『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty 2012 USA) Kathryn Ann Bigelow監督 アメリカが掲げた対テロ戦争という大きな物語の終幕の一つ

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★☆4つ半)

■全体の感想〜同時代史の立場からアメリカの今を告発する物語

全体の評価としては、見る人は選ぶな、と思いました。僕は、見にいって大正解の傑作(自分の鼻の良さには感心!)だと思いましたが、痛快無比なアクション映画などのカタルシスを求めるというのとは違う作品です。頭を使わないと、全体の意味は良くわかりません。ただひたすらに、CIAの情報分析官のマヤという女性が、潜伏しているUBLを探していく諜報戦が2時間。徹底的にマヤのみの視点から描かれます。その後、ラスト40分は、アフガニスタンのUBL邸に突入する特殊部隊シールズの行動を、そのまま再現しているので、突入している兵士の気分で見れます。この一人称的な映像感覚は、ドキュメンタリー以外では『The Blair Witch Project(1999/ブレア・ウィッチ・プロジェクト)』などを思い出すが、ほとんど見たことがない。

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大変挑戦的なやり方だ。同じ政治性のある事件を使ったイラン大使館人質事件の『アルゴ』と比較すると、この作風の特異性が際立つと思う。僕がよくいう、3人称と1人称の違いが物凄くよく表れているので、ぜひ見て比較してみてください。ノラネコさんがおっしゃるとり、『アルゴ』がイラン側の行動や考え方を逐一予測してわかりやすく交互に視点を交換して描いていくのと比較すると、その差がわかります。

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マヤの視点は、常に情報がほとんどない不安の中で物語が積み上げられていくが、『アルゴ』では3人称の神の視点からバーズアイで、全体がどうなっているのかを観客に説明しながら進める。

本作の特異性は、やはり政治性を帯びた実話を元に作られた映画、「アルゴ」と比較すれば明らかだ。
イラン革命下での決死の脱出作戦を描いたあの作品では、アメリカ側が知りえない情報、例えばイラン当局がその時どう行動したかなどは、大胆に推測されて補われており、史実をモチーフにしてはいるものの、作品トータルでみれば限りなくフィクションの娯楽サスペンス映画としての色彩が強い作品となっている。
対して本作のスタンスは、「知らない事は描けない」という対照的なものだ。


http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-605.html
ノラネコの呑んで観るシネマ


全体的にこの作品にどんな意味があるのか?というテーマのメッセージ性がわかりやすいイデオロギーでまったく描かれていない。共和党が「オバマの大統領選のための宣伝映画だ」と噛みついて放映時期がずれたほど政治的なテーマなのにもかかわらず、イデオロギー的な主張が全く感じられない点が本作の特異なところであろう。キャサリン・ビグロー監督は「映像によるジャーナリズム」的なことを語っているそうだが、確かに本作にはそういった明確な意思を感じる。


CNNやBBCでもいいのですが、海外のニュースやテレビを見ると、文脈が全然わからず、???ってなることがあるのですが、それは、例えば、いまの日本の報道に普通に触れていれば、安倍首相が2回目の首相であるとか、自民党民主党の違いとかはさすがにわかりますよね?政治に特に興味がなくても。安倍首相が、前の時に病気でいきなり辞任したこととかも。けれども、たとえば、じゃあアメリカの民主党共和党の違いは?、それぞれの大統領とか党首がだれか知っていますか?(ちなみにアメリカの政党に党首はいないようです)、あとはアメリカの地理とか、そういう当たり前に暮していればわかること(=常識)がないと、テレビでも理解して見れないんですよね。それと同じで、たぶん解釈する手掛かりがないと、なかなかわかりづらい。少なくとも映画の脚本と映像だけで楽しめるものではないと思う。

そうした「重苦しい告発」として、本作を改めて振り返ってみると、拷問の問題どころではない、極めて重要な二つの問題に関しても気になる表現がされていることに気づきます。一つは、「911というのは、本当にオサマ・ビンラディン率いるアルカイダというグループの犯行なのか?」という問題と、「2011年5月1日(2日)にパキスタンのアボッターバードで米海軍特殊部隊によって殺害された男性はオサマ・ビンラディンなのか?」という問いです。映画は、この二つの問いに関しては決定的な答えを出してはいません。こちらも拷問の是非という問題と同様に、判断は観客に委ねられたままなのです。

 そうなのです。本作は政治的な「メッセージ」を強く打ち出しながらも、その「立場性」については映画の側からの「押し付け」はしていないのです。この映画を見ることで、「CIAの超法規的な反テロ作戦」の是非に関して、「一体あなたはどう考えるのか?」という「立場性」の選択を観客は突きつけられることになるのです。


第571回 観客に挑戦する新次元の映画表現、『ゼロ・ダーク・サーティ』 from 911/USAレポート / 冷泉 彰彦
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_3102.html

冷泉彰彦さんのこの記事が、なるほど思ったのですが、政治的なテーマを扱っている割に、イデオロギー的な押し付けと正しさの主張を感じさせないのは、選択を観客に委ねている構造故かもしれません。とはいえ、観客のメインは、もちろんアメリカ人です。もちろん、アメリカ人なら誰もが知っていることだし、大ニュースになったことですし、この選択の突き付けは強烈に感じるでしょう。戦争映画は基本的に、それが反対でも賛成も、現代では社会の主軸を、社会を成り立たせている重要な柱を描くのだが、どう映画くのか?という態度が気になる。いつも言うようにハリウッドには教育装置、もう少し言い換えれば、大衆の持つ大きなトレンドを映し出す機能があり、それに掉さす監督やプロデューサー職の人々には、社会を大きくどうとらえているか?どう捉えるべきかのメッセージが出ていると思うのです。

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より大枠で言えば、ウサーマ・ビン・ラーディン(2011年5月2日)の暗殺という出来事は、911から始まるアメリカが掲げた対テロ戦争という大きな物語の終幕の一つであるわけで、それをどう捉えるのか?ということは、アメリカの直近の現代史をどう評価づけるのかという重要なポイントとなります。この作品が、凄いのは、2011年5月2日(米国東部夏時間5月1日)、というつい去年の出来事を題材にしている問い点です。猿谷要さんの『アメリカ500年の物語』を読んでいた時に、2000年代を記述するにあたって、直近の出来事は記述が歴史家としては難しいという旨のことをおっしゃっていました。なぜならば、この辺りは、現代史というよりは、「同時代史」といえ、まだ評価が定まっていない事実ができっていない時代なので、歴史家としては評価に二の足を踏むということでした。

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しかし、では、同時代史というのはどうやって定まっていくのか?と考えると、もちろん歴史家による丁寧な資料の発掘評価という仕事に区分け、こうした同時代の出来事の映画化というのも、その大きな機能の一つなのではないかな?と思いました。もちろん、こうしたニュース映画的な機能は、プロパガンダであり、それを見る中心の民族、国民の正統性表明機能を持つ部分も多分にあるので、単純ではないでしょうが、戦前の日本でもアメリカでもよくやっていたニュース・プロパガンダ映画を思い出しました。あれよりも、もっともっと洗練されていますが。


さて、ラストシーンで、ネタバレですが、最初はCIAの拷問を見ていられなかった女性担当者が、積極的に拷問に手を染め、同僚の敵とばかりに、他国に平然と暗殺部隊を送って、本当にウサマ・ビン・ラーディンかわからない(実際には、確証は本作の中で一つも出てこない)相手を殺すのです。突入のシーンでは、3家族が暮らしているので、抵抗した場合は奥さんも容赦なく殺しますし、子供もたくさんいるので、子供がずっと泣き叫んでいます。そういった非倫理的なことをすべて押しのけても、対テロ戦争の終幕として、このことをアメリカは本当にやるべきだったのか?という問いかけが、この作品で話されています。いい悪いは、まったく出てきません。ただひたすらに、職業として、プロフェッショナルとして、CIAの実務を追求していく姿が求道的に描かれているだけです。そして、すべてが終わってアメリカに帰国するために、アフガニスタンのCIAの秘密基地から彼女一人のために専用の軍用機が用意されます。パイロットとおぼしき人が、「一人のために飛行機が用意されるなんて、凄い重要人物だね!」とからかうのですが、これは、彼女の功績がそれだけ大きかったこと示し、良きアメリカ人として、最高の業績を上げたということを暗示していますが、、、しかし、何も言葉も出さず、やっとすべての仕事を成し遂げ重責から解放されたのに、軍用機の貨物室で、彼女はひっそり、一人泣くのです。



なぜ、涙を流したのか?が、この映画の最後の突き付けた問いです。



普通に、このマヤに感情移入していれば、僕は絶対に、「虚しさ」を感じたと思うのです。なぜならば、この作品は、ただひたすらに、職業として、プロフェッショナルとして、CIAの実務を追求していく姿が求道的に描かれるだけで、マヤという女の子(たぶん最初は凄い若いよ、設定的に)がどういう動機を持ってこの職業をこなしているのかはまったく描かれません。家族背景も、イデオロギーも語られないので、なんのたんめにマヤがこの仕事をそこまで情熱を傾けているのかがわかりません。最初の頃は、拷問やアフガニスタン駐在を、上から命令されただけで、と渋々でしたし。いいかえれば、このUBLの暗殺の仕事をするにあたって、彼女を動かすものは、職業人としての意識や同僚で友人だった女性を殺された報復ぐらいしか、ありえないのです。けど、CIAとしてリストに上がっているアフガニスタンのCIAの調査官たちは、何度も殺されかかるので、報復というのは、それほど強い動機にはならない気がします。だって、いつ死ぬかわからないっては、みんな思っているようだもの。ましてや相手も殺し、拷問にかけているわけだから。だって、最前線の殺し合いをしている兵士なんだから、仕事内容は。もし彼女が、大事な人を911で奪われたとかいう動機設計にしたら、この物語は陳腐でイデオロギー性の強い、とてもわかりやすいエンターテイメントになったでしょう。この設定を安易に選ばなく、観客がマヤがなんの動機でこれをしているかわからなくしたところに、監督の慧眼があったと思います。これだけの、殺し合いの緊張感を経験し続けて、しかも、職業人として仕事を貫徹したとしても、それが正しかったかどうか?本当であったかどうか?は全然わからないのです。そういうイデオロギー(マクロの理由・要請)も復讐などのわかりやすい個人的動機(=ミクロの設計・動機)もないのです。それでこれだけの緊張感と、死を見れば、虚しくなって当たり前だと思いませんか?。虚しいというのは、意味と意義を見いだせない、と意味です。だって、意味と意義は、書かれていないんだもの、文脈的に。


これは映画のマヤの内面の話ですが、上記でこの問いを観客に問いかけていること、対テロ戦争を、アフガニスタン戦争を、イラク戦争を指示した、それにコミットさせられたアメリカ国民にこれを投げつけるのです。とっても暴力的な映画ですね(苦笑)。つまりは、911から始まるアメリカが掲げた対テロ戦争という大きな物語の終幕の一つとして、この出来事をどう評価し、歴史として、あなたたちは位置づけますか?。という質問なのだ。既に答えは一つ出ていますよね。虚しい、と。当たり前の事実ですが、対テロ戦争という物語の正しさや正統性も、なかなか問えない。マクロ的な物語として、ビン・ラーディンの暗殺は、非常によくわかります。アメリカが設定した、対テロ戦争という大義に対して、これほど明白な物語の終幕はないからです。アメリカの大義、歴史的なテロリズムへの敵意からすれば、この行為は非常に正統性がある。けれども、そこではではなぜアラブ人がそこまで追いつめられたのか?、そこで虐げられている人がどう考えるのか?という他者性の意識は皆無です、また、アメリカ側、世界を支配する先進国の立場以外の物語は完全に無視した、物凄く一方的な物語です。


アメリカの他国に侵攻して秘密部隊を送るのはお家芸〜エゴイスティックな自国中心主義

これ、見ている人は、単純に不思議に思うはずです。アフガニスタンというのは独立国です。それをエリア51で開発された(笑)ステルスのヘリによる特殊部隊シールズの行動は、あきらかに、独立国に無断で侵攻するということを前提として、話が進みます。映画の中では、アメリカ人のみなので、誰一人、そのおかしさに言及しません。アメリカが世界の中心である感覚が、これほど見事にでている映画なかなかお目にかかれません。それにしても、アメリカ人ではない他国の日本人の立場からすると、背筋が寒くなります。米軍は、アメリカは、同じことを平気で日本でもやるでしょうから。自国の掲げる正義、普遍性のあるという物語を貫徹するためには、暴力を国際ルール無視で使用するからです。アメリカの戦争というのは、公平な国からすると不思議なくらい卑怯なものが多いですよね。たとえば、パナマ侵攻でマヌエル・ノリエガ将軍を逮捕したりするのも、非常におかしな行為です。まぁあれはほぼ戦争なので、今回のアフガニスタンとはちょっと違うのかもしれないですが、構造は同じです。UBLだってタリバンだって、そもそもCIAが対ソ連などのために育て上げたわけですから。ノリエガ将軍も、CIAのエージェントだったのは事実です。ノリエガ将軍の裁判は、僕にはとても見ものでした。アメリカのエゴが凄く出ている部分が法廷に出たのですから。だって、どう考えても他国の元首を軍事侵攻してさらってきて、裁判にかける権利が、いったいどこの国家にあるのか?、と思いませんか?。もちろん、現代世界の普遍性から、麻薬で金を得ていたノリエガを打倒するのはわからないでもありません。しかし、麻薬自身は、国家の統制を離れたため、その後、量は急増してめちゃくちゃな状態になっています。目的はまだわかるけど、効果はほとんど意味がありませんでした。しかも、ノリエガを育成したのは当時の大統領であったパパ・ブッシュが、CIA長官時代にやったことです。実際に、アメリカにさらってきて、アメリカの法律で、他国の元首を裁くことは可能か?と、当時の裁判ではもめていました(まぁ、そりゃーそうだよね)。アメリカ社会には、暴力にとても不思議なルールというか感覚があって、いくつかのそのルーツがありますが、一つは西部開拓時代、広範囲の空間に軍事警察権がなかなか行き渡らなかったために、自衛の感覚が強く、ルール云々は生き残ってからだ!的な伝統が民衆に深く根付いています。全米ライフル協会の思想なんかは、まさにそれですね。ようは、西部の大平原で周りに人がいないところ暮らしている一家にしてみれば、武装して自衛しないと、いつ殺されるかわからない!というような恐怖の感覚が根強くあるのです。もう一つは、南部でのリンチ(私刑)の伝統です。リンチという名前は、独立戦争時の、チャールズ・リンチという人からきている名前です。もちろん、このような自国中心主義のエゴイスティツクなわがままは、どの国にも民族にもあるものだとは思うのですが、アメリカは世界の警察というほど広範な部隊運営能力・ロジスティツクスを所有しているので、それを世界的に展開しやすい。こうした共同体に害をなす勢力に対して、リンチ的暴力で対応するのはアメリカの暴力使用の伝統で、この時に最も重要なのは、その攻撃によって被害をこうむった「他者」をどう認識するか?になります。

実験国家アメリカの履歴書―社会・文化・歴史にみる統合と多元化の軌跡性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶 (中公新書)

ここで、鈴木透先生は、「記憶の民主化」がこれから必要になるだろうと述べていました。共同体(=アメリカ)を守るために、他の共同体をリンチ的暴力で撲滅してきたアメリカは、その撲滅してきた他者を自分の体内に取り込んでいく過程で、その「他者の記憶」が復権を求めていくからです。そして、それは、遅々とした歩みではあるものの、確実に一歩一歩動いています。たとえば、猿谷要先生の『検証アメリカ500年の物語」では、その最初の章は、ネイティヴ・インディアンであるアメリカ先住民の話から、アメリカの歴史が始まっています。また、アメリカがまだ弱く、スペイン帝国やブリティツシュ・エンパイアの狭間で汲々としていた植民地の時代も描かれます。これは、2011年に僕もスミソニアンアメリカ自然史博物館の展示で、同じように描かれているのを見ました。なにをいっているのかといえば、歴史のスコープがかなり変わっているのです。僕らが学生の時には、アメリカの歴史は、普通、ピルグリムファーザーズのプリマス植民から始まりました。そう、WASPの歴史からです。けれども、いまのアメリカの常識的な歴史解釈は、もう、そうではありません。もちろん教科書や学会の常識としてです。それは、アメリカが、先住民の記憶を、歴史と対話し続けているから起きることです。「アメリカの歴史は未来にある」とかつてランドルフ・ボーンは語りましたが、アメリカの歴史は常に「新しく創造されていくもの」であるところが、とても興味深いところです。もちろん、すべての権利を剥奪して相手を滅ぼした後に記憶だけ掘り起こして何になる?という部分もないわけではありません。けれども、人類の歴史は、相手を滅ぼしてすべて消し去るのが普通だったことを考えれば、アメリカがとても得意な国であるのも事実です。それは、たぶん、この国の建国が、外から来た人が人工的に作った実験国家であるということを抜きに語れません。そういう文脈から考えていると、かつての日系人の強制収容が、その後アメリカ国会で正式に謝罪されたように、アラブ系の他者を踏みにじってきている記憶を見直す時も、来るのかもしれません。しかし、、、それまで、リンチ的暴力を容認して本当にいいのか?という問題も残ります。

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■キャサリン・ビグロー監督は何を目指しているのか?

キャサリン・ビグロー監督は、『Strange Days (1995)』や『Point Break (1991)/(邦題:ハードブルー)』 のあまり売れていない頃からとても好きな監督で、特に、ストレンジデイズのレイフ・ファインズハートブルーキアヌ・リーブスなど、マッチョイズムな男性像になりがちなアメリカ映画界で、女性ゆえか、女々しく、ヘタレている主人公(レイフ・ファインズ)や、男同士の友情といっても犯罪者と捜査官が、社会正義(=マッチョな正しさ)の向こう側に一線を越えてしまう危うさを描いているなど、女性監督ならではといういい方は手あかにまみれているかもしれないが、これは言い換えれば、女性というマイノリティーの視点なのかもしれないと思う。その視点からの、社会の主軸のオーソドックス・マッチョの幻想解体。・・・・と思っていたが、『The Hurt Locker(2008/ハート・ロッカー)』に続き、軍事ものが多いですねぇ。

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今回の『ゼロ・ダーク・サーティ』でなるほどな、と興味深く思ったのは、この作品の主人公は、CIAでありCIA情報分析官です。その最前線の指揮を執っている情報分析官は、二人とも女性でした。それが興味深い。


ふと思い出したのが、『マブラヴ・オルタネイティヴ』や『トータル・イクリプス』という吉宗綱紀氏のゲームやアニメがあるのですが、この物語シリーズでは、地球外生命体に侵略されて人類は滅亡寸前まで追いつめられているんですが、それが故に、各国の最前線では、軍人の徴兵年齢が凄く引き下げられると同時に、女性がめちゃくちゃ軍人として仕事をしているという設定がありました。もちろんこれは、ヲタク・サブカルチャー文脈ですから、女の子をたくさん出すための設定が先にあったのかもしれませんが(苦笑)、しかしながら、これは時代だよなという気がしているのです。

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アメリカが1960年代以来のリベラルの浸透とリーマンショックなどの経済の影響もあり、女性の社会進出は本当に普通になってきました。馴染んできたといってもいい。初期の頃は、家庭の崩壊だの子育てができなくなって社会の持続性が維持できないなどの保守派の言説が広がりましたが、そういったものへの対抗手段や、それでもしなければいけない経済的要請など、いまアメリカ社会はそのことについては落ち着いているように目ます。家庭に縛られまくっている白人専業主婦と黒人メイドの話を描いた『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜(The Help/2011)』で、ジェシカ・チャステイン(Jessica Chastain)=本作の主人公が、シーリン役を演じていたのも、とても面白いです。

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比較すると、いま、2010年代の日本社会は、単一のモノカルチャーの老人、男、組織生え抜きというムラ共同体のクローズドサークルのシステムが、高度成長期のパラダイムを引きずって、色濃く残っています。大企業の取締役メンバーの構成を見れば一目瞭然。けれども、オリンパスの不正隠しを外国人社長が告発したり、何よりも、経済的要請がそうした単一カルチャーによるダイヴァーシティーの無さが、意思決定の遅れ、多様性の無さによるアイディアの枯渇、グローバリズムへの不対応など、不具合を引き起こしています。この非効率性は、団塊の世代が生き残っている間は、遅れるとは思いますが、早晩大きな時代の流れには逆らえず、変化していくでしょう。なぜならば、変化しなければ、サバイブできないのですから。話がそれましたが、そうなれば、女性の社会への台頭というのは、すべての職業領域で非常に高まっていくと思うのです。特に日本はまだそのことを始めてもいませんから(なんという遅い社会だ!)、この影響はでかいと思います。ああ、ちなみに、日本社会の最大の問題点は、GNPの言い換えれば経済規模が縮小していく最大要因は、労働人口の減少です。だから対処法が何と言っても、労働人口を増やすことです。選択肢は3つ。(1)移民、(2)子供を増やす、(3)女性の社会進出です。そして、もっとも即効性があり、かつ既に高い教育水準を誇る女性がめちゃくちゃいるという状況を考えると、(3)が断トツの選択肢になるのは間違いないんです。これはマクロのトレンドです。・・・マクロのトレンドが、理解できない、受け入れたくな人が多くて、、、「昔は良かったノスタルジー」に浸れる余裕がある社会は、遅々としていますねぇ。まぁ、そんなもんでしょうが。


話を戻すと、マブラヴシリーズでは、戦術機というガンダムモビルスーツみたいな機動兵器に乗るのは肉体的制限が少なかったので、その衛士職に女性が増えていったんですよね。同じように、作品を見ている時に思ったのは、軍隊における女性の仕事って、こうした知的な情報分析官の席は多いだろうなーと思ったのです。シールズの特殊部隊には、ええ?丸太???というような筋肉もりもりのマッチョ男性ばかりでしたが、最前線のエリート部隊では、あれくらいは当たり前でしょう。だとすると、確かに女性は、不可能ではないが、過半を占めるというわけにはいかないでしょう。けど、情報系の士官は、女性でまったく問題ないので、女性がどんどん増えるのではないかな、と思ったんです。途中で、アルカイダ自爆テロで、重要な情報を得られると思っていたら、CIAのチーム丸ごと暗殺されてしまうという(これ事実でしたよね、確か)大事件が起きるのですが、その時のリーダーも、女性で、なんと3児の母でした。


マヤという情報分析官も、なんと高卒で才能を見出されたのかリクルートされて、この事件に青春をかけています。・・・・でも、よく考えると、凄い組織だよな、CIAって。だって、高校卒業した時点で、才能を見極めるようにリクルートして、それを磨き上げて育成していくシステムがあるってことだもの。CIAの長官が、責任をとる覚悟の無い腰抜けばかりの男の高官たちの中で、キャリアのすべてをかけて発言するマヤに対して、「実績は?」「なにもありません」という会話の後に、「そうか・・・・よっぽどこの仕事が性に合っているんだな」と、高く評価するシーンがあったのですが、これは、凄いことだよなーと思いました。本当に事実かどうかはともかく、CIAがそういった早期選抜をして、情報分析官(要はスパイ)を育成しているのは、たぶんありえるだろうでからです。これが本当かどうかはともかく、女性がこうした職業に広くついていくのは間違いないな、と思いました。ちなみに、主人公はジェシカ・チャステイン(Jessica Chastain)ていう赤毛の女性で、キャスリン・ビグローに似てません?これって、一人称でずっと物語を追っていく形式からしても、監督は主人公に自己投影しているのだな、と思いました。キャスリン・ビグロー監督も、たしか若い頃モデルとかそういう仕事をしていて、ジェームス・キャメロンと結婚して、離婚して、そしてその後、監督として高い地位に上り詰めていくんですよね、、、。いま61歳だけど、きれいな人ですよねー。


あっと、情報分析官という仕事がどういうものかは、僕は、下記のあたりの本で学んでいます。ほんとかどうかはともかく(笑)。少なくとも、インテリジェンスに関する概念をいろいろ知らないと、スパイというもの、こうした情報分析官という仕事の実務がなかなかわからない気がします。少なくとも、このあたりん本を読むまで、団塊のJrの僕は、スパイというのは、007とかそういうスパイもの映画で銃をガンガン打ちまくる派手な世界をどうしても連想しがちでした。基本的に情報分析官は、マテリアルの基礎情報の解釈をしたり収集するのが主な仕事で、大学の教授、とは言いませんが、その下働きみたいな仕事ととても似通っています。友人が、外務省の大使館付きの調査官などに、さまざまな国に採用されていますが、あれも予備軍みたいなものですよね。主な仕事は、その国の新聞とかメディアの翻訳で本省に送る仕事ですが。

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