して愛がないわけでもなく・・・・ほん小さなのボタンの掛け違えで、父親に故障を打ち明けられないのを痛み止めを隠れて飲んで我慢していたことが、すべての裏目に出てしまう。肩の故障で、奨学金による大学の道もたたれ、そのさなか、恋日のアレクシスが妊娠が発覚してしまい、その堕胎するしない、わかれる別れないさなかで、間違ってアレクシスを殺してしまいます。彼の内面が、子供であったことと、ずれて、肉体的にはレスリング部のエースなほどに物凄く強かったことが、最悪の結果に結びついてしまいます。判断がくるっていたのは、痛み止めの薬でもうろうとしていたせいもある。そして、タイラーは殺人の罪で30年間仮釈放なしの終身刑になります。この後、第二部後半は、妹のエミリーへ視点が移り、壊れてしまった家族、そして犯罪者の家族として生きなければいけなくなった残りの人生の癒しと再生の物語になります。

ちなみに、この作品のキーポイントは、破滅の原因となる父親、ロナルド・ウィリアムズ(スターリング・K・ブラウン)の厳格な教育なんですが、「これ」がどこから来るのかを、常識、コモンセンスとして感じていないと、この作品の評価がわからなくなってしまいます。そして、明確に「これ」と指示せる物語があります。NBCで放映している人気ドラマ『THIS IS US』(2016-2022)です。これにアメリカで黒人で生きるということはどいう意味を持つのかを、子供時代からずっと追い続けて描かれていて、主人公の一人であるランダル・ピアソンは、スターリング・K・ブラウン(Sterling K. Brown)なんですね。そう、タイラーのお父さん役の人です。彼が、「どのような人生を生きているか?」を僕らは今リアルタイムで追っていて、えっと2021はシーズン6が放映していました。まだ続いています。この対比を見ると、なぜランダル/ロナルドが、息子にああいう態度になるかは、痛いほどわかってしまうのです。

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■見るべき視点1:アメリカ人とは何か?-〇〇系アメリカ人のアイデンティティとは?

Julius Onah監督『ルース・エドガー』(2019)とTrey Edward Shults監督『WAVES/ウェイブス』(2019)を連続で見たんですが、ケルヴィン・ハリソン・Jr(Kelvin Harrison Jr.)の演技が素晴らしかったです。Luceでは、第二のオバマに見えるような優等生ぶり。しかし『WAVES/ウェイブス』でのタイラーの破滅に向かう若者のガラスのようないつ壊れるかわからない感と全然違う存在感に、驚きを感じました。最初とても同じ人には見えませんでした。


さて、ここで重要な文脈的「見るべき視点1」です。ケルヴィン・ハリソン・Jr(Kelvin Harrison Jr.)が両方の映画の「黒人の優等生役」を演じている。しかし、それが実は裏の顔がある悪人であるとか、壊れて最悪な結末を生み出してしまうって、そういうイメージがあるんですね。僕は、最初この「アメリカにおける黒人であることのアイデンティティという視点」で見ていませんでしたが、あきらかに2019年にこの脚本が生まれるというのは、この「アメリカの黒人」という問題意識があるし、それに対するコモンセンスや問題意識を共有していないと、物語の理解度が下がってしまいます。少なくともだ同時代でアメリカ人が見ている視点と、ずれて理解してしまう。細かく「アメリカで黒人であること」の話はするとして、そもそもそれ以前に、アメリカで、物語でも文化でも、何でも見るときには重要な大前提があります。これ途中で気づいて、あっ、こういう風に見るのか!と思いました。


アメリカでは常に付きまとう「自分は何者かという問い?」です。もちろんこの「自分探し」は、ティーンエイジャーにありがちな普遍的なものですが、アメリカではこれが他国とは異なる文脈が重なります。アメリカは移民の国であって、つねに「〇〇系アメリカ人」というように、ルーツ、言い換えれば「自分とは何者か?」というアイデンティティを確立するときに、他の国民国家とはかなりずれたというか根本的に異なる自我形成をせざるを得ません。自分なりの「アメリカ人とは何か?」という納得がないと、規定が全できないんです。これは。アメリカ人という「国籍(ナショナリティ)の次元」と「自分は何民族なのか?という民族(エスニシティ)の次元」、さらに、かなりのケースで人種・民族の血が入り乱れているので、4つも5つも様々な血がまじっている場合「自分が何人かは自分で選らばないと、訳が分からなくなってしまいまう。」のこの葛藤の重さは、他の国とは比較にならない重みがあります。このあたりの古典的な教科書は、『本間 長世思想としてのアメリカ―現代アメリカ社会・文化論』がおすすめです。

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この辺の、複雑すぎて、しんどそうとしみじみ感じるのは、テニスのスーパースター大阪なおみさんのドキュメンタリーなどを追うと、よくわかります。あなたは、何を代表しているのですか?と常に突きつけられて、その代表のとして「ふさわしいようにふるまえ!」と責めたてられる社会なんです。ゴルフのスーパースター、エルドリック・タイガー・ウッズ(Eldrick Tiger Woods)は黒人の父、華僑タイ人の母を持ち、若いころ自身のことを“カブリネイジアン=Cablinasian=白人+黒人+アメリカ先住民+アジア系と呼んでいましたね。

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■当事者バイアスに対する俯瞰意識と、しかしながら自分がその立場だったらというシンパシーを

アメリカ社会には、「自分が〇〇系アメリカ人」であるとと、感じ、理解していく、さまざまな物語の類型があって、このそれぞれの「類型の型の文脈の発展」を知らないと、いま何が語られているか???となってしまいやすい。それは、アメリカに住んで生活していれば、自然と感じてしまうことであるし、アメリカ人を、「外国の人」とか「海の向こう側のファンタジー」ととらえて眺めていては全くわからない皮膚感覚がある。ペトロニウスも、そもそもアメリカに来て、2020年のトランプvsバイデンの争いの中で、コロナの中で、アジア系が差別されていく中で、ああ自分はマイノリティなんだ!と痛切に実感したので、この辺のアイデンティティの違い、またマジョリティなのかマイノリティなのかが、ストレートに差別や命やvisaなどの滞在ステイタスに連結する感覚は、恐怖を感じて苦しまないとなかなか実感できないんだろう。また同時に、うちの子供たちは、ほとんどアメリカのカリフォルニアで育っているので、完全に現地の人なんだよね。英語力も現地社会への浸透度も。だから「現地の子供が親が感じる葛藤」を常に悩んでいる。この視点から、例えばアジア系のアメリカ人がどういう風に感じるかとかは、物凄く痛切にわかるようになる。また、移民第一世代の英語いまいちの親の自分と、、、、なんというか実際に教育のレベルから言って、すでに三世か四世以降レベルの違いがあるので、「アメリカ人度合いの違い」で起きる葛藤も、すごくよくわかる。逆に、これが「体感感覚で実感しない」と、なかなか物語も深くは入っていけない。

■見るべき視点2:アメリカ社会で黒人として生きるということ

この話、はじめると、もうきりがないほど深い。でも、この「系譜」に関する知識がないと、実はほとんどアメリカの物語を理解したことにならないと思うんですよ。なので、どういう作品群を見るとこの系譜が追えるのかは、下記に置いておきますね。

ハリソン・Jr.が役作りをするうえで、バラク・オバマとウィル・スミスを人物像の手本として挙げたという監督のジュリアス・オナー。「彼らはかっこいいが威圧的ではない男らしさを持った黒人の究極の例だ。カリスマ性や魅力は言うまでもなく、巨大なパワーと人気を誇っている」とオナーは語る。そして「ルースは黒人のアイデンティティの最高と最低を表している。彼はさりげない輝きと魅力を持っていて、話し手としても素晴らしく、才能のあるアスリートだ。しかし同時に、彼は子供の兵士としての暴力の歴史を持っている」と、その複雑な背景も明かした。

https://natalie.mu/eiga/news/381430

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■コリンキャパニック~アメリカの黒人の内面が造られる過程-

Colin Rand Kaepernickといのアメフトの選手を知っているでしょうか?。この人は、黒人問題でアメリカの差別に抗議して、国旗に対して敬意を表さなかったので、大問題になった人です。この人の子供時代をドキュメンタリー風のドラマに、エイヴァ・デュヴァーネイ監督が描いたのが『Colin in Black & White』(2021)なのですが、これが素晴らしくいい。まるでポリティカルコレクトネスというか、アメリカにおいて「黒人であること」がどのように形成されていくかが、ここのエピソードごとに物凄く平易にシンプルに物語化してくれています。これを、ワンセット6話ほどですが、全部見ると、教科書のように、黒人たちが何に怒っているのかを知ることができます。なので、勉強には物凄くいいです。

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《ハーフコラム》オコエ瑠偉選手の告白にハーフの私が思うこと。
http://global-familia.com/okoyelouis_blm/

白人視点ではない黒人の現実 膝つき抗議の“信念の男” コリン・キャパニックの青春時代をNetflixが描く
https://jasonrodman.tokyo/limited-series-on-colin-kaepernick-coming-to-netflix/

一人の男が4年前に放ったメッセージが今、世界を動かし始めた
https://blog.btrax.com/jp/blm-message/

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大草原の小さな家」作者の名前、米文学賞から外され 人種差別で 2018年6月26日
https://www.bbc.com/japanese/44610932

現在視聴可能な Black Lives Matter ムーブメントを理解するための映像作品10選
https://hypebeast.com/jp/2020/6/pro-black-lives-matter-movies-documentaries-films-tv-shows-stream


■歴史教師のハリエットはいったいなにがしたかったのか?


>隠された内面を読み解く様なミステリアスな面白さがある。

そう。まるでミステリーを見ているような、いったいどこに真実があるんだろう?という展開が見事でした。ただし、なぜ長々と上記で参照作品を上で上げてきたのかといえば、このアメリカにおいて黒人であることというものの意味文脈、問題意識が前提にないと、このスリリングの深さが全然わからないからです。

見ていくうちに、歴史教師のハリエットの演技が素晴らしかっただけではなく、彼女とのルースの「騙し合いの攻防」が、アメリカの「現在」を照らす構造になっていて唸りました。

ハリエットは、アメリカにおいて、黒人の「役割」を設定して、社会の改良のために必要な「物語」を作る狂言回しになりたいのですね。ここでは、ルースのような「優秀な黒人」と「無能な黒人」という役割を分けて、対比させることで、ルースの優秀者を際立たせて、エリートを育成しようとしているんです。それは、自分が、実際そうはなれなかったことや、現実の厳しさに苦しみぬいた果てに、そういう「物語」を教師の手で、人為的に作り上げてやれば、社会をよくできるという信念に基づいています。子供を、子供とも思わない、、、つまり人格は無視するという傲慢な態度ではありますが、これが一周回って、それくらい非道なことをしなければ、黒人というマイノリティの搾取される構造は変わらないという怒りと正義感が、彼女をこうさせています。過去の公民権運動の時代からのマイノリティの悲劇を知るので、「政治的にアフリカンアメリカンが正しくあれるような役割」を作り上げるという政治性は、ものすごく今のリベラルサイド、ポリティカルコレクトネスの傲慢さと、実際の子供のことなんかどうでもいいという暴力性を激しく感じて、見ていて不愉快でした。しかし、それは同時に、マイノリティの悲劇の苦しみを背負い、アメリカの社会でそういうゲームをしていかなければ生き抜けない地獄を味わってきたからこその、彼女の信念でもあるんですよね。この両義性が、歴史教師!!!のハリエットの立ち位置です。

しかしこれが、ルースは、このたくらみを察知し、「自分を駒として役割として、非人間的にコントロールしようとする」歴史教師のハリエットに対して、反撃を開始していくんですね。彼は、単純にアメリカの黒人ではなく、10歳まで少年兵としてアフリカで育ったという「ルーツが異なる」黒人なので、アメリカの「そうなるのが自然だよな」という物語のルールににはまるのを拒否するんです。ルースが、こうした「アメリカというゲームのルールにとって都合の良い存在」に押し込めようとするアインデンティティ戦争みたいなものをからすり抜けていく様は、まさに、今の若者だなぁと感じました。

これって「白人の夫婦の理想の息子という要求」(これは『Colin in Black & White』と同じ類型)や、ハリエットや学校の望む「理想の優等生でアフリカンアメリカンというアメリカ人」という要求を、どれも、「自分」を奪うものじゃないかとと告発しながら、その狭間で苦しみながら、生きていく。まさに今のアメリカだなぁ、としみじみと感じました。このあたりの、社会正義よりも、「自分自身」を優先する視点は、とても現代的なにおいがします。歴史教師のハリエットの視点は、日本でいえば、全共闘団塊の世代の昭和臭が凄くします。アメリカでいえば、ベトナム反戦運動公民権運動を潜り抜けてきた世代の臭みです。ルースらは、そうした世代に対するミレニアル世代(Millennial Generation/1980年代序盤から1990年代中盤までに生まれた世代)やジェネレーションZ(Generation Z/1990年代中盤から2000年代終盤までに生まれた世代)などの世代です。このあたりの、社会正義のためには、「駒になる」ことによって人格を否定されても、社会を変えるための礎にならないと、世界は変わらないと感じる旧世代の発想と、そうした時代は越えて、ポリティカルコレクトネスが浸透して、そんな社会の大義よりも、「自分たちの仲間」や「自分自身」の方が優先される新世代の意識の違いがあぶりだされています。


■「リスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)」という奴隷制

kamiyamaz (カミヤマΔ)さんのブログの感想が、とっても秀逸だった。

いや〜、非常に考えさせられました… (`Δ´;) ヌゥ 優等生(美形だったりもする)の周囲で「コイツが裏で糸を引いているのでは?」と思わせる不穏な事件が起きて、保護者的立場の人間が「良い子なの?悪い子なの?普通の子なの?(´Д`;) アァン」と「欽ドン!」ライクに悩む…。そんな「魔少年モノ」(or「魔少女モノ」)はこれまで数多く作られているワケですが、本作はそこに「立場による権力と特権(白人の養父母のおかげでハリエットと対等に戦えるルース、ルースと違って守られないデショーン)」とか「黒人同士の世代間の対立(ハリエットvsルース)」とか「リベラルの建て前と本音(理想論を語りつつもルースを信用しきれないエドガー夫婦)」とか「ロールモデルの呪い(優等生でなければ生きられないルース、子どもを産めないことを暗に責められるエイミー)」とかとか、様々な問題を特盛りにしてきた印象。

中でも興味深かったのが「黒人同士の世代間の対立」で、パンフを読んで知ったんですが、「リスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)」という概念があるそうで。今まで「善良で正義側の黒人キャラ」を演じてきた印象のオクタビア・スペンサーの役が「歴史教師」で「ハリエット」という名前ながら、ルースに断罪されてしまうというのは、非常にビックリいたしました。しかも映画終盤、ルースがハリエットに語る「模範的な行動を取らないと黒人が差別されてしまうなら、それは平等な社会とは言えない」みたいな主張(うろ覚え)は「そりゃそうだ!Σ(゚д゚;)」と、目からウロコだったというか。なんかね、それって非常に当たり前のことなんですけど(汗)、今まで気付いていなかった自分の差別意識を指摘されたようで、ちょっと恥ずかしくなりましたよ…(とはいえ、ハリエット側からすると「そうしないと生きていけなかった」ワケですがー)。


ここまでコテンパンにされて救いのないオクタヴィア・スペンサーは初めて観たかもしれません。

ルース・エドガー(ネタバレ) | 三角絞めでつかまえて

「リスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)」というのは、とても興味深い概念です。なるほどなーって。これって、ようは歴史教師のハリエットが、やっている戦略というか行動ですよね。このアメリカ的な文脈に乗せることによって、ルースにスポットライトを浴びさせる。でもこれが、前の世代からのある種の監視というか洗脳であって、これ自体も奴隷制度と何ら変わらないと思うんですよね。「自由」という観点からは。そういう意味では、僕は世代間の対立、、、、ルースことケルヴィン・ハリソン・Jrの世代では、そういった社会正義のイデオロギーよりも、個人の自由のほうが、重要になっている気がして、そういった個人の自由は、国家や自分の属するマイノリティの立場が安定してこそ意味があるということが、すでによく感じられない政界に生きている若い世代にとって、そんなもの自分たちを支配する装置に過ぎないだろうと感じると思うんですよね。そういう傾向がある気がする。



■見るべき視点3;家族の世代間の変化から見る-4-5世代の家族の変遷を描く大河ロマンのような『THIS IS US』

タイラー役のケルヴィン・ハリソン・Jrの演技が素晴らしかったです。この後で、連続でルース・エドガーを見たのですが、文系?系の見事な優等生な感じで、演技の幅広さに驚きました。この2つの映画はぜひとも比較してみてほしいです。


先にも書きましたが、そして『THIS IS US』を見てほしい。逆でもいいですから。


というのは、タイラーの父親のロナルド・ウィリアムズを演じている スターリング・K・ブラウン (Sterling K. Brown)ですが、僕が好きなNBCのドラマの『THIS IS US』というのがあって、そこで幸せな誠実な黒人家族役のランダル・ピアソンという役なんですが、この人は、白人の家庭に養子になって、白人の双子と3つ子設定で育った設定なんです。アフリカンアメリカンが、優秀で、かつ白人の家で育てられて、でも黒人で、、、というアイデンティティの苦しみを、誠実に、じわじわ克服というか、戦っていく話になっていて、本当に色々なドラマが起きるんですが、なんとか誠実に解決していくんですね。

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それを見ていただけに、『WAVES/ウェイブス』において、息子のタイラーに「強く、完璧であれ」で激しくのぞむロナルドの役がすごく感情移入してしまって、、、えっと、ロナルドがそういう言い方をするのは非常に納得というか、痛いほどわかるんですよ。黒人の歴史を知っていれば、彼がタイラーをあんな高級住宅地で育てることができるようになるまでになめた辛酸、努力というのは凄まじいはずなんですよね。この「凄まじさ」が実感されなければ、息子のタイラーに「強く、完璧であれ」という命令が、ただの家族の暴力、パワハラにしか感じなくなってしまいます。これ文脈の違いが分からないと、同じものを優しさととるかパワハラととるかが、全然違ってしまうと思うのです。そして「その両方の立場」を感じていると、この物語のドラマ性の深さに、胸が熱くなるのです。しかしながら、それがどんどんタイラーを追い詰めていく様は、本当に見ていて痛々しいというか、鋭く刺さる感じで、苦しかったです。これは破滅に向かっているなぁと見ていてどんどん伝わるので、凄い苦しかった。


しかし、これはまさに今のアメリカの映画でした。

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■見るべき視点4:これをオバマ大統領批判ととらえるのは容易に連想できるが、それはあまりに皮相的な表面の理解に過ぎないのではないか?

バラク・オバマは歴史に残るアメリカ大統領。黒人初のアメリカ大統領であり、「YES WE CAN」という名言も残している。また、日本の某総理大臣と比べて、今流行りの映画や音楽、書籍を読み、その幅広い守備範囲はオタクからみても好感度しか抱けないのだが、実は大統領時代、無人機で中東を爆撃し、ドナルド・トランプよりも間接的に殺人をおかしていたりするハードコアな政治をしていた。優等生で、理論もしっかりしているからこそ、まっすぐな暴力を論理的に実行する。だからこそ、我々は表面的側面を鵜呑みにしてはいけないと映画は力説しているのです。

そして、もう一つ興味深いのは、ルースを巡る周りの人の行動である。ルースを迎え入れた家族は、難民を受け入れ、優等生に育てたという自負があるので、なかなか先生から聞かされた花火の話を信じようとはしません。一応、彼には婉曲に訊くのだが、頭が良すぎてうまく真相に辿り着けない。一方、先生の方は、彼が優等生で鋭い論を展開するだけに正しい道へと示そうとするのだが、彼女の横で起こる別の問題ですらきちんと処理ができず、頭を抱えるのだ。

能ある鷹は爪を隠すというが、本作は爪の裏にもある刃の存在を指摘した骨太な作品でした。

『ルース・エドガー』優等生の裏の顔はバラク・オバマの影を…
https://france-chebunbun.com/2019/11/28/%E3%80%8Eluce%E3%80%8F/


ちなみに、このルースの歴史教師ハリエットを陥れていく「魔少年的なシナリオ」を指して、オバマ大統領を風刺しているという分析をよく見かけました。なんというか、たぶん2019年の発表当時に見たら、まぁそれ以外考えられないなと思うくらい風刺的、時代的に解釈できる見方だと思います。でも、僕は、それは、上記でいうところのロナルド(父親)の、息子への命令「強く、完璧であれ」というものを、単純に「今のポリコレの視点」からパワハラとしてとらえるシンプルすぎる見方だと思います。というのは、このルースの、あり方というのを、単純に「真意を隠しているこざかしいこずるいやつ」として
とらえるのは、間違っている感じがするからです。


■学園の痛快な逆転劇としても見れないだろうか?~ポリティカルコレクトネスという建前に対する若者の反抗としてとれないか?

これを、おどろおどろしい音楽で、サスペンスホラー調に描くと、たしかに、ルースの歴史教師ハリエットを陥れていく「魔少年的なシナリオ」みたいな感じで、ルースを悪魔化していくのことになると思います。そうすると、ルースは、アメリカ的な文脈から外れている「得体のしれないやつ」というような怖さを放つことになります。


でもね、僕はこの作品を全編見ていて、サスペンス風のおどろどろしい音楽の演出に、ずっと違和感があって。というか、これあまりにベタにそう描いているのは、「売れるため」に、世の中のアンチオバマに対しておもねっているように見えるんだけれども、内容それ自体を考えれば、権威主義的で硬直的な社会のルールを押し付けていこうとするハリエットに対して、何度も裏をかいていく痛快な逆転の復讐劇に見えるんですよね。ほんとうは、監督は、そう描きたかったんじゃないかって。だって、「起きている事実」自体は、ルースのほうが、何倍も上手の知恵者でいたという形で、ハリエットの策士としての攻撃を、どんでん返しして言っている「だけ」なんですよね。ルースが、将来テロリストになるかも?とか、思想的にアメリカ的なるものに染まらない、というのも、そういうのは周りが感じる「感想」に過ぎないんですもの。事実を見ると、自分の友人の黒人を「悪者に貶めて自分(ルース)を光のサイドに演出する」というシナリオを、真っ向から打ち破っただけ。大人が作っている権威的な既定路線の類型をぶち壊しているだけなんですよね。


むしろ、僕は、次世代への希望を感じる。だって、


「白人の夫婦の理想の息子という要求」(これは『Colin in Black & White』と同じ類型)

黒人のハリエットの望む「理想の優等生でアフリカンアメリカンというアメリカ人」


という古い世代が作った既得権益のルートを、どっちも拒否するって話だもの。差別を構造化した白人のアメリカもだめだし、かといって黒人のただ抵抗すればいいという予定調和もだめ。そうでない道が、奴隷のルーツでない、アフリカの少年兵というアメリカの黒人のルーツでもかなりレアなルートからの人間を選んでいる点も、既得権益を壊す存在に希望を見出しているように見えます。となると、もともとのオバマ大統領に託された希望にも見えたりする、、、、そういう何重もの意味が重なっているところが、この作品の魅力に感じます。




■参考

ノラネコの呑んで観るシネマ ショートレビュー「WAVES/ウェイブス・・・・・評価額1700円」


ノラネコの呑んで観るシネマ ショートレビュー「ルース・エドガー・・・・・評価額1650円」


www.imdb.com


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サンディエゴ航空宇宙博物館(SDASM:San Diego Air & Space Museum)と林檎(アップルパイ)の古い町ジュリアン散策

ふと思い立って、ブログで日常の写真を記録していないなーと思って。ちょっと旅したり、ふと思ったことは、残しておくと後で日記として楽しめるので、時々写真を載せてみようと2022年の目標に考えている。2021年11月のサンクスギビング周辺で、せっかくコロナも収まって(いないけど、南アフリカの変異株とか)きたの、やっぱりどこかへは出かけたいよね気分転換に、と妻と話して、お隣の娘の親友ちゃんが、宇宙と飛行機大好き少女らしく、サンディエゴ航空宇宙博物館(SDASM:San Diego Air & Space Museum)に行ったということで、行ってみようと。ついでに、こっちの方でアップルパイで有名なカリフォルニアの史跡(Historical Landmark)に指定されている林檎の町で有名なジュリアン(Julian)まで、サンディエゴから車で1時間ぐらい(80kmくらい)でから行ってみようということになった。ちなみに、僕はアップルパイが死ぬほど好きで、ラルフスのアップルパイを毎週買ってコーヒーで流し込んでいるりんご好き。加えると、奥さんはアップルパイが大嫌いな人なので、ちょっと妻の愛を感じる提案。サンクスギビング当日は、アメリカのお店は軒並み休みになってしまうので、レストランとか、いろいろなものに気をつけるけなければならないのだけれども、25日当日は、サンディエゴ郊外のサファリパークに行って、26日はここに。

僕の住むオレンジカウンティからサンディエゴまで約車で1時間半。州間高速道路5号線(IH-5; Interstate Highway 5)なのですが、ここはかなり渋滞するんですよね。デルマー競馬場(Del Mar Racetrack)に行ったときは混んでて2時間以上かかったので、サンクスギビングで混んでいるかと思ったけれども、案の定、朝早く(といっても8時くらい)出るとガラガラで1時間で着いた。アメリカ人は、朝早く行動するってのがほとんどないので(笑)、朝早くいくといつもガラガラ。お昼ごろから激こみしていくんだけど、いつも不思議なんだよね。なんで、こんなに混むとわかっていて、朝早く出ないのか・・・・しかし絶対出ないんだよね。


■サンディエゴ航空宇宙博物館の散策

ロッキードが中央情報局(CIA)向けに製造した偵察機A-12 (偵察機)で本物らしい。これがお出迎え。アメリカは、こういうの本物がサラッ置いてあるところがたまらない。友人と、ロサンゼルスの博物館に行った時もそうだった。


娘ちゃんのために来たので自分は期待していなかったので、何にも考えていなかったのだけれども、入り口でA-12を見て興奮して、スピリット・オブ・セントルイス号(Spirit of St. Louis/ライアン NYP-1)で、さらに興奮。1927年5月21日にチャールズ・リンドバーグの大西洋横断単独飛行した飛行機のレプリカ。コクピットにも乗れるようになっていて、こんなに小さかったのか?と驚いたり、娘と乗って写真を撮ったり(笑)。

アポロ9号 司令船 "Gumdrop"も実物が置いてあった。火星探査用のランドローバーも実物大が見れて、ちょっとおー。これって、パーサヴィアランス(Perseverance)だよね?。あれちがったっけ。

ジー・ビー R-1。やっぱりジェット機の前のプロペラ機には、何かのロマンを感じる。国立航空宇宙博物館より貸出中の三菱零式艦上戦闘機六二型も置いてあった。


■ルートと歴史の背景

その後、海抜1200メートルにあるので、ずつと山道のくねくねを回る。サンディエゴから、79の山道をひたすら。ガソリンを入れ忘れて、だいぶぎりぎりだったので、焦ったのですが、ジュリアンには、一軒ガソリンスタンドがあって助かった。あまりこういうことはないのだけれども(国立公園はガソリン入れられなくて危ないから)今回は、近場のドライブのつもりだったので、気を抜いてしまった。帰りは、別のルートで、78から抜けて5で帰る感じ。州間高速道路5号線は、本当に渋滞による。めちゅくちゃ流れていたので、80マイル/h平均ぐらいだったので、1時間で帰宅。早く帰れて、めちゃくちゃゆったりとして休日になれた。

アップルパイを食べに行ったので、ほかのことは何も考えてしなかったが、後で調べてみると、カリフォルニアの史跡(Historical Landmark)に指定されているのですね、ジュリアン。南北戦争((American) Civil War1861-1865)の後で、ジョージア州から西部へ新天地を求めて移って来たマイク・ジュリアンとドリュー・ベイリーによって開拓された。街の名前は、そのマイク・ジュリアンから。その後、1869年に解放奴隷のフレッド・コールマンが近郊を見つけてゴールドラッシュが起きるものの、10年ぐらいで終わり、、、、そこに居ついた人々が、高地で林檎がよく育つことに目をつけて、リンゴ栽培を始めたのが町の起源。

あまり関係ないけれども、開拓者のジョニー・アップルシード(Johnny Appleseed)の伝説を思い出した。正直言って、日帰りで来るレベルの町だとは思うけれども、歴史的背景を考えると、カリフォルニアがゴールドラッシュの歴史背景を持っているのを感じると、より土地の深みを感じられるかも。アメリカ合衆国の作家ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath)や北野詠一のマンガ『片喰と黄金』は、なのを思い出させる。いまのカリフォルニアだけではなく、過去のカリフォルニア、特に期限の歴史を知ると、より自分が住んでいる土地に愛着というか、重層的なものが見えて、なんだかグッとくるようになる。機会があれば、金鉱あと見学ツアーもあるらしいので行ってみたかった。こういう知識って大事だよなぁと思う。奥さんとデートでよく伊豆の温泉巡りをしたけれども、あれも、『風雲児たち』などで、幕臣で伊豆韮山代官、江川太郎左衛門英龍の人生とか黒船とかのことがわかってくると、おお、、ここってこんな歴史的背景がって、めちゃくちゃ面白くなるもん。「Julian Train & Gold Mine Tour」(2353 Ethelwyn Ln., Julian )で、トロッコで山の中を駆け抜け、ゴールドラッシュ時の金鉱跡地を見学する約1時間半のツアーがあったらしい。調べていけばよかったと、ちょっと後悔。

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■ジュリアンでアップルパイを

visitjulian.com



町は、本当にこじんまりとして小さい。たしかに、様式としては、ゴールドラッシュぐらいの町だなって感じ。メインのストリートだけで、30分も歩かないで全部回れる感じ。ちなみに、駐車場がないので、めちゃ路駐。少し歩いた。

「Mom's」(2119 Main St., Julian) Julian Pie Company(2225 Main St, Julian)が有名だということで(妻リサーチ)並んだけれども、見ていただければわかるとおり、結構並ぶ。まぁ、イートインスペースがほとんどないので、買うだけなので、そんなに長く待つということはない。僕らは、お昼を食べてなくて、ここで食べるつもりだったので、あまりのイートインスペースのなさに、がっかりしてしまった。観光地の開発としては、もうひとひねりほしいなぁと思ってしまった。まぁ、箱根とかのお土産物屋の道みたいなものだから、このあたりがせいぜいかも。。。

Mom'sで並んでいたら、案の定、2号店があるということで、、、、ようは、ここの町が手狭なのか、土地が高くなってしまっているのか、車で10-15分ぐらい言ったところに、別のイートインも駐車場もたっぷりあるところがあるとのこと。最初から、並ぶ前に看板でも立てておいてくれよ!と思ってしまった。僕は、年寄りなので腰が痛くて、すぐ2号店に行こう!と提案して家族で。



Mom'sは、一番定番のApple Flakeyを購入($19.95)。メニューにPie By The Sliceとあるので、食べ比べをしようとしたら、本店だけなのかわからないが、忙しすぎて、ホールでしか売らないとなっていて、ちょっとムッとしてしまった、まぁ凄い並んでいたから、そうだろうなぁーアメリカンサービスとしては、と思ったけども、、、。ちなみに、Moms Pieは、うちの妻、子供たちには不評でほとんど食べなかった。というのは、酸っぱい!!!のだ。Julian Pie Companyのあまぁーい奴と比べると、酸味が強い。ちなみに、「だから」ぼくは、むしろこっちのほうが好きだった。家で、コーヒーとともに、一人でおいしくいただけた。

Moms Pie House - Julian, CA

Julian Pie Companyの本店のほうで並ぼうとしたけど、あんまり並んでいたので、いやになって、というかイートインの場所を求めて、2号店へ。車で15分ぐらい。こっちは、めちゃ駐車場が広い。工場が併設されている感じだった。とはいえ、、、、十分あるとはいえ、ここもイートインスペースが大きくない。うーむ、買って帰るというお土産がメインなのかもなぁ。でもこっちは、Pie By The Sliceが可能なので、いろいろ試す。Julian Pie Companyは、めちゃ甘い。子供たちは、妻も、大喜びで食べていた。ちなみに、好き嫌いの多い下の娘ちゃんは、ひたすらアイスクリームをうまうまと食べていた(笑)。

Julian Pie Company



■参考

www.us-lighthouse.com